100歳の人と会う

昨日(2/3付)の山陽新聞にまた比較的大きく、例の亜公園の記事を載っけてもらって… ちょっと感慨深い。
といっても今回はボクもM嬢も模型も登場はせず、対象となったのは、その亜公園建造者のお孫さんなのだけども、お孫さんとはいえ、この人はこの7月で100歳になるんだ。
この100歳になる女性が10歳頃の、おじいさんであった人、すなわち亜公園を作った片山儀太郎氏を語るという内容なのだった。
で、実はこの記事が載る前日の土曜に、ボクとM嬢は彼女に会ってるんだ。
記事はあくまでも山陽新聞の記者氏がまとめたもの。
ボクらはボクらで、彼女を取材しているワケなのだ。
意外と思われるけど、木材商であり亜公園の建造者たる片山儀太郎氏の子孫の存在は今まで不明だったんだ。
どんな文献にも載らず、どんな方策でもって調べようと明治時代と現在との糸がつながらなかったんだ。
けども、前回、ボクらの模型と講演の記事が新聞に載って、それがご子孫の目にとまって… な〜んと、ご親族から連絡が来たワケなのだ。
それが昨日の山陽新聞の記事であり、おとといのボクらの取材につながってるワケなのだ。
当初、100歳と聞いて… ボクはちょっと不安ではあった。
正直なところ、その年齢から、耄碌しちゃってるのではないか… と申し訳ないが、思ってしまったのだ。
でも、それは大違い。
実年齢99歳の彼女はビックラこくホドに頭が聡明。
なにより美人だったし、笑顔が猛烈に素敵であったからボクは喜色に弾んだ。
しかも、喜色に弾んだのはボクらだけではなく、実は彼女もそうなのだった。
大好きであったおじいさん(儀太郎氏)のかつての"偉業"を模型化した人物らの到来を、待っていてくれたのだ。
より詳細な当時の情報を求めて彼女に会いに出向いたボクらだったけど、逆に彼女から質問をくり出されたりして、慌てて返答すると、それをチャンとメモにとってくれもする。
素晴らしい!
これほどの高齢者に我が模型を喜んでもらったというのも、お初の体験だ。
嬉しい!
気がつくと、アッという間に1時間を越えていた。
同席くださった彼女の息子さん(もちろんボクより高齢だ)の配慮も素晴らしく、ボクらははじめて、片山儀太郎氏が映った写真を頂戴した。
これまた奇異ながら、この瞬間まで、儀太郎氏の写真はどんな文献にも載っていなかったんだ…。
諸々な文献から彼・儀太郎氏が瘦せ形でほっそりし、銀縁のメガネをかけていたというコトは判ってた。
それがついに、像が結ばれたワケなのだから、嬉しいのだ。
彼が、木材商に似つかわしくないインテリ風味であったコトも知っていた。
なので、ボクは… かつて見た映画「帝都物語」の中に登場の坂東玉三郎演じる泉鏡花を念頭に浮かせてたんだ。
でも、現実の彼は、眼元に厳しさがあって、一種の凄みがあり、それで途端に、ボクは玉三郎じゃなくって、同映画で幸田露伴の役で出ていた高橋孝治に似てるじゃんか… と、思い直したりした。
でも、誰に似ていようがそれはたいしたこっちゃない。はじめて対面出来た写真の中の儀太郎さんにボクは幾度となく挨拶したりして、嬉しさ全開なのであった。
100年以上前と今とが一葉の写真でやっと結ばれた感動は… でかかった。
その上で、お孫さんたる100歳の人から聞いた晩年頃の儀太郎さんの話の数々。
すごくでっかいギフトを頂戴したような歓喜だよ、これは。
てなワケなので、これはまた… 何らかのカタチで、まとめなくっちゃいけない。
いささか埋もれてしまったかつての大きな人物を、埋もれたままにしておくのは、惜しい。
退席時、100歳の人とボクらは握手した。
これまたオドロイタ事にその手は瑞々しくて柔らかだった。
あたたかった。
春になったら、ボクは彼女の元をまた訪ねるコトになるだろう。
それまでに… やっておかねばならないコトが、多々ある。


※ 昨日の山陽新聞のコピーを即座に送ってくれたSUNAHARAちゃんに感謝