水路の街

先日、2つの病院をハシゴして見舞いに出向いた。
自転車で。
懸命にペダルをこぐワケじゃない。いわばポタリング。ダラダラではないけど、歩くよりは早いという程度の速度で。
2人の、懇意な人が、たまたまなれど時期同じくして別々な病院に入院してるんで、一考し、車じゃなくって自転車で出向いたワケ。行き帰り併せてザッと20キロくらいかな。


この半日がかりの見舞いで実感させられたのは… 岡山市は水路の街で、至る所に水が流れてるというコトだった。
徒歩での短距離移動だと判らないし、車で移動するとこの消息はほぼ掴めない。
なので、見舞いは見舞いとしてではあったけど、道中が妙に面白くあった。
面白いといったって、あ〜た、この夏の暑さゆえ、汗でベベチャになるは、ノドは乾くはで、それはそれで苦労(病室直行じゃなくって、汗が多少ひくまでロビーで涼むみたいな)もあったけど、住まう地域のやや広域を俯瞰として自転車行でもって体感できたのは、幸だった。


常々に岡山は水の街なのだと聞いているし、実際にボクが住まう地帯には祗園用水という江戸期からの水路が張りめぐらされてもいるんだけど、用なくば出向かない鹿田町の岡大病院近辺とか、さらに遠方の日赤病院付近とかは、自転車での移動通行というコトにおいては皆目に未知な場所だったから、知らず感想として、乾燥ドライな感じがあったんだけど…、そうじゃなかった。
やはり、水路があるのだ。
この2つの大きな病院間を車で移動の場合、ほぼ1本の道筋しか考えられないけど、自転車はそうでない。いわば2点を結ぶ直線でもっての移動が可能。
彷徨うように入ってったその道すがら、そこかしこに水路がある。
狭い、家の垣根と垣根の端境をぬう小さな水路。
あるいはちょっと太めな水路。
やや立派な水路。
アチャラにコチャラにと水が流れる"道"がある。
けっして観光化されるようなもんじゃないけど、随所に水が流れてる。
このディスカバリーにちょっと驚いた。
その全ていっさいは、市内を二分するカタチで流れてる旭川がもたらしたもんだ。

自転車だから"観る"ことの出来る光景。
"自転車時間"とボクはこれを呼ぼう。それがもたらした体験としてのディスカバリー・ナウ。
そう書くと何だかボクはオシャレな人にみえる…。


トム・ウェイツのデビューアルバムたる『Closing Time』は、この残暑たっぷりな夏の午後の自転車に、ふさわしい。
曲の速度が我が足が踏むペダルの速度に実にうまく合うんだ。
といって… ボクは自転車にのってイヤホンで聴いてるワケじゃない。
走行中にフツフツと湧いて来たのが、『Closing Time』の調べだったという次第だ。
概して、日常でも彼の曲を聴いたりはしないんだけど、なぜかその日、汗をかきつつペダルをユラリとこいでるさなかに耳の底から湧いて来たのが、『Closing Time』の最初の曲『オール55』というワケだった。
そっか… これは"バイシクル・サウンド"だな、と1人エツにいった。
彼が唄ってるのは高速道路上の自動車の車内情景だけどさ、ボクは自転車にすり替えた。



それで数日経った今日、さっき、CDからiTunesにいれ、道中撮ったただ1枚の写真を眺めつつ、聴いている。
そのしわがれた声とややホンキートンクなスローテンポのピアノは、やはり、自転車の速度であったし、自分の眼に映えた水路のある光景によく似合ってた。
たぶん… いや、きっと… これが12月とか2月の寒さに凍える時期での自転車走行ならば違うアーチストの声やら曲になっているであろうとも了解する。
だからトム・ウェイツが万能なワケじゃない。
たまたまそ〜なった、一期一会な、これはボクの個人的な情感だ。
ご両者の早い退院と健康を願いつつ、そこにミュージックがからんで来ちゃったというハナシ。


今更に気づかされたコトもある。
トム・ウェイツはこのスローな曲に、自身が知らず米国の広さを編み込んでる。
何100キロも続くマッスグなハイウェイを時速110キロくらいで駆けてるさなかに頭に巡ってる想念を彼は唄にしているワケだけども、その速度感は、日本のカーブが多いハイウェイでの110キロとはやはり違うんだ、な…。
ドライブするトムが見ている平坦マッスグな路上での車窓風景は、変わり映えしない、鈍(のろ)いもんなんだ…。
だから、トムをして、実際は110キロなのに、このスロー極まりないテンポなのだ。
一方、狭い日本の道路事情に馴染んでるボクの耳に届くのは、なのでハイウェイ上の唄じゃない。
ハイウェイの概念が違うんだ。
なワケゆえ、トムの速度感を自転車のそれと交換することで初めて、我が国の風土に見合うミュージックになるんだ、な。
そういう風に思うと、ボクは知らず、おかしなハナシじゃあるけれど、汗をかきつつペダルをこいで、そこに生じた化学としての"置換作用"でもってトム・ウェイツを我が岡山に"土着"させたと… いえないか。
実は大陸的規模が根底にあるトムの曲をば、4畳半的狭さの中に再構築したというコトにならないか。



以上を書きつつ… こうやって"旅"を追想する場合… ビールは似合わんですな〜。
なんかス〜〜ッと流れてしまいそうじゃないか。
なので、こういう場合はチョイ重い、錨になりそうなのがイイね。
バランタインのファイネスト。
これをチビリ、キャップに注いでグイ、あおる。
途端、胃の中に熱い錨が降ろされる。
東京某所の、かつて開高健が一時期に足繁く通ったBARのことを思い出しもする。
そこへ出向いたことはないし、アマゾン川やモンゴル奥地の川へ出かけたコトもないけども、見舞いの道中の小路なせせらぎに大河を空想して被せると、このスコッチは炯々と羽ばたくポエトリー(苦笑)をボクにあたえてくれ、開高健的大旅行をしたような… 気分もまたわいてくる。
BARで彼がファイネストを呑んでたとは思わないけど、
「この一滴で体内に澄明な川が流れるのさ」
てな真似っぽいフレーズを編むコトくらいは出来る。
なんとも、安上がりな人間だね、ボクは。(^_^;