サバ缶太平楽

この地球で1番に美味しいのはサバ缶、であろう。
そう中学2年の自主的休校日の午後に思って、早や40数年…、確信は断固ゆらがない。
プーケット島のこじゃれたリゾートホテルに持ってってもいい。

サバ缶は、概ねで水煮と味噌煮に大別できる。
どちらも女王、ハートのクィーン。
されど、我が嗜好は水煮の缶を真のクィーンと認定する。
味噌煮はその甘味が時に飽きに繫がる。けれど水煮に飽きはない。
濃厚な中の繊細、繊細の中のきらめきは余韻ある花火の滴のよう。無類。
硬い骨までがクラッカーめく感触で噛めて呑める愉悦もまた格別。
25歳の頃、その旨を、倉敷に住まって精神科医療に携わる友人M君に告げたら、彼はしばらく黙って我が方を見詰め、
「貧しかったんか?」
と、つぶやいた。
ウイでもノンでもない。
「サヴァ〜。いや、もう、ただ好きなのだ」
そう答え返しつつも、意表をつかれ、M君の眼の哀れみ色に気づき、若干かすかに羞恥をおぼえた。


こういうコトはあんまり人に話さない方が良いのじゃないかしら…。


そう感じ、以後、寡黙なジャン・ギャバンを通して幾年(いくとせ)なんだけど、3週間ほど前だか、ジャズフェス(OJF)の会議のあと、リーダーのOH君とゴニョゴニュと食についてを話してるうち、意気投合、何も隠しておくコタ〜ね〜なと、気分をかえた。
OH君の食の嗜好とボクのそれは、サバ缶はいざしらず、絶妙に似る。
あるBARのママが、かつていわく、
「あんたら2人は舌がお子チャマなんよ」
とのコトなれど、逆にそれがブリキの勲章を頂戴したように妙に栄えある感触として心に響いた。
ときに勲章を見せびらかすのも、イイだろう。


OH君の嗜好の遍歴は彼のブログで確認してもらうとして… もちろん、これは似ているというだけのことで、例えば彼と生活を共にするとスルと…(気持ち悪いな〜)… おそらく1週間めあたりで破綻するだろうとも感じる。
嗜好というのは、それほどに個人的なものなんだし、そこに両者の"流儀"とそれに付随の"方向"と、それに加えて、"我の強さ"をば… からめれば非妥協な反目が最後に残るであろうから、なので1週間なのだ。
ましてや彼もボクも随分と気配りの人。相手を気づかい… それは違うとスグに云い出せないから双方きっと、体力消耗で弱ってもくるじゃん。
女子よ聞け! 
男と男の間には浅いが清い川があり… エンヤコラサッサ♪ と渡らんのんよ。
よってOH君とのサバ生活を夢みず、我が輩1人、サバの王国を旅する。

ご覧のように、我がキッチンの棚には、たえず、缶が置かれてる。
メーカーにこだわりなし。
缶であること、サバであること、水煮であること。この3要素あらば文句なし。
万が一、棚にサバ缶なくば、ボクは云いようもない不安の焦燥に炙られる。
なので、常に補充する。
そこに2缶か3缶ないと、どうも落ち着かない。むろん味付け/味噌煮もオッケ〜。
といって… 毎日食べてるワケもない。
実態はせいぜいが1週間に1ケか2ケ、時に2週で1ケてな割合だ。
だから合理として考えると、別にキッチン棚に複数がなくとも、ご近所のスーパーでいつだって買えちゃうのだから棚が空っぽでも普通は差し支えない… ハズだけどボクの場合、差し支えちゃうのだ。
毛布なくば落ち着かない、かのライナス的心情とこれは理解いただきたい。


当然に、こういう質問が来るであろう。
「大先生、どうやってお食べになっておられんでしょう?」

解答。
「規則はありません。が、原則としてそのままが1番でしょうな」
それでたいがい、質問者はギョッとする。
この場合のギョッは魚と書いてもいいけど、訝しむと書いた方がいいか…。
エスチョン&アンサーは以下のようになる。


「そのまんま、ですか?」
「です」
「調理してとかじゃ?」
「他のモノに混ぜたりしません。ネギをのせたりもしません、あくまで缶を味わうのです」
「レンジでチンする程度ですか?」
「何を云ってるんですか。いま告げた通り、缶を味わうんです」
「??」
「理解力のない生徒だな〜キミは。あのね、缶のフタを開けて、そのまんま召し上がるんです。温め不要。無加工。それが王道というもんです」


