60年代のオモチャたち ~007のフィギュアとMr.ビーン~


前回に007を持ち出したんで… そのつながりであえていきなり逸脱。
フィギュアの話。
手元に1965年製の、『007:サンダーボール作戦』のフィギュアがあるんだけど、これが今となっては実に味わい深い。
映画が公開された翌年に出た。米国ギルバート・トーイ製品。製造はポルトガル
いわゆるブリスターパックの初期のもの。
どういう熱心が働いたのか判らないけど、ギルバート・トーイは007映画の主要キャラクターを含め、脇のチョイと出たくらいのキャラクターまでを続々連作でフィギュア化している。
博覧強記的な勢いで集めてくれ〜、という主旨であったんだろう。
日本への販売ルートを持っていなかったようで、ほとんど入荷しなかったのが残念だけど、ごくごく一部は少数入ってた。いわゆる正規なルート品ではないから、法外な値段であったよう思う。

パッケージを見るに、写真製版部分にはかすかなズレがあって、当然にこれは意図したものではないけども、今は逆にこんな色ズレは"表現"出来ないんだから、オモシロイ。
どのあたりに分岐点を置いていいのか、ボクは印刷術のことを知らないからよく判らないけど、どうも感じとして60年代のやや後半あたりから、カラーの写真印刷にズレがなくなったんじゃないかな。
その頃にリスフイルムのトンボ合わせがより精密に固定出来るようになったり、複数回に別けて刷られる紙の位置決めの精度が上がったんだろう…。


さてと、フィギュアだ。
見てお判りの通り、悪役のLARGO(ラルゴ)はまだしも、ヒロインのDOMINO(ドミノ)嬢は、映画の人物に似ているとは云いがたい。
これをパッケージから取り出してしまうと… ドミノだか誰だか判らない。
パッケージには、LIFE-LIKE! AUTHENTIC!
そっくり! 本格的!

と書かれちゃいるけど、な〜にも似ていない。特徴を示す手がかりさえない。
なのできっと当時、これは子供だって欲しがらない代物だったような気もする。
でも、顧みるに、この"そっくりなつもりの気分"が、こうして商品になっているのが小気味よいのだ。
パッケージの中に封入されている限り、彼女は断固としてDOMINOであり続ける。
だから、これは透明なカバーの外には出せないんだ。永劫の箱入り娘であるコトでDOMINOであるコトを示し続けてくれるワケ。
これは不幸だろうか?
いいや、そうでもあるまい…。この場合、パッケージもまたDOMINOそのものなんだからね。彼女は封入されているのではなく、パッケージと一体化してはじめてDOMINOと云える存在なんだ…。


かつて望郷の念に搦めとられた浦島太郎さんが、乙姫に帰郷を申し出て願いは叶ったけども、開けちゃいけないという玉手箱を手渡されたワケだよね。
結果、浦島さんはたちまちに爺さんになっちまった。
このDOMINO問題は浦島さんに通底してる所があるね。
パッケージそのものに"竜宮の思い出とLOVE"が託されていたという、いわば形而上的哲学を要する… これはオモチャなのだと知覚しなきゃいけない。
玉手箱は乙姫にとっての"思いの在り方と覚悟"、だったワケなのだ。
太郎がそれを強く意識して開封をしない限りは永劫につながっていられる、あるいは再会の望みを託したつもりであったワケだ。
この"つもり"がポイント。
けども… 太郎はそうじゃなかった。
もう竜宮城に戻ることを想定していないんだ。
彼にとって恋愛は、終わり。
玉手箱は"お宝"が入っているかもなギフトボックスに過ぎなくなっている。
だから、このすれ違いは… とても哀しいね。
太郎にとっての乙姫は過去だけど、乙姫は太郎との恋愛の途上のつもりであったし、開封は恋愛の破綻を意味するもんだった。
開けられるコトはすなわち乙姫の慕情の終わりなのだから、終わりならば彼を白髪の爺さまにして共にいっさいを終わらせようとの、これは、彼女の"覚悟"だった次第…。
玉手箱の玉には魂(たま)の意、もあるらしい…。
"別れ唄"を多数紡いだ中島みゆきも、まだここまでの"覚悟"を唄にしてはいないな、きっと。


