恋するリベラーチェ

かどっこのピザパティオで食事したのは何年ぶりだろ? 始終その前を歩いちゃいるけど、ひょっとして10年を越えたお久しぶりだったかもしれない。
リゾットとパスタとピザをオーダーして3人で分け合う。
前菜としてオーダーのポタージュ・スープがお変わりしたくなるほど、やたらに美味しかった。


映画を観る前ゆえホントはビールを呑んではいけない。トイレに途中でたつことになるから…。
でもピザが運ばれてくると…、この場合、ビールだよね。
3杯はやめて2杯といこう。

映画『恋するリベラーチェ』。
主人公たるリベラーチのことをボクはまったく皆目知らなかった。
昨年、奇しくも2人の女性から、マイケル・ダグラスとマット・ディモンがゲイを演じるよ、と聞かされて、
「また、何で…」
訝しんだけど、年があけ、誘われるまま、1種の怖いモノみたさ、あるいは、自分はこの手の映画を我慢出来るのかしら? ちょっとした肝試しっぽい風情もふくませて、それで観賞前のピザパティオなのだった。


主人公はリベラーチ。
エルトン・ジョンやらプレスリーに大きな影響を与えたという、実在のピアニストだったことをボクはま〜るで知らなかった。
巻頭で、「8ビートのブギウギを16ビートでやってみましょう…」 とのステージ上のピアノ・プレーにまず驚く。
マイケル・ダグラスが本当に弾いてるのか、それとも指先はCG処理なのか… そこは判らないけど、なにやらアッケに取られ、知らず喰い入るように画面に注視させられる展開。
以前に書いたけど、マイケル・ダグラスをボクは苦手とする。
顔が… 好きになれない。
けども、この映画に関しては、なんだかそんな不平をもらすユトリがないくらいに彼はリベラーチになりきっていて、そこの凄みに圧倒される。
マット・ディモンも凄い。


この御両者は実生活ではゲイではあるまい。
それをこなす。
自己演出という部分での役者マイケル・ダグラスとマット・ディモンの度量に、とにかく感心させられた。
男と男の愛情という、ボクには感心のわかない事柄が主旋律なれども、映画は音楽シーンでスタートし、音楽シーンで閉じられる。
リベラーチというピアノで愛を紡ぎ続けた人への、極めて愛情あふれる"音楽映画"の作りになっていると… 見終わって気づかされる。
エンドクレジットに続々と登場するピアノのミニチュアの数々も、いい。

ゲイを扱っちゃいるけど、根ッコの部分でこの作品は音楽で呼吸する人間の映画だった。
わけてもラストの教会での葬送がステージシーンへとつながって、マイケル・ダグラスが語りかけるように愛を唄うシーンは、滑稽なほどにキッチュで悪趣味に満ちたこのリベラーチという人物の中の純粋さの深淵をよく伝えてくれて、淡やかな感動をおぼえさせられる。音楽イコール愛という輪っかのような形の良さに感服させられる。
もちろん、そこへ行き着くまでにはリベラーチの愛、スコット(マット・ディモン)の愛は、伸びたり縮んだり歪んだりする。その振幅を越えて、けれど結局小さな何事かが人には残るというのを見せられ… ボクは同性愛者じゃないけども、普遍としての、他者を愛する気持ちの在りように頷かさせられる。そこに音楽が介在しているのをマノアタリにする。
激烈にこの作品が素晴らしいとは思わないけども、ラストでもって凛々とした高みにリベラーチを昇華させた監督ソダーバーグの力量にも感心した。
コカコーラの飲んだ途端のキリリとした感触ではなく、ひどく揺さぶられもしないけど、ゆるやかに次第に滋味深いもんを味わったぞという、後になって味が出てくる映画というのは、近頃そんなにない。
これをボクは"スルメ効果"と呼んでるんだ。


中ジョッキ2杯のビールだったゆえ、きっと途中でトイレに… と思っていたけど不思議や一向にその兆しが昇ってこなかったのも有り難い。
見終えて、3人、BARコマンドに移動して呑みなおし。
同行の2人は、かたやアルコールを嗜(たしな)まず、かたや1人はアルコールは今はダメな事情あって、呑むのはボクだけだけども、マイケル・ダグラスとマット・ディモンの役者魂の強靱さに乾杯というワケだ。