展示物としての紙の模型。
これの最大の注意点は、たぶん、熱だろうと思える。
物体が大きくなればなるほど、その比重も高くなる。
今、取り組んでる模型は1mほどの長さのものだけど、内部にLEDランプが入る。
それも22燈。
それも割合と狭い範囲での密閉空間に集中をする。
LEDは微少なチップだけども、ある程度の熱を放つ。
短時間は問題ない。
だけど、朝の10時から夜の7時まで連続点灯となると… これは話は別だ。
密閉ゆえ問題大いに有り、なのだ。
熱で紙が反る可能性が高い。
ヘタすれば、焼けるというコトもありうる。
そんなコトになれば、大事(オ〜ゴト)だ。
なので、それがどの程度に"悪しき"か、あるいはそうではないのかを… 検討しなくっちゃ、いささかヤバイのだ。
そんな次第あって、先週から今週にかけて、LEDと紙をどううまく合致させるか… ずいぶんと悩んだりしてるワケ。
紙特有の弱点としての"反り"の上に、熱対策…。
ABSとかプラスチッック樹脂なら、そうも心配しなくっともいいけど、紙は… 脆弱だ。
けども、ABSにもプラスチックにもない利点も大きいのが、紙なのだ。
この悪しき点と良性点を天秤にかけて、うまく釣り合わせようとしてる今日この頃。
気づくと、外はもう春の匂いだ。
ささやかなホームガーデンの中央に植えてるユスラウメに白い花が咲いている。
去年は大量に赤い実りがあって、ボクはそれをジャムにした。
あんまり美味しくはないけど… "手作りなジャム"という1点において、なにやら誇らしい。
今年もまた、収穫できるかな?
と、花咲いたユスラウメの枝をば眺めて、またぞろ… ジャムを思う。
ジャムの赤みとLED燈の赤みとが、頭の中で明滅する。
ちょうど去年の今頃。
アマゾンのCEOがお金を出し、NASAと共に、かつてのアポロ計画で使われて今は海底に沈むサターンロケットの第1段ロケットを回収しようというプロジェクトの報があって… このブログにも記したコトがある。
このプロジェクトの成果が、1年を経て、またニュースになった。
2基ばかり、回収したんだから… 素晴らしい。
アポロ計画のどのミッションのものかはまだ判っていないようだけど、4000mの深みから取り出したんだから、素晴らしい。
第1段ロケットにはF1という名のエンジンが5つ附いていた。
その内の2つだ。
この写真で見る限り、小さいように思うだろうけど、部分に過ぎない。
F1はホントはでっかい。
写真にある通り、回収出来たのは、ごく一部だ。
このロケットエンジンが現実に使われるのは、たった2分半ばかし。
たった2分半で、12階建てマンションと同じ長さで、マンションよりはるか重たいアポロサターンを65Km上空にまで持ち上げる… のだから凄まじい。しかもそれには人が3人乗っている。
2分半たらずで垂直に65Km移動しちゃった人間は、今のところ、アポロ計画の宇宙飛行士たちだけ… だよ。
強靱なF1エンジンの開発と使用は、歴史に残る大きな人類の足跡だ。
アマゾンのCEOは、"文化事業"としてこれの回収作業にお金を供出したワケ。
海底に沈んだ写真をみると、F1エンジンは使用後にかなり破損しているコトがよく判る。
F1は第1段(S-IC)の最下部にあって、その周辺4カ所(合計8ケ)に、実は、逆噴射ロケットも内蔵されている。
第1段(S-IC)が燃焼を終え、第2段(S-II)ロケットが点火して第1段めが切り離されると同時に、この逆噴射ロケットも作動する。
さらに上方へ向かう第2段めに干渉しないよう、切り離された第1段ロケットに急ブレーキをかける役割だ。
この逆噴射ロケットに火が入った途端、第1段ロケットのF1部分界隈は、壊れる。
F1のカバーをかねたフェアリングが吹っ飛び、姿勢制御のための4本の小さな"翼"も吹っ飛ぶ。
これで第1段(S-IC)は第2段めロケットに衝突する勢いをなくし、誰にも制御出来ない物体となり、アトはもう落下するのみ…。
ヒュ〜〜〜・ストン…。
65Km上空からの落下衝撃がこれに加わり、S-ICとそれに付随の5基のF1は大破して海中に沈む。
今まで、それがどれくらい破壊されているか、眼で確認出来ていなかった。
それが今回の引き揚げで、はじめて、どのように壊れて沈んだかが、判ったワケだ。
写真:F1エンジン部分のこれはペーパーモデル。
回収されたF1は補修され、これは今後、スミソニアンとシアトルの博物館で別々に永久展示される予定だそうな。
けども… ボクは、この"沈んでる状態でのカタチを見せる展示"も、有りなんじゃないかな… と思ったりする。
巨大な水槽に水をはり、砂をいれ、そこに沈んでるF1を再現するみたいな…。
ともあれ、企業家がこのようなカタチでお金なり情熱を供出するというのは… いいコトだ。
NASAという、いわば役所でもある組織。
1企業のオーナー。
ミュージアム。
