60年代のオモチャたち ~チキチキバンとアストンマーチン~

ミニカー。
今回は「キャラクター編」。


数多く販売されたダイキャスト製ミニカーの中、このパッケージは大きかった。サイズがだよ。
英国コーギーの「チキチキバンバン号」。
映画が封切られた1968年に販売されたミニカーだけど、インパクトがある。楽しさが詰まってるという感触を今も受ける。
透明なカバーで中身を見せ、かつアートも見せるという当時の模型界ではかなりセンセーショナルなパッケージだった。
今もこれを踏襲するオモチャがたくさん有るね。なので、いわば歴史的なパッケージ革新なミニカーなワケだ。
この手のカタチは既に存在はしていたけども、"箱"と"中身"をうまく融合させきった商品というのは、そうそう有るもんじゃなかった。商品たるミニカーと映画とがうまく噛み合って、いっそうに魅力が増すという仕掛けを造り出すのは難しい。それを成功させた非常に腕のよいデザイナーと、その感覚を許認した人が当時のコーギー社内にいたんだろう…。

チキチキバンバン号は、昨今のいわゆるスーパーカー的デザインじゃなくって、相対すべくな古式なクラシカルなものだけども、エレガンス。むろん、このカタチでもって海上を駆け、空も飛ぶんだから、その点でホントのスーパーカーじゃあるけど、"物体"として実に美しい。
コーギーのミニカーはこの美しさをうまく表現していて、見飽きさせない。
ご承知のように、映画『チキチキバンバン』は007のイアン・フレミングが原作で撮影スタッフも007映画専門(じゃないけど)のアルバート・ブロッコリの一味なんだから、頼もしい。その上でミュージカルなんだから、ごきげんじゃないか。
そのご機嫌な感覚をうまくまとめているのが、この大きなパッケージのミニカーと思う。



『チキチキバンバン』は2003年頃に、英国で大掛かりな舞台ミュージカルとして復活し、上演されてるのだけど、残念ながら日本では上演されていないし、広く報じられた形跡もない。
このお芝居に併せてコーギーは、新たにチキチキバンバン号を造って売り出した。
英国では売れたんだろうけど、日本じゃどうだったかしら?
いささか小ぶりだし、パッケージが独自なもんだから… 開けるに惜しく、未だボクは、未開封なままにしている。
後述するけどこれは香港メード(Made in China)。
プラスチック製ゆえ軽いし、ボディと較べて4輪があまりに大きくてバランスが悪いのだけど、1ケのオブジェとして何だか捨てがたい。



ダイキャストを主材にしたミニカーのメーカーは、ヨーロッパを中心として60年代には80社くらい、あったらしい。すごいね。
チキチキバンバン号のような大ヒットもあるけれど、時代は流れつつあって、金属製ミニカー人気は徐々に斜陽衰退。
プラスチック系の素材に変わっていったんだね。大量に短時間で成形出来るし当然に単価もやすい。
溶けた亜鉛合金を大気圧に任せるまま鋳型に流し込むのとは違い、圧をかけるプラスチック射出成形では細かいモールドも造り出せる。
重厚だけどもいささか高額なミニカーは徐々に敬遠されていったんだね。

素材が変わり、物量も増え、単価も下がって… 国内製造で3000人を雇用していた英国コーギーも、80年代にはそれを辞め、人件費が安い香港での製造に変わってしまった…。
Made in England じゃなくなってしまったワケだ。


この007仕様アストンマーチンはその香港メードの1991年製。
60年代のもののリメークモデル。プラスチックが多く使われ、いささか軽い。椅子ごとフィギュアを吹っ飛ばす装置とかのギミックはあれど、重厚感はもはや望めない。塗装も深みがなく製品を逆にチープにみせてしまっている。
廉価になって入手しやすくなったけど…、大味。品性に乏しく魅力が欠けている。
90年代になっているワケだから、このサイズで同じ造るならよりリアルに造形してくれた方が、よかった… とは思うのだけども、パッケージもなんだか、ピリリ感が抜けきったコーラのようでもあるし、残念なミニカーじゃある。
コーギーという会社規模は一新されたけど、失ったものもまた大きい… というこれは例証だ。


当然に… 「これではいかん」とコーギー社内でも何ぞ考える所があったんだろう。

94年には、マテル社の資本が入ったことで、かつてのコーギーの良さを知っていた、いわば、外部の血が導入されるコトで、かつてのパッケージ・テーストを復刻させた製品も出している。
このミニ・バンがそう。


60年代頃のコーギーのパッケージ・デザインは、他のメーカーを圧し、統一感に満ちた上に個々が秀逸で非常に目立つもんだった。しかも古びない。
上記の通り、60年代頃には高感度なデザイナーが社内にいたと思える。コーギーというブランド・イメージはこれらパッケージの統一性から多くが照射されていたと思う。


なので1つのオマージュとして、ボクは… こんなパッケージで車の模型を幾つかごく少数… 造ったこともある。中身はミニカーではなくって組立模型としてのパーツ構成だけど。

オマージュのつもりが、ただのモノマネに過ぎないと今見て判るけど、ま〜、それほどに英国コーギーのデザインがしっかりしたものだったというコトだ。
上記したマテル社の資本参入でのコーギーカラーの"復活"よりも、この小品はチョット早くに出していたもんだから、元祖コーギー・パッケージのカムバックに、
「あ〜、やっぱりな〜。そうだろ〜」
かなり嬉しかった。
でも、パッケージの紙質が既に違うんだ。
60年代の紙と印刷、90年代の紙と印刷とでは、やはり違うんだね。インクの質も違うし、刷られた後の光沢の度合いなどなど… 同じデザインテーストを持ってしても、時代のギャップはもはや縮めることが出来ないのだ。


かつて辻静雄が『料理に「究極」なし』(文春文庫)で、
「食の美は、はかなさにあり」
と喝破し、仔牛の餌やその生育環境にまで言及して、太陽王ルイ14世の食卓やヴェルサイユ級のメニューを、
「表層を真似出来ても忠実な再現は出来ない」
と、申された通りに、そして、この遺著の解説として大西信が、
「その時その場で最高に妥当な食材を用い、食卓に運ぶタイミングを決して間違えず、会食者のそれぞれに、一瞬のちにはただ何ともいえない至福の時を過ごしたという満足と思い出だけを残しうるなら、以て瞑すべし、という覚悟」
と、まとめたように、光景としての過去は過去として認知して甘受しなきゃいけない… ようなのだ、な。
オモチャにしろ会食にしろ、俯瞰としてみると思い出を紡ぐがためにあるとも… 云えるか…。
60年代に戻すことは出来ないけども、60年代を思い出として抱えられるコトが出来るのを幸と考えると、これとの時間はどんどん隔たるけれど、当時のミニカーとは今もって"対話"できるというのが、楽しみなのだろうね。
1つのミニカーを基点に円を描いてるようなもんかな。円周はどんどん拡がりつつあるけれど、時にその車を手にとれば、同心円ゆえうまく収縮もする…… この収縮時の熱が、たぶん、ボクを愉しませ、温めてくれるんだろう。

上の写真。青と黄で塗り分けられたコーギーのパッケージと同時代の他社(ポリトーイ)パッケージの比較。
あえて優劣は云うまい。
1番上のチキチキバンバン号の写真でも判る通り、コーギーは自社の青と黄のカラーコンビネーションを損なうことなく、映画の魅力も醸すという至難なデザインを成功させていることで一切が、明白だ。
今回、キャラクター編としたのに… 後半で逸脱しましたな〜。(苦笑)
なので、これはまた… 続くと。(^_^;