カズノコ食べたの誰ァ〜れ

いったい、どこのだれが、カズノコを今のように食べるヘキを見つけたんだろうか?
北方ではニシンはカドと呼ばれていたから、その子であるから"カドノコ"、粒が多いゆえ転じて"数の子"だけども、はっきり申して、ひどくうまいわけじゃない。
魯山人は『魯山人味道』のエッセーで、これを「音を喰う」と、実に的確に感触を云い顕しているけど、ニシンの身から取り出し、水に一晩か二晩かして激辛を薄め、白い筋を除去して… それをそのままだか、お醤油に漬ける(これは江戸時代から)といった調理法を開拓したのは… 誰だろう。


以前にもボクは似通うことを書いたけど、諸々ないささかに珍奇なものを最初に食べちゃった人、あるいは食べられそうにないものを食べられるものに加工して定着させた、無名の方々に強く惹かれる。


ナマコを最初に口に入れた人の勇気。
ゴボウを最初に煮た人の辛抱。
硬い梅をシソにあわせて漬け込んだ大胆。
あるいは、おそらくは夥しい死者を出した末でのフグ毒の在処の発見と除去。


カズノコは、むしろ容易な部類に入るけど、それでもこの凝固したタマゴを水にかして塩分を加減させるという術を最初に見いだした男だか女には、やはり尊敬の念を禁じ得ない。
いや別に何も、禁じる必要もないんだけど… 水にかして様子を窺った探求心には感心する。
これは他国にはないようで、じっさい、どこの国でも、カズノコは捨てるべきな部位であったようだから、やはりこれは賞賛すべきな発見、ないしは情熱なのだと思える。


例によってまたヴェルヌの『海底二万里』を持ち出すけども、これにも人の創意工夫が登場する。
たとえば、ポークシチューかと思われたのが実はイルカの肝臓の加工であったり、イソギンチャクのジャムであるとか、海藻から造った葉巻であるとか。
ヴェルヌはさすがに調理法までは書いていないけど、ナマコを登場させてもいる。
おそらく、彼にとっても、ナマコを食べるというのは、ちょっとした奇異があったんだろう。
マレー方面でそれが保存食として存在するというのをヴェルヌは知って、それでノウチラス号の食卓にそれも添えたらしいが、当時の読者はヴェルヌのように情報を数多収集するようなヘキがないんで、きっとビックラこいたろう、その記述には。
ボクはジュール・ヴェルヌを美食家とも食通とも知覚しないけども、食に興味のない人であったとは到底思わない。ましてや『海底二万里』の前半部はセーヌに浮かべた自艇サン・ミッシェル号で書いていたらしきなので、おそらくは泊まり込みもあったろうさ。そうすると自分でクッキングしちゃったりもしていたろうさ。
同時代のどの作家よりも彼はその点はアクティブに"食"と向かい合っていたと、思えるんだ。でなきゃ『2年間の休暇』にける少年達の自給な食生活なんて書けもしないんだし。


かつて花田清輝は『日本のルネッサンス人』の"琵琶湖の鮒"でもって、鮒寿司ふなずし)に言及し、中世における食の光景を再定義してくれて、さらにはそこから目眩むような広大な文化史を展開して… ボクに苛烈な衝撃をあたえてくれたけど、食べられそうにないものを美味しく食べるという、人間の営みの深さというか、そうせざるをえなかった状況をふくめ、なにやら、『食』には濃く惹かれるわけなのだ。
オシャレにエレガントに食べるとか、あれが流行ってるとか、どこそこのレストランのナニがうまい、とかじゃ〜なくって、どうもそういうのは興味ダイなれどもホントは苦手なのであって、ただもう、その個々の料理品のスタート時に興味のウェイトを置くわけだ。


