もとのもくあみ ~かちかち山~

今回の選挙の前々夜。
チョメチョメ雨降る岡山は問屋町の韓国料理の店「しっとら」で、自転車仲間の忘年会。
お仲間たちはそれぞれがアチャラにコチャラにと出向き、けっこう闊達に乗って楽しんだようだけども、今年のボクは、平年に較べて半分も乗ってない。
でも、バイシクルつながりで忘年会。
で。何枚か写真を撮ったり撮られたりで、それをさっき、眺めて…
なんだか今回の選挙のようなアンバイをそこに見出して、ボンヤリする。
まずは、これ。

盛大にモヤシが盛られたお鍋。鍋の底にお肉やらキャベツもいるのだけど、見た眼はもう山。
山そのもの。
どうやって食べんだ?
すげ〜な。
けども、コンロに点火し、訝しみつつも歓談してると5分も経つと、次のように。

ペッチャンコ。
さっきのは何だったの? てな具合なペッチャンコ。
全部がシンナリしちゃった平面的… モヤシの煮えた海。

方々より手が出て混乱。
で。
二次会だか三次会。
次の写真のように、さらにこう… 第3局的なフイな動きあって、せっかくのお熱いム〜ドもダイナシになるというのも、何か、似通う…。
原子力と思いきや、ただもう脱力というか…。


以上を、冗談めく書いたけど、今日はボンヤリしつつ、念頭では「かちかち山」が、ずっと、明滅してる。
芥川龍之介の一篇。


童話時代のうす明りの中に、一頭の兎と一頭の狸とは、それぞれ白い舟と黒い舟とに乗つて、静かに夢の海へ漕いで出た。永久にくづれる事のない波は、善悪の舟をめぐつて、懶(ものう)い子守唄をうたつてゐる。


短い、けれど、研ぎ澄まされた日本語の流麗で一音も崩せない完璧な一篇…。
必ずしも、それは比喩すべき政治でも愛でもないのだけど、自分の中の情感が、今日はこの秀逸な一束の文言にリンクしてる。
ここで紹介するのは、その1/4くらいのテキストだけど… 下記はその最後のくだり。


くもりながら、白く光つてゐる海の上には、二頭の獣が、最後の争ひをつづけてゐる。除(おもむろ)に沈んで行く黒い舟には、狸が乗つてゐるのではなからうか。さうして、その近くに浮いてゐる、白い舟には、兎が乗つてゐるのではなからうか。
 老人は、涙にぬれた眼をかがやかせて、海の上の兎を扶(たす)けるやうに、高く両の手をさしあげた。
 見よ。それと共に、花のない桜の木には、貝殻のやうな花がさいた。あけ方の半透明な光にあふれた空にも、青ざめた金いろの日輪が、さし昇つた。
 童話時代の明け方に、……獣性の獣性を亡ぼす争ひに、歓喜する人間を象徴しようとするのであらう、日輪は、さうして、その下にさく象嵌(ざうがん)のやうな桜の花は。


不思議な、かつ見事な、一篇の閉じ方にボクは鮮烈な衝撃を受ける。
あえて、声に出して、読んでもみた。
童話時代の黎明か、… 今はまだ判らない今日ゆえに。