北極の基地潜航大作戦 〜判らない酒の銘柄〜

60年代に、007シリーズでおなじみのイアン・フレミングと双璧な作家としてアリステア・マクリーン(代表作は『ナバロンの要塞』)がいたけど、この人の原作たる映画『Ice Station Zebra』が良い。
邦題はとてもダサイ。

『北極の基地 潜航大作戦』
なんでこんなショボな日本語タイトルになっちまったのか皆目わからないけど、映画の出来は素晴らしい。
久しくVHS版(ずいぶんと前にスターチャンネルで放映された録画ですわ)で観ていたけど最近DVD版があるのを知って、買った。
(新品は今現在は絶版で、中古品ですけどね)
でも、買って炯々と眼が輝くくらい、それっくらい、これはおもしろい。


1968年の作品。
米ソ冷戦時代の、いわゆる水面下での競り合いが話の本筋。偵察衛星が映した写真をめぐってのお話。
エイズでなくなったロック・ハドソンが主役。
でもって、TVシリーズプリズナーNo.6』のパトリック・マクグーハンがもう1人の主役なのだから、こりゃま〜、必見なワケなのだ。
この映画の撮影はその『プリズナーNo.6』と重なっていたから、どのエピソードだったか忘れたけど、マクグーハンの出演がちょっとだけ少なめなのがあったハズ…。
それは余談として、ともあれ、この映画の中ではハドソンもマクグーハンもシガレットを吸う。お酒を呑む。
今回は、そのお酒とタバコのことを書く。


物語の大部分は潜水艦内での話だ。
米国の原子力潜水艦の型式に詳しくないから、撮影に使用された潜水艦の実名は判らないけど、実は、隠れた潜水艦映画の傑作だったりもするのが本作だ。魚雷の1本たりとも発射しないけど、船内模様がダントツにいい。
潜水による船内傾斜の具合、部屋割り、大勢の艦員、指令とその受諾などなど、実にキメ細かく描かれる。
でもって、その中でマクグーハンはシガレットを吸う。(当時は、禁煙ではなかったのね潜水艦は)
厨房に勝手に入り、紅茶を作りもする。
ハドソンは艦長で、マクグーハンはこのサブマリンに特務をおびて乗り込む英国の諜報部員。だから紅茶なワケね。
劇中のマクグーハンは凄まじいまでの偏屈野郎な上に、猜疑心、みくだし、慇懃にして無礼、皮肉… その一方でメチャにおしゃれ(ジャケットの裏地は真っ赤だよ)と、クライマックスまで、敵なのか味方なのか、いわゆる2重スパイではなかろうかと疑いたくなる怪しい人物で、真の立ち位置が皆目わからない。

独特なアイリッシュ訛りでしゃべるマクグーハンの『プリズナーNo.6』をご覧になっている方なら、
「あ〜、あの村に幽閉された諜報員はこんな仕事をしてたんか」
と、ちょっと錯覚するような感じもあって、だからこの映画は2重に美味しくもある。
苛立ちを押さえてる時に左手の小指をヒクヒクさせるという、このマクグーハン特有な演技もちゃ〜んと健在。
劇中、彼は、細巻きの茶紙色のシガレットを皮製のブラックのケースに入れてる。
ライターはシルバー。
これがオシャレだ。
ケースとライターはほんの一瞬にチラリと登場するだけだけども、その一瞬にこの英国諜報部員のカタチのキレが味わえて、とてもイイ。
ライターはダンヒルだろう。艦長のそれは当然にジッポーだ。(吸ってるのはケント)
『マルタの鷹』でボガードが刻み葉ッパを辞書に巻いてシガレットを作り、悠々とそれをお吸いになる名シーンがあるけど、ボクにはこのブラックなケースもまた、実にカッコよく見えてしかたない。
乗艦するやスグに、艦長の問いには応えず、「米国艦船内は絶対に禁酒ですか?」心を落ち着かせる飲み物は置いていないのか、とウイスキーを暗に要求するくだりも最高だ。
60年代には広く喧伝され云い慣らされてたジョンブル気質、生活慣習のこだわり… 米国人との差異を示す手がかりとして、ここはけっこうポイントの高いシーンでもあり、秘密任務の内容を知りたい艦長の興味を惹いておいて、
「ボクは船酔いをするタチでね」
やんわり恫喝してアルコールを勝ち得るという、諜報員の交渉術の長け方に、ありゃりゃ、と感心させられもする名シーンなワケだ。


ちょっと話がそれるけど、近頃の映画のヒーロー達はシガレットもたしまないし、お酒も呑まずで… 身辺に上記のような小道具がないんで… つまらない。
ある種の人間っぽい営みの痕跡も、粋も、さほどに感じられないんだ。
タバコもサケもなくっても、ヒーローはヒーローなのじゃあるけれど、さ。


マクグーハンが艦内で呑むウイスキーは、画面で特定できる。
写真は、船内でズブ濡れになった彼が暖をお酒でとるシーン。
コーヒーカップに入れて呑んでるけど、卓上のボトルで銘柄がわかる。

登場する潜水艦は米国の艦船ながら英国を母港とする。
よって、物品の調達も英国からというコトなのであろう… バーボン系じゃなく、英国調達の、バランタインが船内の"医療用"として、有るというワケなのだ。
そう、あくまでも医療用。
だから基本として医務官のカバンに入ってる。
バランタインはスコッチだ。
ボトルの図柄で、お酒を知っている人なら、すぐアレだなと判る。
バランタイン・ファイネストというヤツで、今も販売されてる。
今も昔も高くはない、スコッチのスタンダード。
このバランタインが小道具として、演出上、けっこうよく画面に登場するから、印象が濃い。