以上な質疑に加えて申すに、缶のフタにも言及しておかなきゃいけない。
近頃、何が腹立たしいかと云えば、缶がプルトップ式になってること。
こりゃ大きなお世話なのだわ。
缶を開けるという行為は、神社の境内に入るときお辞儀するのと同様、実に神聖なもんだ。
丸っこな輪を引っ張ってパッカ〜ンと簡単に開けるもんじゃない。
あくまでも、缶切りでゴリゴリゴリ… お汁こぼさぬよう水平に保ちつつ、開くに従い香り立つサバの匂いをば嗅ぐというのが、サバ缶のプロだ。
心鎮めての、このジワジワと開けゆく缶開きを神聖と云わずして何とする。

ジワジワと開く。
そこから光がこぼれる。
岩戸開けでアマテラスが登場の故事の通り、1つの儀式を経て、"事ははじまる"。
海開き」をみよ。「山開き」をみよ。
よって「缶開き」。
プルトップ引っ張って簡単にパッカ〜ンはあかん。


そもプルトップ・オープンは缶の裏側にある。(全部のメーカーじゃない)
まったくもって無礼じゃないか、これは。
開けちゃうと缶は反対向き、文字も絵も反対向きになる。
いわば勝手口を玄関として使うようなもんだ。
裏口から入ってくような卑屈に自身を置くほど、ボクは蒙昧じゃない。
なので缶切り、缶開き。


見よ、下の写真の缶切り。
使い続けて40年。米国産オープナー。
随所に傷あり。使い込まれ風雪耐えた男の道具。
淡いピンクが40年という歳月で妖しく磨かれ、部分ではぬるい光沢を放ってる、この風格。

こういう琢磨研鑽の逸品でもって外周を開けられてく缶詰は幸いだ。
最初のグイッに反撥を示すものの、その手応えもよく、ジワジワと操作するに直きに親和して、カッティングされる心地よさを示し見せる。
溢れ出んとするお汁。
そこを、まだよマダヨ、と押しとどめる巧み。


で、ここも肝心なのだが、全部を切ってしまうのはダメ。
写真の通り、このように、残す。
このように、開ける。
着物における正しい着こなしというヤツ。佇まいとして、これが美しい。
あくまでも、缶開いてます、の主張をカタチに醸すトラッディッショナリ〜。

この状態のままに、食べる。
箸は割り箸がよい。
1つの悪例として、ここに示すのは"ご飯のせ"。

こういうのはいけない。
ご飯がある場合は、ご飯はご飯として口に運び、サバは缶から直かにとって食するのがいい。
インスタントなラーメンがある場合もそれに順じ、常にサバ缶はサバ缶のままに置いておけ。
口に運びつつ、缶のパッケージを読んだりするのもいい。
(例証としての写真ゆえあえて色が判別しやすい味噌煮を撮ってる)


ともあれ、足さず、引かず、缶を缶のままに愛するが基本。
常に常温。温めず、冷やさず。
そしてだな、開けたら全部を食べる。半分残して明日にとっておいたりは駄目。
お汁まで全部をいただく。
これをばサバの缶通という。姦通ではない。淫することなかれ。


いうまでもなく、こんな缶ごと丸々、小料理屋のカウンターで出されたって興醒めというもんだ。
これはあくまでも、1人モードの夜中やら朝方のアルコールと一緒になってのお楽しみ。
くどく云うが、缶を味わう。


でも… 実は密かに、最上段あたりで冗談めく書いてるプーケット島やらのリゾートで彼女と… これをば啄(ついば)んでる自分を想像したりはする。
頻繁に想像しないけど、2ヶ月に1度くらいは想像する。
プールサイドで匂い立つサバ缶特有の蒼く好もしい香り。
周辺1m50cm界隈にまで達する豊満な香りは、プーケットの青空にあう。
大喜びする彼女。
「ね、それ、ニッスイ?」
「いや、マルハニチロ。でも他にも… ほら」
傍らのアタッシュ・ケースをカパリと開ければ、キョクヨー東洋水産はごろもフーズに伊藤食品、いなば食品、… 各メーカーの水煮缶ズラリ。
「Ca va ?」
束の間、我が顔はダニエル・クレイグに似る。
以前はショーン・コネリーだったけど、今はダニエル。
スーツは楽に着こなし、トム・フォードのつもりでハルヤマ、だ。
と、そこに電話だ。
「Mからだな」
「M?」
「うん。倉敷の松田くん」


ちなみにボクは本当は"サバ"や"さば"と書くより、"鯖"と書くのをたいそう好む。
漢字の方が美味しい。
最近になって、『サバ缶で痩せる』てなコトでミニなブームとなってるようだけど、ケッ、アホらしい。
Do not say stupid things.
そんなコトでサバ缶買う御仁は土俵外へ、突きだしだ。