今週のアレコレ


この前の水曜日。
Tetsuya Ota Trioのライブの夜は雨だった。(上の写真はリハーサル中のヒトコマ)
小雨ならまだしも、それなりにしっかり降ってくれた。
そんなんだから、きっと、お客も少なくなるだろ〜と思ってたら、なにがなにが…。
フタをあけるや続々ゾクゾク。
第1部がはじまってからも遅れて来た人がゾロリンコ。
数を少なめに椅子を用意していたから、当然に足りない。
演奏がはじまっているから物置に近寄れないし、やむなく、雨の中を近場の知り合いのBARに駆け、丸椅子複数を借りて使ったものの、なお足りない。
足りないどころか、すでにボクとレジ担当のSちゃんの場所もない。
なので第1部は彼女と2人、レジ金庫を抱えて外に出て、軒先に立たざるをえなかった。
出っ張ったヒサシがないから肩先はすぐに濡れるは、寒いは…。
「う〜ん、ライブびよりだな〜」
暗い雨天を眺めるのだった。
「早く第1部、終わってくれ〜」
と、実にゲンキンに… そう思ったりもしたもんだけど、ガラス窓の中を眺めるに、ピアノとベースのかけあいMCにお客は大いに笑ってる。
これは… な、長引くぞ…。
第2部に入るまえの休憩で、椅子を追加、後方で立ち見のお客を誘導したり、席を替わってもらったりとアタフタと働く。
ピアニストTetsuya Otaのライブステージのヘルプをするようになって、早や、数年になるけど、知らず役割分担が出来ていて、ボクはドアボーイと誘導を司る。
ツカサドル… というのも変だけど、気概としてそうなのだから仕方ない。ドア廻りはオレに任せろなのだ。
とはいえ、ミスもする。
なんか… レジが2000円ばかし合わないらしい。
ボクがミスったか… わからない。そも、判ってりゃミスはしないもんだろうし、さりとて、今までにないくらいアタフタしちゃった客の入り。
まるでよからぬ薬の売人みたいに、雨に濡れつつ立ったままで暗がりでレジをあけ、何人かにチケットを渡してツリ銭を渡したりだったから… うむむ、気がかり。
ともあれ、馴染みの顔に話しかけたり話しかけられたりするのは楽しいもんだ。

こたびのライブで一番におかしかったのは… ある女性の反応。
彼女はちょっと前にBARで知り合った人で、たまたま、この雨の日に映画を観ていて、その足でライブに寄ってくれたんだけども、ステージ上の3人については知識なし、なのだ。
なので彼女は廻りの客の反応やらMCの内容なんぞを聴きつつ、"センセイ"という語句がアチャコチャに散見していたもんだから、
「このピアノの人はピアノの先生だ」
そう思ったらしい。
そう思い決めて、最後までズ〜〜ッと楽しんでいたそうな。
いいな〜。
こういうの、好き。
全部おわって、片付けて、もちろんに大急ぎで借りてた丸椅子も返却し… スタッフとミュージシャンにバイバイして、これまた近場の別のお店へ。
Kと合流。
彼女が岡山にやってきて以来、このバンドのライブデーのアトは彼女と1杯が慣例化しちゃってるんだけど、アホ〜な話に花を咲かせるのもイイもんだ。
ま。アホ〜な話をするのはもっぱら我が輩なのだけども、気がつくと、雨があがってる。


土曜の昼2時。天神山文化プラザでの芝居「楽屋」。
清水邦夫の作品。
一種の幽霊譚。なかなか面白い。
照明が善い。実はTetsuya Ota Trioの照明と同じチームの仕事。
ホントは今回は芝居の裏方としてスタッフ参加を要請されたんだけども、いささか何かと多忙ゆえ、「お心にユトリなし」と別な人にお願いをしちゃってたんだ。
なので、堂々と客席に座っちゃう。