巻頭で、パブが出てきて、そこに艦長のハドソンがいる。
これはどこなのだろう… と映画を観てる人は思うワケだけども、そこが英国と判る仕掛けは、カウンター上のビールだ。

今も英国では人気の、バス社のバス・ペールエール
いわば日本のキリンビールみたいなもんだわさ。

それがカウンター越しに立って呑んでる人の前にある。
でも、これはあくまでも一瞬だ。
なので… 店の外にミニを駐車させ、かつ別のミニを1台街路を走らせることによって、画面の場所が英国イギリスと観客はハッキリと判ってくる。


68年当時の英国じゃ、モーリス・ミニかオースチン・ミニが路上の定番なのだ。
監督のジョン・スタージョスはこの辺りの演出がとてもうまい。
しかも、ちょっと霧が出てる。そうなるともう、そこはイギリスだわさ。


で、主役のハドソンがその店で飲んででたら、電話がかかり、彼は別の店に移動する。
ワンランク上のパブに出向いた彼は、そこのプライベートルームで上官に会い、会話の前に
「Pour you a drink?」
お酒を勧められる。
対してハドソンは、
「Mists of the Scottish moors」
当時の、スコッチウイスキーの売り文句めくセリフを呟いて、ボトルから自分でグラスに注ぐ。
スコットランド原野の霧」ってなニュアンスの一語。
翻訳はその辺りをうまく日本語に直せていないけど… だから、ここでハドソンが飲むのは、まず、まちがいなくスコッチだろう…。
だろう…、というのは、実はこの画面に登場のボトルの銘柄が、ボクには判らないからだ。

講談社は毎年、『世界の名酒辞典』という本を出版してくれていて、これはお酒の種類・銘柄を知る非常に良い手がかりとなる"資料本"なんだけど、いかんせん、1968年頃はまだ販売されていない。
ボクの手元にある1番に古いのは、1995年版で、講談社がこのシリーズを販売し出したのは、1986年頃からだ。
だから、もう既に絶品、販売されていないスコッチなのかもしれないのだけども、映画で観る限り、これがなかなか良い感じなボトルなのだ。

4角じゃなくって、どうも、これは3角形のようだ。
68年当時では、知ってる人は知ってるウイスキーであった可能性が高いのだ。たぶん、いささか高級。
だのに… 2013年のボクには、それが判らない。
口惜しい…。
このシーンをキャプチャーして拡大してみるに、CLNCH… と白く書かれているようにもみえる。
95年版『世界の名酒辞典』のスコッチの項目に、このブランドだか銘柄の名はない。

ひょっとすると、CLNCH… ではないのかも知れない。
ううむ。
うぐぐぐぐ。
知りたいじゃないか…、この瀟洒なボトルのスコッチの名を。
あわせて、その、お味を。
すごく気になってしかたない。


ちなみに、恥ずかしながら… マクグーハンが艦内で何度も呑む『バランタイン・ファイネスト』を、ボクは飲んだコトがない。
なんだか、それだけのためにボトル1本を買うというのも、ちょっと何ではあるし…(劇中で使われているのは、ハーフサイズのボトルで、日本だと1000円ちょっとね) けど… マクグーハンを真似て、眉間険しくして飲んでみたくもあるし。
ボクの知るごく僅かなBARには、バランタインはあるけど、銘柄が違う。
たいがい、高いのしか置いてない。『バランタイン17年』とか『ゴールドシールド』とか… 基本としてボクはビール&焼酎党なので、BARでウイスキーをオーダーする勇気がメチャに足りなくもある。ぁあ、こまった(苦笑)。

というような感じで、ボクはこの映画を観てるワケ、何度も。
登場人物たちのシガレットやらお酒のあり方に、ひそかに、
「かっこイイな〜」
と、羨望をおぼえてるワケだ。


これまた余談だけど、68年度だか69年度のアカデミー賞でこの映画は2つの賞の対象になったけど、残念なことに両方、落ちちゃった。
撮影賞として最有力とノミネートされたけど、賞を勝ちえたのはオリビア・ハッセーの『ロミオとジュリエット』。
特殊効果賞もノミネートされたけど、栄冠に輝いたのは『2001年宇宙の旅』だ。
特殊効果はたしかに『2001…』が当然だろうけど、撮影賞は惜しいな〜。

そう思うほど、映像が素敵な映画だよ、『北極の基地 潜航大作戦』は。今に残る僅かな文献をあさるに、この映画に米国海軍は潜水艦一隻を乗員共に数日貸し出した上に、防水ケースに入った大型の70mmカメラをデッキに溶接する許可も出してる。
しかも、このカメラはケーブルで艦内に結ばれていて、ライブに映像を確認出来、リモコンで操作できた。ケーブルを通すだけとはいえ、潜水艦なんだから、その辺りの工事はチョット尋常じゃなかったハズ。
よく許可したな〜と感心もするし、なもんだから、当時には例のない潜水シーンの凄いのが撮れてるんだな。

一方、本作で使われた模型の潜水艦は後の1983年に、ショーン・コネリーの007『ネバーセイ・ネバーアゲイン』に再使用されてる。
この映画にゃ、『ジョニー・イングリッシュ』のローワン・アトキンソン(Mr.ビーンだよ)が飄々と出ていて、のちの『ジョニー・イングリッシュ』の母体がここに在りとハッキリ判るから、これまたオモチロイよ。
マクグーハンは007の役をお断りした俳優としても高名だけど、その彼が登場した潜水艦の模型がコネリーの007で再活用というのも、なんだかイイじゃんか。