天使バビロンに来たる ~奥行きの醍醐味~

夜中の3時過ぎに厚着して外に出てノドをそらし首を真上に向けてしばし待ってると、流れた流れた。
双子座流星群。

わずか数分で6ケを認めたから、久々のヒットなのだった。

でも光の尾を長く引くようなのは1つもなかった。

今そこにあった光点がポロリ剥離し、チョロリ落っこちた程度な、微細な塵と判じられるようなものばかりだった。

も少し、ガツンと、光芒に、ドキリさせられるようなのを期待したのだけども、ほんの数分の"観察中"に、それはなかった。

なので、願い事を託すユトリもない。


12月の半ばまででイイからと… いう事だったので依頼を受けてた仕事を、この月曜からはじめて、木曜の夜に終了した。

11月に犬島で公演された芝居「天使バビロンに来たる」の記録VTR編集。

ホントはこれは観に出向きたかったのだけど、公演の日にどうしても動かせない用あって、犬島には行けなかったんだ。

だから、この編集作業を密かに愉しみにはしてた。

シティミュージアムでの自分の講演を済ませて、その翌日から作業を開始したワケなのだけども、初日は… 作業は置いといて、映像を堪能させてもらった。

犬島の精錬所跡は、今は福武教育文化振興財団さんが管理する場所なので、勝手にはもう入ったり出来ない。

見学には料金を払わなくちゃいけないし、煉瓦の廃屋には近くには寄れないコトになっちまった。

廃墟の中央で高い煙突が、いわばランドマークとして屹立しているけど、その足元にはもう立ち入れないのだ。

その勝手に入っちゃいけなくなった、精錬所跡の建物を利用しての公演なのだから、これは一見の価値ある芝居なのだったし、ちょっと希有なコトでもあった。

なので、この場所を使うために奔走したプロデューサーのO氏は、褒めるに価する良い仕事をしたとボクは思うのだけども、そのO氏に未編集VTRを渡されたさい、
「奥行きを楽しんでよ」

と云われてた。

で、拝見して、
「なるほどな〜」

納得したのだった。

通常、お芝居というのは、劇場の限られた"箱"の中で演じられるから、さほど、奥行きがない。

けども、今回のは、精錬所の煉瓦の廃屋をそのまま背景かつ舞台にしているものだから、広いし、何より、奥行きが深い。

役者さんは、むろん、大変で、その奥行きに応じ、左右に加えて前後に動かなきゃいけない。

それが観客の目を結果として大いに愉しませてくれる。

映像を見てそれを感じられるんだから、実際にこのお芝居を観た観客はもっと奥行きを感じて楽しんだと… 思う。

演出も良い。

観客席と廃墟の煉瓦建築との距離を計算に入れて、役者を縦横に動かせているから、眼が飽きないんだ。
演出は中島諒人氏。演じたのは鳥取をベースに活躍の"鳥の劇場"の俳優さんたち。

双子座流星群を束の間に眺めて感じたのは、上記の、奥行きがアンガイと感じられないことだった。

夜空に限らず、だいたい、空は奥行きが測れない… もんだから、距離の掴みようがない。

概ねで、流星が何キロくらいの高度で光を発するかは、知識として知っているし、またたいてる星々も、それが何であるかを知ってりゃ、何光年先のものであるかといったコトも、それは判っちゃ〜いるのだけども、眼の知覚としては、こうもり傘にあいた穴同様に、何やらペチャンコな感じなんだ、な。

星空を眺めてる時には、眼で奥行きを感じちゃ〜いないワケだ。

知識の範疇で、たぶんに脳が距離を見出そうと務めてる感触だ。


ボクがプラネタリウムを愛するのは、その辺りの消息を眼と脳に同時に与えてくれる効果が唯一ある装置だからなのだけど、わけても、その始まりが好きなんだ。

丸屋根の白い(グレーなのもある)天井が見えてたのが、照明が落ち、すなわち、夕暮れの刻限から一挙に夜の刻限に変じた途端の、天井が消失して無限の空間に放り出される、その感覚が大好きなんだ、な。

いわば、ここでは奥行きそのものが消失するワケで、けども、闇になって星の光点が浮く、その刹那の情感は、奥行きという感覚を猛烈に意識させてくれるんだ。

タルホ的に申せば、『ファンタジュ〜ムに満ちた永遠感覚』だ。

プラネタリウムでその感覚を最後に味わったのは去年の初め頃だったか、明石の天文科学館の模型展示の監修をやってた時だ。

だからもう2年ほどプラネタリウムに接していない。

この前のシティミュージアムの講演で、講演前に複数の方々(ちょっと高齢な方が多かったけど)が、初公開の明治のテーマパークのその全域模型に近寄って、背をかがめ、あっちから眺め、こっちから眺めをやってくれて、矢継ぎ早やに質問をうけてるさなかに、ボクは… この"郷土史好きな老人の皆さん"の中にも、ちょっとした『永久感覚の躍動』をみたよう、思う。

眼の前の、写真のペッタンコじゃない、立体物としての模型に、実物の奥行きを見出そうとしていらっしゃるんだな… と、感じられたんだ。
姿は老っていようが、心の内に少年の火。
それをボクは見た。
模型というのは、どこまでいっても、あくまでも『模したカタチ』なんだから、それはアートになり得ないし、アートの高みには到達出来ない性質を濃く帯びたモノなんだけど、擬似にせよ、奥行きを立体に見せる装置としては重宝だ… 少年にちょっとだけ戻る効果有り… というようなコトを双子座流星に接し、チビリ思った今日この頃。

※ この模型を含め数点を来年1月末まで岡山シティミュージアムで展示しています。