ここには映画館があった

岡山市民文化ホールで坂手洋二・作演出の『ここには映画館があった』を観る。
1976年を軸に当時の映画のアレコレが盛られた作品ということゆえ、いささかの期待もあったし、事実、とても面白い所もあったけど… 盛り込み過ぎだった。
渡辺美佐子主演の前作『星の息子』はオスプレイも使う沖縄の米軍ヘリパット基地建設反対を生活者のレベルでキチリと描いたもので、ボクの好むお芝居ではないけども、存分に伝わるべきが伝わってきて良かったと思ったんだけど、今回のはいささかに盛り過ぎて散漫だぞと、やや顔を曇らせた。



1976年の地方都市での映画状況とそれを観た当時の人の思いやらやらが、2013年を生きる男が1976年にタイムスリップしての可笑しみある問答などで実に面白くなりつつも、後半に沖縄の普天間に飛んじゃって… とても硬くなる。
映画の話にそくしつつ、もっと別の表現もあろうに… と残念を味わう。
ボクの期待する所と作者・坂手洋二の念頭にあるものとが違い過ぎた。



かつて黒澤明アカデミー賞の席で、「ボクはこの歳になってもまだ映画が判らないんだ」といって会場を埋め尽くした米国の映画人をどよめかせ、かつものすごい拍手でもってそれは迎えられて… 今回のボクの中では、そんな"映画って何だろ?"っぽい解答の1つがあるのではないかと思っていた次第だったから、いけないや。
いや、おそらく劇作するにあたって坂手洋二もそこに触れようとしたとは思うけども、後半部での沖縄の現状に対してのナマっぽい言及には、映画のスクリーンがもたらす効果とは別な感触を受けてしまって、
「何か違うぞ…」
との違和をおぼえるのだった。
スクリーンを見ていたら、いきなり白昼の路上に連れ出されて、
「で、話の続きだが…」
と、申し出られたような感じ。
芝居というカタチで映画というカタチを伝えようと当初は思ったけども、書いてる内に別要素がふくれてしまったんだろうか… それとも、幕の内弁当が転んで中がゴッチャになるような何かを最初から狙ったのか。
編集中の、だから未整理の、フィルム・ラッシュを観たような感が残る。


終演後に氏に挨拶。ちょいとエールをおくって笑み、外に出る。


共に観覧の某ママとオランダ通りの「かりゆし」へ移動。
ほんとはPへ行きたかったけど、何かライブをやってたようだ。
生ビールに沖縄料理。
でもって、
「しめにはこれだな」


しめ鯖をオーダー。
「またかい!」
との声は無視。
刺身によし、煮てよし、焼いてよし。
3拍子そろった滋味ある芝居を、
「ぜひ次回にっ」
坂田氏に期待をつないだ雨の夜。