街の神秘と憂鬱

キリコの絵の、輪を転がす少女の背景の不気味さには、キャンバスから1度眼を離して次いでもう1度見てみると、そのタイトル『街の神秘と憂鬱』以上な苛烈な不穏が増長してくる感触があって、それがどういった種類かといえば、ボクには政治が破綻して戦争へと進むといった、ダリの『内乱の予感』に感じるのとは別種な、直かじゃないけどもいずれは直かな事態になるような、そんな苛立つような焦燥なのだった。
輪を廻す少女に、
「なんか危ないぜ」
と告げられないもどかしさ(なんせ絵なので)、それが一重にボクの不穏を逆巻かせ、ゆえにこれを傑作とボクは思っているワケだ。

そのもどかしさとは別だけど… そうでなくとも…、この国の日常の中には、"全体の場を読め"の空気が漂よいがちだ。
奇妙だけど、なぜかそういう方向に向かってしまいがち…。
つい数年前は脱原発の声が昂らんだけども、いつのまにやら、反対の声を大きくあげたら、どこからともなく攻撃されるような不穏が霧みたいに浸透しつつあるじゃないか。
この変容は何なのだろう、と常々に思う。


特定秘密法。
つい数日前までは、「秘密と特定された期間が30年以上の情報については全て歴史公文書館に移管する」と答弁されていたものが… 60年という秘密期間(著作権の保護より長い!)を設け、さらに場合によっては延長も可能という信じがたい方策になり、ついで、強行採決前の土壇場での官房長官の答弁。
「秘密の保全上やむを得ない場合、政令などで保存期間前の廃棄を定めることは否定されない」
との大変容。
要するに、統治する者はどうにでも好むがままに出来て、都合悪ければ保存どころか捨て去ってしまえるという… ワケだ。


仮りにボクが何かのデモにでも参加して犯罪可能高きと"特定"されて疑われたら、ボクの通う歯科医をふくめ医師はこぞって、どこそこから通達を受け、どこぞかへボクへの医療行為を報告しなきゃいけなくなる。
そのコトをボクに医師は語れない。
ボクに告げたら、それで医師は今度は逮捕対象者だ。
また、そのことすらも秘密にされていくワケだ。
あるいは、そういった事実はなかったと… 資料廃棄で消去可能というワケだ。
何なのだろう、これは?


誰ぞ保証してくれないだろうか?
モボやモガにと"自由の厚みと有り難み"を謳歌した大正から昭和初期の時代の空気が、やがてモンペ着用の国民全員動員で"非国民"みたいな眼を養成してしまう時代に向かう… みたいなコトには決してならないことを。
ボクは無秩序を好みはしないし、いっそ心の深い所には保守で愛国な心情が渦巻いてはいるけれど、特定秘密法のこたびの成立は、とても怖い。
ひたすら… 怖いんだよ、3年先、5年先が。
ここでナマな言葉はあまり発したくはなかったけど… 酔いが、醒める。


なにより怖れるのは、こうして昂ぶったところで、数日も経てば、
「ま〜いいかっ」
ってな諦観めくな気分が自身の中で発芽しちゃって、結局は流されていくことかな…。
つい数年前に真珠湾を火の海にし、「撃ちてしやまん」、「鬼畜欧米」といっせいに唱えていたのが、負けるやそのわずか3年後の昭和23年には、
「あ〜あ〜♪ 憧れのハワイ〜〜航路〜〜」
なんて唄が大ヒットしちゃえる、その変容っぷりを変容と感じなくなる自分が怖いんだ。