静岡のタミヤでB-29を思い返す

先日。
静岡市
岡山ではまだ二分か三分という具合だったのに、静岡市内の桜はいずれも満開。市街の随所に淡い色彩を加えてた。
目的地はタミヤ模型本社。
ホビーショーでの製品披露で何度か静岡に出向いてはいるけれど、タミヤを訪ねるのははじめてのことだった。

ミニ4駆だのプラモだのの宣伝めいたノボリもなければポスターもない。
屋上にTAMIYAのロゴがあるきりで、不要な飾りがいっさいない本社ビル。
エントランス部分の四角い池が、L字型の2棟構成のビルに良くマッチしていて、鮮やかな色合いの鯉が何匹も泳いでる。
深いところをゆっくり、40cmを越してるとも思える大型の黒いのが泳ぐ。
タミヤに来ているからじゃないけども、模型の潜水艦をボクは想起した。
大型の周囲に20cmクラスの小型が10数匹、船団めく隊列を組んでいる。
濃いめな緑に染まったその水面の中央をまたぐ形で広い階段が設えられ、ステップをあがって本社ビルに入る。
不思議に思える程の清潔感と瀟洒な気配。そのうえ静か。
受付とそれに連なる展示物の数々。本物のF1レーシングカー数台、ポルシェ、幾つかの車輛、そしてガラスケースにおさまる模型…。
広い。


約束の1時。
今回は、ちょっとした用で某大学の教授と2人での訪問。
20年来の友人たるタミヤのH君がにこやかに歓待してくれ、すぐに用の開始。
カメラマン、ライターが加わり、社屋からいったん外に出て何枚も写真撮影。
とはいっても、今回、ボクは橋渡しの役。裏方だ。
撮影され、取材されるのは我が友でもある情報科学科の博士の方。

これは某誌の記事になって6月頃に発刊される。
いささか肌寒く、風もやや強い日だったけど、撮影時には陽光が注いで目映い。

H君たちタミヤ・スタッフも、もちろんボクらもまったく想定していなかったのだけど、この撮影時にまったくたまたま… タミヤの会長が外出しようとしてた。
黒塗りの社用車たるセルシオはいったんは駆けだしたものの、ボクらに気づいて停止。
「今から商工会に行く所なのですと」
伝説の人、田宮俊作氏が後部座席から降りてきた。(当然にドライバーは別の方)
模型を幾つも作ったり、模型を好きな人、わけても40代、50代、60代の、そんな模型ビトにとって、田宮俊作という名は、法外な… 屹立した、いわば"活ける聖書"めく固有名詞なのであるから、この突然の"実物"の登場にボクは、
「!!」
で、教授も、
「!!」
H君たちも、いささかに、
「あれっ?!」
なのだった。
挨拶し言葉を交わす。
80代に見えぬ健やかさ。
なワケで1枚、写真をパチリ。
田宮氏と我が友。(下の写真)

その後、H君の案内で社内をたっぷりと見学。
アレを見てコレを聴き、ソレを知らされて、ホホ〜ッ、ヘ〜ッ、と感嘆を繰り返す。
案内される内に数時間が経って、そこでまたサップライズ。

帰って来られた会長氏がボクらがまだ社内にいるを知って、歓談の席を設けたくれた。
お茶をすすりつつ、そこで聞いた話のアレやコレ。
まだここには書けない内容もあるけど… 静岡における空襲時のプライベートな話を聞けたのは法外な予期もしない喜びだった。
たまさか、この岡山でのミュージアム・ワークとして、空襲で消失した岡山の図書館(岡山県立戦捷記念図書館など)などを模型化して、空襲、B-29、消失、避難…  兵士としてでなく、一市民として戦争を体験するというコトに、なにやら興味を持っていたから、余計、氏の話は興味深かった。

ボクは爆撃機の音について、とくに興味があって、それは過去、ミュージアムの講演時にも、何やらくどく話をしたのだけども、田宮氏の語るところを要約すると、
「全方位から低音が響く」
のだそうな。
固有の方向とかいった感触でなく、いわば、天も地もが、その轟きにくるまれてしまう… といった感じなのだろうか… 空襲を実体験した氏を、ひそかに羨ましくも感じつつ、聞き入った。

岡山には、1945年の6月29日未明、138機のB-29が攻め寄せた。
ご承知の通り、この爆撃機は巨大な4つのエンジンで飛行する。
当時、米国のみが作りえたターボ・エンジン。
エンジンの燃焼室に強制的に空気を送り込む。それによって酸素濃度の低い高所でもエンジンが動く。プロペラが廻り、平然と飛べる。
当時最新にして新鋭の技術の極地が、B-29だった。
1つのプロペラの直径だけで5mを越えるという巨大さ。
ただの1つでも、それが発っする音は大きい。

これが138機。合計で552のエンジン音が、かの未明、岡山市街には轟いたはずなのだ。
が、意外なコトに…、この音による恐怖を、情感を、感触を、探る手だてがあんがいない。
被災の証言は数多あれど、あんがいと、音のことが語られない。
それゆえに、田宮氏の話に、聞き入った。

