80回目の誕生日

ボクが80回めを迎えたワケもない。
古市福子さんが80歳になったので、ささやかな祝いの席があったという次第なのだったけど… 実は近親の誰もが彼女がそんな年齢とは知らなかったんだ。
70代前半くらいだろうと思ってたワケなのだ。
さすが、女優だ。


知らない方に少しだけ解説しておくけど、彼女はとても若い頃よりこの岡山で演劇活動をはじめ、頃合い良き時期に東京へ出ようとしたんだけど、そのさなかにお母さんが倒れてしまって、この地を離れることが出来なくなった。
なんせ母1人子1人なのだ。
そんな次第あって、中央進出を断念し… 「ドラ」という名のBARを経営しつつ、地元での演劇活動に専念をした人なのだった。
だからもう60年以上この岡山での演劇にたずさわっていて、去年の末頃には文化庁から、功労賞も受賞した。
受賞歴はこれがはじめてではなくって、幾つもあるけどここでは省く。

去年だかその前だか、NHKの某ラジオドラマで主役級を演じ、その出演料でもってボクはいささか高額なウナギをご馳走になったこともある。

彼女としては、べつだん年齢を隠していた次第じゃない。
どうも、ボクらが勝手に70代前半だろうと決めてかかっていたに過ぎない。
でも、そうであったとしても彼女自身から自身の年齢を口にすることも、また皆無なのだった。
けども、80歳。
1つのけじめとして意識的に自身の年齢を広言する気になったらしい。


69年前の11歳の時、彼女は岡山大空襲のさなかにいて、自宅の炎上も目撃している。
上空をゆるりと旋回する黒い翼の下部から幾重の光の線が地表へと断続的に伸びていくのも目撃している。
機銃照射… だったのだろう。
同居人を救うべく、彼女のマザ〜は、ちょうど今の岡山神社付近の河の土手沿いの大きな樹木の下に彼女をとどまらせ、「そこを動くな」と云って、燃えさかる今の市民会館裏手の自宅に引き返す。
マザ〜が去った後、今度はその岡山神社が燃え始める。
彼女はその炎を眺めて、"美しい"感じをおぼえたという。
家人と共に逃げる級友とその場で会い、
「明日、学校は休みじゃな〜」
笑ったという。
そして、また眼は… 燃える岡山神社を眺める。


この話を聞いたのは、ボクが関わるあるプロジェクトの過程でのことで、その岡山神社のすぐそばでは、一番に聞きたかった図書館もまた燃え上がっていたはずなのだったけど… 不思議だった…。
聞くに連れ、肝心の図書館の最後の姿のことよりも、死と近接の笑いに不思議を感じた。

写真:岡山神社すぐそばにあった、今はなき図書館(ペーパーモデル)、これが現在の県庁前の県立図書館のオリジナルの姿なんだ、ヨ。
 

ともあれ。

彼女は焼かれることなく、また母と再会し、足を機銃で撃たれてる同居人(というか古市親子がお手伝いさんとして住み込んでいた家の老主人)と3人で夜明けになる頃に倉敷方面へ避難した。
その後の顛末はやはり… ここでは省く。


そうこうする内の… アレあってコレあっての… 80回目のバースデー。

1人で静かに呑んでいたい… という気持ちであったようなのだけど… そうはさせてあげないのだ。

相談して皆んなで祝うという次第ではなくって、彼女がどこに出没するかを知ってる少数な"とりまき"が実に勝手に、バースデーの夜、場を祝いの席にと、転じさせただけなのだ。


それはボクには意外な光景であって、ボクが店につくと、すでに彼女の席の周辺は花でいっぱいなのだったし、ボクを入れて7人が祝いを用意しているのであった。

こういうのは嬉しいな。

ボクはダウンベストをプレゼントしたのだけど、"福"の文字が目立つ箱にマフラー(黒いネコの図柄がはいってる)を入れてギフトしちゃった人もいる。

その箱は、居合わせた誰もが知らなかったけど、岡山にある老舗のケーキ屋さんモーツアルトのモノなのだそうな…。
ヨーロピアンな感触が濃厚の店と思っていたゆえ、よけい、おかしくもあったけど、その箱… 細部に至るまで良く出来てた。

2月3日の節分の日に誕生した"福子"さんに実にふさわしい箱だったから、一同、皆な大いに感心をした。

ボクとおないドシの悦ちゃんが、どこそこの"酒屋"で買ってきたというアップルパイも、メチャンコ実に旨かった。

普通、アップルパイはアップルが柔んわりなのだけど、それは酸味をしっかり残しつつシャキッとした歯ごたえがあって、それが表層のパイ生地と実にうまくからんでいて、絶品だった。

これにロウソクを1本立てて、ささやかにハッパーバ〜スディ〜トゥ〜ユ〜♪、なのだった。

ともあれ、嬉しいじゃないか。

なにより、結局のところ、彼女が80歳なんかにはまったく見えず、60代後半〜70代前半くらいな"若さ"に充ち満ちているのが嬉しくってタマランのだ。

去年のジャズフェスじゃ、彼女に無理してもらって、「どら」の時代のヤキソバをいささか大量に作ってもらったりもしたけれど、そういう難題を拒絶することなく、
「も〜、しゃ〜ね〜な〜」

と笑って受け入れてくれる人柄が実にイイのだ。

後日、こっそり、ボクのポケットマネーでもって経費とは別途な御礼をしたものの、彼女がお金で動く人じゃないコトをボクはよく知ってる。

事実、あんのじょう… この80歳のふいの"誕生会"となった夜のお勘定は、全部自分で持つと… 途中でこっそりBARママに打診していて、いざオヒラキとなったさいにはボクらは10円たりともオサイフから供出しないよう、そんな心遣いをしているんだ。

これは出来ないでしょ、普通。

この提案をキチリと受け入れたBARママも、いい。

判ってるんだよ、彼女にも。
気持ちが。


だからホントに気持ちのよい一夜となった。

風と共に去りぬ」を、ボクらは映画として認識しているけど、福子さんの場合は、まずは小説なのだった。

さすがに80年の積層は厚いのだ。

小学生の彼女は小説でどっぷり浸り、戦後になってやっと日本で公開された映画を観て、ビビアン・リーがいかにその原作そっくりかを熱く語ってもくれて、また1つ、ボクはひそかに学ばされる。

そのあたりに彼女の女優としての原点もあるような気がするし、オンナタレントはいっぱいいるけど、ジョユウに価いする人はまったく絶滅しかかってるような気もする…。

そこの棲み分けは何だろう?

ボクらに気づかぬうちコッソリと、フイな祝い会の場になった経費いっさいを自身で賄うという辺りの、その気っ風というか心意気というか… なにか、その辺りにジョユウたるの資質のなんたるかが隠されているような気もするけど。

ルーブルモナリザのあの不可思議な笑み同様に、ボクには燃え上がる岡山神社のすぐそばの木の下にマザ〜を待って佇んでいて、そしてちょっと笑みている少女の不思議が… 好きだ。

その少女の80回目を祝えたことが、なんとも嬉しい。