島を駆ける

前夜はいささかにハラハラしたものの… この日でしか用が果たせない、台風の分厚い雨雲が僅かにそれた早い朝。
車で宇野港に向かう。
30号線にはほとんど車の影がない。
肌寒く、まだ雲は垂れ込めているものの、雨もない。
それで、「しめた!」と思ったものの… 玉野まで出向いてみるに風強し。
乗船を予定していたフェリーは出立時間の直前に欠航となった。
10時過ぎの便からは動くであろうとのお達し。
やむなし。ピアノのある『楽彩工房』でお茶しつつ2時間ばかり待機。

玉野在住の、OJF(おかやまJAZZフェスティバル)の仲間たるTママが手配したのであろう、壁のパネルの目立つ所に10月のOJFのイベントポスターが貼られてる。
だから、とてもお久しぶりな宇野港なのに、あんまりお久しぶりな感じがない。
やがて陽が照ってきて、気温も昇り出す。

やっと乗船。船内の大型TVで、京都界隈が水害でエライことになってるのを知って、なんだかギャップをおぼえる。
もうホンの僅かに台風のコースがそれてたら、2時間の待機どころか、フェリーに乗れずであったろうと思うと、僅かな差異が大きな変化を伴うもんだということを痛切に身に染まさせられる。

目的地は豊島(てしま)。
ここに、この数年ず〜っと追い続けているテーマの、1つの、大きな、根っこがある。
それを初めて、やっと、取材するというワケ。
旧跡として香川県文化財に登録されているけれど、一般非公開の某所邸宅。
関係各者に連絡して、何とか見せてもらうという手筈ゆえに、この日でしか、出向けなかったワケで、それゆえ、台風が僅かにそれたことが有り難い…。
京都界隈がメチャなことになってる同時刻に、こちゃらは波に揺られつつ船の旅。奇妙な感覚がつきまとう。

『瀬戸内国際芸術祭』のおかげで豊島にもレンタルサイクルが多数あるのだけど、いかんせん島内の狭い道路の90パーセントはアップダウンしきりと繁華な、坂だ。
同伴者の足腰と取材箇所の広範を思うに… 自転車では頼りない。
よって、つい最近になって島に"実証実験"的に導入された電気自動車を借りることとした。
要予約。かつ高額。
でも、しゃ〜ない。

結果として非常に役だってくれた。
2時間の遅延分までとは云わないけど、良い足になってくれた。
しかし、この写真をみる限り、なんか… どこぞのパーク内のアトラクション的"のりもの"にしか、みえない。
早速に乗車して目的地へ。
この車、スターターを廻しても何も音がしない。
すごく不思議、というよりも違和感が大。走り出せばモーター音がするけれども、停車中はまったくの無音なので、必要外に心配になる。
もっとも、これは終日のって、終いにゃ馴れてしまったけど。


案内をお願いしていた方と初対面。"非公開"の内部に入って、
「わ〜」
「ありゃ〜」
「おおっ」
だいたい、この3語を数時間、発し続ける。

この取材の詳細は… 早くて… 11月に予定のオリエント美術館での講演か、あるいは来年度のことになろうとは思うけど、成果とっても大なりの見聞になった。
なんだか、気分は金田一耕助みたいな… 発見に伴う推理と結論の… 自分の体内での化学変化がとにかくオモシロイ。
実は案内くださった方より、こっちの方が部分においては激烈に詳しいという… 奇妙もあるゆえ、取材しつつ取材されるという趣きもあって、その頃には日差しも強くって、もう台風のことを忘れてる。

ボクも同行のM嬢も知らなかった碑の存在。そして薄暗い邸宅内で見つけてしまった掛け軸… そこに描かれた絵…。
いや〜、まいった。
心の内には、新たなカタチの違う台風が逆巻きあがってる。

案内くださった方は実は大工さんで、島内のベネッセ系のミュージアム開設にあたっては、その幾つかに実作業として携わってらっしゃる。
案内の御礼にと誘った食事場所の『島キッチン』も、家屋製作で彼も関わってるとのことで、当然に食堂の女性スタッフ達とも懇意。