こういった色合いの違う組織と個人が、"保存"という命題でもって共振して連動してコトを成しちゃえる所も、いい。
我が国では、なかなか… そうは事がすすむまい。
などと書いてる内に、さきほど貼り合わせた紙と紙が乾いたようである。
早や、片面が反りはじめている。
重しをのっけ、
「あなたはマッスグにしてなさいや」
いい聞かせなきゃいけない。
紙が面白いのは、どこかの時点までは、紙は紙なのだけども、カタチを造ってやって、切って、貼ってく内に、紙は紙でなくなって、もう反ったりもせず、そのカタチの"モノ"になってくところだ。
その昔、ミケランジェロは山から堀り出されてアトリエに運ばれた大きな大理石の塊をさして、
「この中に彫像が眠ってるんだ」
みたいな発言をなさってるけど、紙にも、なんか… そんな似通うアンバイが隠れてら。
閑話休題。
NHKの堀潤アナウンサーが退職とのこと。
彼が岡山局勤務だった頃、2度ばかり、シンフォニーホール前の交差点ですれ違ったコトがある。
夜中で、まったく同じ時刻での横断歩道でのすれ違いであったから妙に印象に残ってる。
2度ともに生意気そうな顔だ… と、印象した。
その後、東京へ移動してからのリポーターとしての彼の姿をTVの中に観て、その生意気な感じに上乗せて、「何も走るコタ〜あるまいに」などと、演出の在り方を含め、なんだか堀潤って好かんな〜… と思ってたんだけども… 退職の顛末をきいて、彼を見直した。
実は芯あって志しある人物のよう。
個人と組織。
見解と相違。
軸となる足をどこに置いて円を描けるか。
どれっくらいな円を描けるか。
多様だからこそ面白くもあり、多様だからこそ面倒でもあり… 自分というカタチをどう維持し、どう保存しつつも、どう伸ばしていけるのか… 諸々、考えさせられる今日この頃なれど、不本意と思える退職とはいえ、今後の堀氏にエールを贈りたい。
強大かつ巨大な組織に向けて1本の筋を自身で引いた決断の大きさを賞賛したい。
このニュースを知る前夜、これまたまったく偶然ながら、ボクはVHS(!)で、『ミステリーゾーン』を観てた。
もう随分と前に友人が録画してくれていたものだけど、観る機会がなくってホコリをかぶってたのだけど、それに収録されてる一篇にある映画のあるロボットがいささか改造されて出てるってんで、VHSを観たワケだ。
で、全部で6話入ってたその中の一篇が、妙に際どく、今を物語ってるのがあって、ロボットのことを忘れて、
「おや?」
と、魅入ったよ。
核戦争があって10年後の世界の話。邦題は『洞窟の予言者』となってるけど、これは『洞窟の預言者』が正しいと思うけど…。
とある小さな街の生き残りの人達は、山に住まう預言者の云うコトを信じて生活してる。
基本として、食料のこと。
栽培した野菜、拾った缶詰などなど、汚染の度合いを、食べていいかどうかを預言者に尋ねる。
ほとんどの食料品が、ダメの烙印をおされる。
なので街の人達はひもじい。
けども、核の汚染が怖いから預言者の云うことを聞く。
そこにジェームス・コバーン率いる政府直轄の軍人を自称する連中がやってきて、街に大量にある、食べられないままになってる食料を漁る。
街の人達の前でムシャムシャ食べて、安全じゃないか、何を怯えてる、と高笑う。
それをみて、街の大半の人達はガマンを解除し、軍人らとムシャムシャする。
呑んで喰って笑う。
山の中の預言者(電子頭脳だ)をたたき壊す。
ごく少数の人のみが、それでも預言を信じ、ダメといわれたものは口にしない…。
物語の骨格は、その預言者たるが電子頭脳であったというトコロにあって、これは今のボクらの眼にはもはやあまりにも陳腐なのだけども、今観て鮮烈なのは、舞台設定が戦争後、核汚染されて10年も経ってるというトコロ… なのだ。
10年後の世界でも汚染が深刻なのだという状況を、これは1964年の作品でカラーじゃなくって白黒の、それほどに古い作品なんだけども、チャンと描いているんでビックリしたワケなのだ。
セシウムとかセシウム96といった言葉が飛びかう。
何より鮮烈なのは、眼にはみえないそのセシウムをどう解釈するかで… ジェームス・コバーンの軍人らの参入でもって、ダイジョ〜ブと思う人とそうでないと思う人と、街が二分していく有り様だ。
個人。
集団。
自意識。
他者の眼。あるいは他者の振るまいへの共振…。
反撥。
そこに生きる人すべてが、何に、どこに自分の軸足を置くか… という選択を迫られる。
TVの、それもSF物語ではあるんだけども、1964年にすでに、長期に渡る汚染の度合いと、そこで生きる人を物語にしている… 放射力というか鋭敏さあるドラマが作られてたってコトに、ボクは眼をはらされたワケ、なのだ。
それが… 核の汚染を真摯に意識的に発言しようとした堀潤氏とに重なってるワケ、なんだ。
2年前の3月の春景色と、今。
何が同じで、何が違うか… ゆらゆら考える。