室町期のちょっと上位の武家の食事では、今ボクらがガッコで学ぶ「米を主食にして」ではなくって、いっそ、米はおかずに添えられていたに過ぎず、メインはおかずにあった事に… 花田清輝は注目した。
ごく日常な食として、3つのお膳に12種のおかずと3つの汁がのせられている。1人にだよ。今より、多い…。
この種類の潤沢を考慮し主食とおかずの関係を彼は考えて、稗(ひえ)や粟(あわ)の飯しかありつけなかった階級にとって、それは惨めなことであったろうかというクエスチョンを浮かべるんだ。
極度に都市化されてはおらず、人口に対して緑あやなす地面比率高き時代… 膳の豪奢差はともあれ、土筆(つくし)だの春菜だの、高位の武家も下層の日暮らしでも、おかずとしての菜は同様に卓にあったろうと。
稗やら粟だけを口にしていたんじゃなかろうと。
これは1478年に書かれた『大内家壁紙』(今の山口県方面ね)という家訓教本みたいなのに記載の食膳のスケッチや、あるいは当時の創意工夫でもって種々の料理と化した土筆のことやらを元に花田が考察した結論なのじゃあるけれど、そして、かつて、鮒寿司におけるフナとご飯はどっちにウェイトが置かれていたか、はたして御飯のバリエーションとしての鮒の起用なのか、鮒を美味しく食べるための米の添加なのかといった事々の、その解釈によって導かれる新たな"景観"を提示してくれたわけだ。その逆層の展開式に、ボクは魅了をされる次第。

なので、カズノコ最初においしく食ったの、だぁ〜れ? と、思いを飛ばすわけなんだ。



カズノコにゃ関係ない、12月29日夜の某ビッグバンドの忘年会写真を混ぜちゃったけど… ダイコンを最初におろしちゃった人なんて〜のも、すごいよ、立派だ、偉人だよ。
おろし器の発明にはきっと膨大な思考錯誤があったに違いないんだから。
よもや、最初からそれが焼きサンマに合うなんて事は思ってないだろうし、すって、おろして食べなきゃいけない何かの必然があったんだろうか? とか、想像するといささか愉しかったりするんだ、ボクは。
一部の地域には、竹製の"鬼おろし"というのが古くからあって、これはダイコンに特化したものだそうだけど、その鬼というのは、ひょっとしてお腹が痛い… とかなさいにおろしたダイコンを食べる事によって治療にあたるという、厄介を取り除く法としての、お薬的発想が最初にあったのかも… とかさ。薬味って云うぐらいだし。


どうも、食べることよりもそんな事どもの方についつい注目しちまって… はたと気づくと眼前の美味しいものが冷えちゃってるってなアンバイ。
よろしくないっす。
たとえば、"冷や飯"というように、ゴハンに関してはその冷めた状態を指す言葉がちゃ〜んと与えられているから、これは過去の滞積としてそういった事例が多々にあったゆえにと判るのだけども、湯豆腐が冷めた状態を指す言葉はいまだ開発されてない…。
ということは、これはやはり、冷めぬ内にとにかく確実に食べなきゃいけないワケなのだ。冷めた湯豆腐を指す単語がないというのは、そういうコトなのだ。冷めた湯豆腐を喰らうというのは、なので、
「言語をぜっした振る舞い」
というコトになるんだろう。
上の写真は12月31日大晦日の、つきあい長きな友人たちとの忘年会の湯豆腐鍋だ…。喋るより先に食え… という自戒的写真…。


このパッケージ写真は本文には直かに関係ない。31日の夜の、その湯豆腐を前にして… 東京から帰省の友達が持ち帰ったナゾの"岡山みやげ"なんだけど、いささか不思議。
なんだ、「とうきょう ももたん」って?
神町に会社があるらしいが、天神町はちょっと知ってるつもりだけど、知らんな〜。あの… パン屋さんかな〜?
売ってるのは東京の某所のみ? と思ってたら岡山市内の何カ所かじゃ売ってるな〜。
実体不明なれど、それゆえ興味少しアリ。
これは… 調理云々というよりも、岡山をネタにしたマーチャンダイジングな方面での興味。