上空の飛行機群は姿がみえない。一方で重低音が市中に響き渡る。
よって、人はてんでバラバラな方角に逃げ惑ったらしい。
よって、不運な人は、まさに今から爆弾が落ちるという方向へと駆けている。子を連れ、母を背負って、懸命に… 爆弾が落ちる方向に駆けている。
岡山と違い、静岡は20数回の爆撃があった場所。
山並みに溶け合って接近した戦闘機コルセア、あるいはグラマンの、その低空飛行。
パイロットの姿。
機銃照射。
夜、昼、焼けた匂い、煙、炎。

強靱なチカラで容易(たやす)くなぎ倒される、なぎ倒す…。
被害と加害。戦争、平和。
生、死。利益、損失。
生産、非生産。洗練、非洗練。
技術の優劣。竹と布、ジュラルミンほか合金。
旧態、新態。
これら両極が氏の中ではせめぎあうような対の壁として、以後も知覚され続けていたろう… と思われる。
そういう事々を氏は刻んだ上で、模型で当時の機影を再現する。
この軸足は明らかに好戦者のそれではない。
何があの時、上空にいたのか… それを知る1つの手がかり、検証というコトでもあろうか。
これだけの製造業の雄たる会社のトップが、これはこちらから問うたワケではなかったのだけど、
「揺れが頻発する不安定な国土にそれはもう無理でしょう」
という内容でもって日本の原子力発電についての見解を述べられたのも、同じ軸足からのものだ。

で、談笑しつつボクはまた、かの日の岡山上空を思い返す。
B-29には11人のクルーが乗っていて、それぞれが大事な役割についていた。
全員、若い。
10代後半から20代半ば。
138機×11人。
1518人のヤング・アメリカンが上空から岡山を見下ろしていたワケだ。
これまたご承知のように、B-29は高々度を飛ぶよう設計されているから窓は開かない。皆さん、酸素マスクを取り付けてらっしゃる。
耳にはレシーバーが取り付いてる。

いわば彼らは"宇宙船"めいた、閉じたジュラルミンの筒の中にいるワケだ。
逆に考えると、彼ら1518人は自身が乗った機体の音は騒音として振動として聞いているけれど、眼下で燃え出す街の音はまったく聞いていない… と思える。
そこにも何やら、奇妙な感覚をおぼえる。
実に、空襲という非常事態は奇妙なのだ…。
ボクの年長の知人は岡山空襲のさい小学生だったというが、旭川沿いを逃げつつ学校の友人とばったり遭い、
「明日はガッコウは休みじゃな〜」
と、お互い、破顔したという。
家が焼け落ちているのを目撃しつつも、だ。
少なくとも彼女らはその時、恐怖や戦慄でなく、明日学校が休みになると… 喜んだ。
そこにもまた人間の奇妙をおぼえる。
だからか… 空襲による怨みや辛みでなく、地上と上空、組み合わされるコトのないAとBがフイにかき混ぜ合わされた結果に生じた、一種の不思議めく感覚、奇妙さを… 身としてボクは味わいたいと思うのだ。
それが悪夢なのかどうかも、含めて… 上空からの感覚、地上で必死に逃げ惑う感覚、この2つを知りたいと思うのだ。
上記の通り、岡山上空にいたであろう1518人の青春。
あるいは、静岡の上空を飛んだ青春。
地上で右往左往せざるをえなかった数多の青春。
田宮俊作氏を前にして、茫漠とそんな事々が頭をよぎってた。

残念ながら、タミヤからはB-29は発売されていない。
もしももしも… 可能なら、タミヤから販売されるB-29(可能性は薄いけど)の4つのプロペラは回転し、連動してエンジン音を出せる仕掛けになっていて欲しい。
ボリューム調整可能な、タミヤ本社内に展示されていた、実に秀逸な、あの音も聞ける零戦の模型のように。


歓談を終え、別室に移って、そこでやっと、この日のメインワークたるインタビューを受ける。
前記の通り、ボクは橋渡しの役割なので、静かにを心がける(苦笑)。

 ※ 左はタミヤ本社内のトイレ。さっすが世界のTAMIYAだ。チャンとデカール処理が施されてた (^_-)



すっかり夕刻。
タクシーを呼んでもらって静岡駅方面へ移動。
「お客さんたち。良かったですね〜、もう5分、遅れてたら、この道は競輪場からの帰りの車でゴッタ返すんですわ、こんな風にスムーズに流れなくなります」
とのコト。
タミヤ本社のすぐそばに競輪場があるのだ。
そ〜なのか… 知らんかったわい…。


夕飯にはまだ少し早いけども、静岡駅近くの、生わさびのキレが鋭いと評判の蕎麦屋で、ざる蕎麦と春野菜の天ぷらをオーダー。
けども、どういう次第か、この日は、そのわさびが売り切れてしまったとのこと。
「練りのワサビになりますので80円引かせてもらいます。それでよろしいでしょうか?」
とのこと。
「はいはい」
残念なような、でも80円、お得をしたような… でも、やはり大きく損したような…、で、ともあれ、ビールで乾杯。
大のおじちゃん2人で、TAMIYA話、模型の話にハナを咲かせる。
いや、ホントはこの場合、日本酒の方が良いのじゃあるけれど…、多少の興奮をば醒ますという意味合いで冷たいビールをば、となったワケ。
まだ、プロペラ音が胸の内に鳴ってる。