宇宙からの脱出

会場で3Dメガネをかけて"立体映像"を眺め、ダイジェストじゃなくって本編1本丸ごと観たいぞ〜と感想を抱いた方も多いのじゃないかと思うけど、大阪での「サンダーバード博 in 阪神」終了。
年明け早々の某日は新幹線不通で観に出向いたものの… 帰れなくなった方もあったようだけど、お越し下さった皆さん、どうもありがとう。


さてと… 時々、映画をなぞるようにして現実がアトを追っかけてくることがあるね。
予言的映画といったジャンルは存在しないけども、年末に記した綾田俊樹の怪演が頼もしい『東京原発』もそうだったし、かの『チャイナ・シンドローム』もそうだった。『サンダーバード』も俯瞰で眺めると、"国際救助隊"という概念はそれにあたるかも知れない。


ボクの知る予言的映画の最初の事例は、1969年の『宇宙からの脱出』かな。
宇宙実験棟のスカイラブから帰還のさい事故が起き、3人の飛行士が戻れなくなる。
公開直後にアポロ13号の事故が発生して、はたして3人の飛行士の運命やいかに… とタイミングもよく重なってしまったのがこの『宇宙からの脱出』だった。

監督が『OK牧場の決闘』や『大脱走』のジョン・スタージェスで、グレゴリー・ペックにリチャード・クレンナにデヴィッド・ジャンセンにジーン・ハックマンとスターぞろぞろの大予算映画。
特撮シーンの合成処理にコンピュータが活用されて、当時これを観た円谷プロ円谷一氏が相当のショックを受けたそうだけど、なんだか予算の使い方が奇妙な映画だった。
3飛行士が乗るアポロ司令船の"支援船"部分が異様に短いんだ…。

ホンモノのそれに較べて半分しかないんで、それで撮影に随分と苦労したなんて〜話も伝わってるんだけど、なんで半分サイズなのかというと、
「予算の都合で短くせざるをえなかった」
と、何かの本には書いてある。
(上の写真はその寸足らずな撮影セットとその模型)
可笑しいね〜。粒ぞろいのスターを起用して当時の額面で50億円(当時のパンフレットにそう書いてある!)かけての映画なのに… 重要な宇宙船の実物サイズの模型の製作費をケチってるんだから、妙なのだ。
どういう配分でお金を費やしてるのか… きっと大部分は高名なスター達の出演料に消えたんだろうけど、それでも、ちょっと事情がわかんない。画面にしょっちゅう出てくる重要な道具というのに…。

いま観ると、いささかに退屈なんだけど、作りそのものは実に丁寧で生一本な大真面目。
実際のアポロ13号では帰還予定地にハリケーン接近ということでハラハラが増加したけど、"予言的"という冠にふさわしく… この映画ではそれも描かれてる。
ジーン・ハックマン扮する宇宙飛行士がトラック運転手にしか見えないという、スペースシャトル以前の、当時のいわゆる"ライトスタッフ"たるヒーローの資質を存分に発揮した連中が持つ強靱さが描けてなくって、そこに大きな不満があるけど… しかたない。
ジョン・スタージェスをしてまだ当時、カウボーイとスペースマンとの違いは充分に理解出来ていなかったんだろうし、誰しもがそうだった。
けども、先に書いた通り、真面目に"事件"に向き合っているのは好感だし、円谷氏を驚嘆させたとはいえ、まだ合成そのものは今のそれとは比較出来ないレベルゆえ、背景と人物のフチにすべからず、「合成してます〜〜」な黒っぽい輪郭があったりする。けども、そこも"今となったゆえ"に好感なのだ。
最近の『ゼロ・グラビティ』辺りの精緻なCG大活用とはいささか違う画像とテンポが、愛おしい。

その昔、この映画を岡山グランド劇場(今はない)で観て、
「合成シーンの、合成と判ってしまう輪郭線はいつか消えるんだろうか?」
と、いささかの不満と今後への希望を混ぜつつ館のシートにうずくまっていたのをボクは今もけっこう鮮明におぼえてる。
いまや作られず、かける館も激減の、だから、その大きなサイズでの上映を知らない方が多くなってしまった70ミリの、前の方の席で観ちゃうと首を左右に振らなきゃいけない迫力も懐かしい。

ま〜、そんな次第あって、好きな、忘れられない"予言的"映画なのだ。
この映画に登場の宇宙船アイアンマン1号のカプセル部は、不幸なあのアポロ1号の初期の形を踏襲していて、それを見られるのも感慨深い。実は「月のひつじ」のトップ上段の写真は、この映画のスチールなんだ。


多くの方に勧めたい映画じゃないけど、自分にとっては思い出深きな作品ってあるでしょ、それがこれ。
数年前、TVC-15のホームページでこの映画に触れたさいには、未知な方より、録画されたDVDを贈られたこともあってビックリ狂喜。感謝にたえなかった。(その頃はまだDVD化されていなくってオフィシャルなのが販売されたのは2009年だ)



ここに記載の模型写真はいずれも『宇宙からの脱出』仕様で作ったペーパーモデル。
プロップの寸足らずもそのままに作ってるんで、なんか〜、カッコ悪い。(製品化を目論んでの試作で現状は発売未定なのでアシカラズ)
ただ、こうやって模型を作って寸足らずを再考証・再検討してみると、単にケチッたというわけじゃない"事情"が垣間見えてくる。
実は、カメラの被写界深度が問題であったんじゃないか… と思えてきた。合成が予定される背景との兼ね合いを考えると余計そう思えてきた。
宇宙船の前面部にカメラをそえたさい、長太い筒状の宇宙船の後部はピントが甘くなるというか、70ミリサイズの大きなフイルムでは、たぶんに物体の輪郭部が滲む。そうすると合成に不向きだ。
レンズの制約と効果が実は最初に検討され… 結果、撮影用原寸模型は真横からは撮影しないことを前提に、あえて寸足らずながら正面方向からはチャンと見えるディフォルメをくわえて、レンズのピント深度に適合させたサイズに修まるよう作ったんじゃなかろうかと、そう思えてきた。

カメラありきが映画というもんだ。そして、撮影スタジオの大きさには制約がある。そうでなくとも三人乗りの宇宙船というのはカメラの眼でみれば大きな、文字通りの大道具なんだから、これの全体にピントを合わせようとすると当然に被写体たるそれとカメラには大きな距離が必要になる。照明も大規模になる。
以上の制約を考えると、この寸足らずは予算拡大を抑制する最大に効果アリな方策だったと… そう思えてきた。
「予算の都合で短くせざるをえなかった」
というのは実はそういうことを意味していたワケだろう。貧して鈍したわけじゃなく、周到な計画の元での寸足らず… というのがたぶん真相だろう。
幾つかのシーンでは妙に短いと判ってしまう側面が見えちゃうけど… この映画は69年度のアカデミー賞(特殊効果部門)を受賞してる。
コンピュータを用いたということの他に、フイルムの特性を活かすべくのこの作術としての奮闘に受賞理由があるのかもと… 映画公開から45年も経って、そう思えてきた。

1番下の写真。アポロ17号のペーパーモデル。(これは販売中。米国のサイエンス系ミュージアムショップにもあるよ)
映画製作上の"やむをえない"嘘は、このボディ部分の長さと較べるとよく判ると思う。