複数の知人が席のアチャラコチャラにいる。
一様に、我が頭髪の変化に、
「あっ」
だの
「わっ」
だの反応あり。
で、概ねは、
「なぜ?」
と、問われる。
終演後、「楽屋」の楽屋を慰労訪問。
演出のF子さんに、
「けど、ハゲはハゲのままね〜」
一笑され、かつ、ペシリと頭をたたかれる。
好きだな〜、この人。

芝居は全5回公演。
同じテンションを5日ほど保たないといけない難しさを、彼女は、
「ま、そこが好きなのよ。それが面白いのよ」
と、また笑う。
観覧後に久しぶりに一元でカツそば。
この店の真ん前のヤマトの麺もいいけど、一元のも好み。


遅れることおよそヒトツキ、誕生日プレゼントを某人より頂戴する。
内澤旬子著:『世界屠畜紀行』
世界の屠畜場を廻ってのイラストルポ。
なかなかの読み応え。
生き物が殺され、肉となる現場の話。
差別問題、動物愛護、検査、諸々な知られざる話がずいぶんに面白い。
(ただし、イラストそのものは線が細くって、老眼にはかなり見にくい… 文庫版もあるようだけど、ボクが老眼ズ・ランなのを知ってるから単行本を贈ってくれたらしいのだけど、でも、絵はみづらい)

常々に、獲物を捕らえて屠り、それを肉にする人をボクはひそかに尊敬というか、憧れに近い感情でもってみているのだけど、いまだ魚一匹、さばいたことがない。
だからこその憧憬なのだろうけど、男子たるや、鶏の1羽っくらいはさばけた方がいいなとは… ズ〜〜ッと思ってた。
生あるものに → 死をあたえ → 肉にする
この過程を我が身に刻んで、それを残酷ととるのか、そうでないのか、あるいは、殺した鶏をはたして自分はチキンとしてキチンと食べられるのか… そういったところに興味をもっていた。
幾つかの外国の映画に、動物を捕らえて屠って食べちゃうシーンがあって、それがいつまでも印象に残るというコトが、ある。
薔薇の名前』の豚の血で充満した巨大な瓶(かめ)。
ハリソン・フォードが遊覧飛行のパイロット役で、客の女性と無人島に不時着して… 湾岸に集ってる大型の鳥を捕らえて食べる… なんとかいう映画。
リチャード・ギアの、円卓の騎士の話たる『トゥルーナイト』での敵方の王の食事の光景…。
TVのシャーロック・ホームズ・シリーズの、ガチョウのお腹の中のダイヤモンドの話…。そこにみる、X'mas直前の各家庭がガチョウを生きたまま買う英国の風習。
いずれも屠殺そのもののシーンはないけれども、生 → 死 → 肉、が根底にある。
それらを眺めるたびに、たとえば、獲物の毛を抜きとっていくところとか…、
「よく、あんなコトが平然と出来るな〜」
との、感想が否応もなく浮く自分が、どこかイヤなのだった。
血をみて、文字通り、血の気がひく… その脆弱が気になっているんだ。お肉大好きな人間ゆえに。
なので、この本は、良い参考になった。
上記のホームズのTVドラマのような、家で飼って、それから食べちゃう… のは、どうも世界のどこでもがそうで、我が国のみ(?)がその辺りの消息が途絶えているような感じらしい。
エジプトでは、どの家でも屋上で、屋上なくば室内で… 羊を飼い、祭りとなれば屠って、食べるのがアタリマエ、だそうな。
アメリカのカウボーイ達のあの帽子はなぜにツバ部分が広いのか… そんな、あたりまえながら今まで誰も教えてくれなかったコトの真相をも、この本では教えてくれる。
早い話が… テキサス界隈は日差しが激烈に強いのだ。アラブの砂漠同様、数分も直射光を浴びると皮膚が燃えるようにヒリヒリする土地柄なのだ、そうな。
帽子は必需。それもツバヒロ。
なので、さらに念入りに、首筋界隈の保護としてバンダナもまた必需のアイテムだったのだった。
あ〜、知らんかったな〜、モ〜。