マンボふたたび

5月にMIHOちゃんと食事したマンボ。彼女とのそれが最後の焼肉というコトになったんだけど… その時の同行者とふたたびマンボに出向いたのだった。
MIHOちゃんを偲ぶ、というワケではない。
葬儀後数日経って、ボクの中に変化が起きている。
偲ぶよりも、彼女はボクらと共に"活きてる"と思いはじめてる。
それは、こたび共したBARママも同じだという。
なので、マンボの暖簾をくぐったさい、実体は2名様だけどもコチトラの気分は3名様なのだった。


ボクは一神教の信者じゃないけれど、磔刑に処せられたキリストが復活した事の本質は、たぶんに、この2名様の中に芽生えた"気分"と一致するようだ。
宗教の根幹って、そんな『我ら共に有り』な気分から生じたもんなんだな、と、薄々に判る。
大事な人の死をどう受け入れるか… の終点に『信仰』としか未だ言葉を与えられていない新たな感情が現れる。別れの悲嘆は容易に消えないけれども、その後の1つの消息としての"共に活きる"感覚。苦痛から逃れるための方便じゃなくって、本気でそう思える感覚があって、これは悪くない。
だから、それは終点でなく始点であると云っても、イイ。


今回のマンボは、同行者が入院となってしばし焼肉なんぞは食べられないというコトになるんで、その前にチョックラってなのが理由だった。
ならばと、数多ある美味い焼肉屋を押しのけ、MIHOちゃんとの場をチョイスしたワケなのだ。

いつものパターンで、塩タン、ハラミ、レバー、野菜の盛り合わせ。
これがメイン。むろんビールはジョッキ。
ピーマンやらカボチャはボク1人ならオーダーしない。これは同行者あってのご注文。
ロースはオーダーしない。


ボクはあんがい早めにゴハンとキムチもオーダーする。
ダイニングバーPのY子さんもほぼ同じオーダー、同じ手順であるらしい。
「最初に塩タンからスタートだよね〜」
と、申される。
嬉しいな〜。
そうなのだ。塩タンが1番だ。
タレはゼッタイにレモン。
タンの硬みと中の柔らかみというか不思議な感ある粘りをレモンの酸味が締めてくるみ、口中に広がる滋味の急上昇感覚。
これぞ、焼肉開始なゴングなワケなのだ。
タン食べ終わるまでは他のお肉に手はつけない。


ボクは丸まったキムチを用心しつつ綺麗にほどいて、それをゴハンにのっけ、次いでゴハンを包み込んで、小さなオニギリ風なのにしてバクッとやるのが好き。
一口で頬張る大きさに作るのが要め。大き過ぎちゃいかんし、小さ過ぎてもいかん。
この場合、焼肉が主食だから、キムチおにぎりはあくまでもオカズだ…、アクセントだ。
懐かしのベンチャーズに例えるなら、主旋律の合間にタイミングよく入ってくる、テケテケテケテケ♪ なのだ。


MIHOちゃんを思ってシンミリしない。
MIHOちゃんを思って楽しく食べる。
いや、違うな。思わずとも一緒にいる。
同行者いわく、「彼女なら自分をネタにされるのをゼッタイに好む」であろうから、ワシワシ食べつつMIHOちゃんの事を語る。


葬儀のさい使われた写真に映るピンクのカーディガンのMIHOちゃん。
それは乳ガン撲滅キャンペーン用とかで編まれたラルフローレン製で、密かにOH君がプレゼントしたものだったそうな。
葬儀後、我が同行者にのみOH君が伝えてた真実。
そのピンクのが彼女のお気に入りになっていたようで、以後なにかと、よく身につけていたとBARママはいう。
しかし、どうもボクには、そのピンクな記憶がない。
OH君が密かにギフトしていたというトコロに、小さな、いやチョット大きめな… 嫉妬が萌芽して、これが障害になって余計に記憶の中のカーディガンが出てこよ〜としない。
「なんだOHのヤツ、こまめなコトやってんじゃん」
てなコト云って、でも、それでまたボクは笑い出す。
OH君の密かなギフトも本当は嬉しい。
医師であるOH君は死に接する機会が多いから、
「感情を顕わにしない訓練も出来ていたハズだった…」
と先日、ジャズフェスの会合で彼はボクに告げたけど、葬儀写真を見つつ合掌した彼の胸中にはボクとは厚みの違う悲しみが広がっていたろうと、察する。
ゆえに、"訓練が出来ていたハズ"だったのだ…。こたびは訓練がいかされなかったワケだ。
でも、そこが友としてボクはとても嬉しい。
ここでオオヤケにしたからカーディガンはもう密かじゃないけど、ともあれ、色々な人の中で"活き続けるであろう"MIHOちゃんって、羨ましい。微笑ましい。
思えば彼女は、誰隔てることなく同様に接するコトが出来るという希有を平然とやってのけてた。
他者に向けて、うとましいだの、うざったいだのの発言やら評を聞いたことがない。
少なくともボクは、彼女から他者の悪口を聞いたことがない。
1番によく耳にするのは、
「今日は呑みましょう♡」
だな。
「おまいさん、昨日もしっかり呑んだじゃん」
と、返せば、
「フフフ。わたしにカサブランカのセリフを云わせないでっ」
眼が悪戯っぽく笑ってた。
その眼、その表情、その「フフフ」が、ボクらにくれた贈り物と思えば、これは永遠のもんだから、随分とお得だ、リッチだ、ゴージャスだ。
コチトラは老けてくけども、彼女はもう年齢を増さないから、その笑みが老けていくこともない。
あらためて、良い女性と知り合えたとボクは思う。
そうやってマンボでワシワシ食べつつ、ネタにも出来るのが凄く有り難いじゃないか。
なので、MIHOちゃんや。
今後もよろしく愉しませておくれ、なのだ。入院中とその後のBARママの心の中に元気印なエキスを注いでおくれよ、なのだ。


写真:去年の某夜。指圧を口実にBARママに触るOH君。右がMIHOちゃん。


写真:まだBARママに触ってるOH君を含めなんか映ってる全員が芝居じみた… 変な帽子とあいまってドイツ表現派的構図が可笑しい1枚。


写真:某夜。岡山出身のお相撲さんの店にて。この後空っぽになるチャンコ鍋の前で。
この写真を眺めつつ、なぜか今、こんな唄を思い出す。
"あ・これっくらいの〜♪ オベントバッコに〜〜〜♪"
彼女が共に唄ってるよう感じる。