逸脱ついでに、90年代やや後半の話。
この頃、ミニカー・メーカーのコーギーにヒット作が生まれる。
『Mr.ビーン』のミニ。

ドアに頑丈な南京錠を付けたウグイス色の古びたミニ。
老朽で色あせたミニを誰が盗むもんか… なのだけどビーンズ氏にとっては超大事な車。デッカイ南京錠でガードする。
走行中、車内で着替え、ウォッシャー液で歯を磨き、顔を洗うというのをミニと一体で見せて抱腹だった一篇を思い出す。スタントマンを使わない一発撮りはかなりスゴかった。
この馬鹿馬鹿しさが可笑しかったけども、回が進んで、あるエピソードでこのミニが廃品業者だかが間違って壊してしまう話があって、ここで唯一、ビーンが見せる悲しみの表情。
孤立しきったただのお馬鹿さんと思ってた人物の中に深い悲しみが広がるこのシーンは、バスター・キートン風のスラップスティックに終始した番組と思い決めていたから、不意打ちのようなペーソスを味わわされて… いささか、胸せまるものがあった。名シーンというのはこういう場面を指すんだろう。


このビーン仕様のミニカーが『Mr.ビーン』が放映された各国でよく売れた。コーギーにとっても予想外の反響だったようだ。
なので1年と経たぬうちにもう1台、コーギービーンズ仕様ミニを販売していらっしゃる。
艶をあえて落としたボディ塗装は好感。60年代の爛熟期の華やかさはないけども、あと30年ほど経てば、きっとこのビーンズ・ミニ達は淡いノスタルジ〜な香りをたてると思う。
自慢じゃないけど、ボクはこの『Mr.ビーン』が最初にNHKで放映されるや直ぐに面白さをおぼえ、それで『Model Cars』(ネコ・パブリッシング刊)で特集記事にした。まだ放映中で、流行り出す前だったから、企画を伝えるや編集長のN氏も1等最初は懐疑的だった。掲載するかどうか… たぶん大きくお悩みになったと思われる。でも掲載にゴ〜を出してくれた。
英断だ。
ブームになるのはこの掲載号の後だから、ちょっとだけハナが高い。(自慢してるじゃん)
ボクはその後に不義理して… 紙模型の世界に転じたんだけど、この件あってか、その後も久しくネコ・パブからは『Model Cars』が毎号贈られてきた…。あらためて感謝したい。


N氏は今も編集長として、締め切り前は徹夜テツヤの連続だと思われるけど、彼のアンテナの広さと深さと感度は、霧中航海の舵取りをよくするエディターシップが発揮されていて頼もしい。
プリズナーNO.6』の特集記事にゴ〜サインを出してくれたのも彼だ。

精緻極まる、現状で世界一を自負する出来の1/24のミニ・モーク-プリズナー仕様は、請地利一氏製作。
マッチボックス風味の小さな諸々は、英国マッチボックス社がもしも販売していたらという密かな設定で、スケールはバラバラだけどもTVC-15のスタッフ達が造ったもの。
ボクはただまとめたに過ぎず、頼もしい、かつ、楽しいスタッフ達がいなきゃ出来ない記事だった。
煩雑になるのでこの小さな模型達は記事に登場させなかったけど、ロータスセブンにエランにミニ・モークと、『プリズナーNO.6』には当時の英国車の魅惑が随所で光ってた。
今は1人での作業が多いけども… 真夜中に複数のスタッフと一緒になってこの番組のVTR画面を眺め、「あ〜だ、こ〜だ」のと解釈したり発見したりが… ちょっくら懐かしいし、今の自分の礎はこのスタッフ達あってのものだと、思いだすたび感謝の念がわく。
スタッフ、というのも何やらおこがましい。
仲間、といえば何だかベタな気もする。
年齢差はあれど対等で、切磋琢磨あり、教え、教えられ、かつ、信頼に満ち、共にアホ〜なことをしでかしてケタケタ笑った、共振共鳴の者たち。
世に戦友なる語があるけど、それもふさわしくない。
高らかな自己主張の模型を紡ぎつつも、「俺が、オレが…」の単身突出をせず、常にチームとして振る舞ってくれた者たち。
友達、といってしまえば浅くなる…。
似つかわしい言葉がないのが、もどかしいな。