そも人口800人強の島なのだから、誰もが知り合いの知り合いという仲で、そこいらの人と人の合間の空気感は岡山市内では感じられない連帯めくな甘美さがあって、眺めていてチョット愉しくなる。
"アート"が島にやって来たことで、恩恵あるもの、ないもの… その2分された立ち位置で"アート"は花開いたり萎んだりしてる… らしきもチラリ感じたりもした。
ま〜、お食事しつつ、そんなハナシをしつつ、近場の駐車場でもっては、レンタルしたエレクトリック自動車にもゴハンを食べさせている。
操作はまったく容易。
ただコンセントを挿すだけなので、思わずピースだ、ちょろいもんだ。

食後、丁重な礼でもってお別れし、後は自分ら時間。
予定外だったけど、ミュージアムもハシゴした。
けども、正直なことを記しておくけど…、現代アートをボクはどうも苦手とするようだ。
悪くはないんだし、作品と自分という存在の距離を計るべし! とも思うのだけど… 徹底した管理の元での静観、拝聴、には… どうもボクは身体がそぐわないのだった。

入館料1500円(2人だから3000円)も支払って、なぜ、作品に身をそぐわせなきゃいけないのか、自身の声を殺して静かにしてなきゃいけないのか… なにか逆転してる感覚が拭えないのだった。
小さな声で同行者としゃべっただけで女性スタッフがスッ飛んできて、警告してきた…。
この、"アート観賞"でございます的な、お静かにお静かにでもって、作品に同化しろという"強制"が… だから、身にもハートにもそぐわないのだ。
むしろ、残響音あるその空間の、作品と見学者とナマの声とのコラボレーションこそが望まれるんではないかと… 不満と不服従と、ま〜チョットは静かにしてようとの従順が、体内でせめぎあって… 結局、落ち着かない。

それから…、
「浜辺を歩きたい」
との同行者の意向に添い、エレクトリック自動車を駆けらせ、舗装されていない砂利道をガチャガチャ進んでヌカルミで車をドロンコにさせ…、浜に寄る。
台風の影響で、瀬戸内とは思えぬ白い波が立っている。
そこで数10枚、ガラス片を拾い集める。
何10年も波に打たれ続けた割れたガラスの小片。
角はもうなくなって、丸みあり。白や青や赤いのや、気泡の入ってるのやら…。

それをどうするのかといえば、来たる10/6のOJFイベント『ジャズ横丁』の某アート系ブースにて、"作品に昇華"させて販売をするのだという。
ここ数年、ホームズとワトソンのコンビというカタチであるテーマを追ってるけど、ボクらが知り合った頃は彼女はただの小さなアーチストだった。
今はちょっと肩書きがついてるけど、その片鱗は変わらず。
ガラス片拾いのさいちゅう、おもしろいのを見っけた。
観よ、この"作品"。

自然が造った"アート"だ。
波打ちぎわにめり込んだ海藻の切れっ端が、それ自体は濡れて重いから、波の動きに伴って描いてしまった自身の軌跡…。
これを見つけた時には、もう波は遠のいていて、日差しに海藻も乾いていて、もはやそれ以上の円を描くことが出来ない形骸に堕してはいたけど、ミステリーサークルめいた砂の円環に、ボクらは強く魅せられて惹きつけられるのだった。
自然が勝手に産んだトポロジー的図表。
いっそ、これの方に1500円の価値有りというのは、やや酷なれど。
良い。
潮が満ちると、これは消え失せる。
なので余計、良い。


やがて日没。
台風一過の晴れ渡った雲1つない夕景。
島の夜は早い。
暗くなれば眠りの静かな波がやってくる。
アートも島民も景観も、一応に夜のモードへ入ってく。
まだ暗くなりきっていない夜空を挿し、裸眼で1.5の彼女が、
「あそこ、こと座」
「見えね〜よ」
ボクは苦笑し、老眼な眼でも見えている木星に眼をむける。