来る3月29日に

前回のブログは諸々な方々から反応があって、実はすごく意外に思ったというか、その"指摘された部分"の局所的ところからの展開に、「へ〜っ!」てな感慨を湧かせたんじゃあるけれど…、だって、Paulの語源に"ちっさい"が含まれるなんて夢にも思ってなかったんで、
「へっ? えぇっ!」
って〜な、想定外のことになって、メガマウスさんの洞察には感嘆してる次第なのだけれど、あるいは"酔ってる状態で実は記してる"という推測が大当たりでもあったんで… さりとて、そこの延長でもって、またここに諸々、ショートorリトルかも… を記すというワケにもいかんので………、今回は宣伝、広告だ。
(^_^;


3月29日の土曜の午後2時より、岡山シティミュージアムにて講演します。
コ〜エン。
パブリックという処は同じながら、パークではなく、レクチャーであります。


『ザッツ・エンターティメント 輝ける番町線』
場所 : 岡山シティミュージアム・4F講義室 
日程 : 2014年3月29日 土曜 午後2時〜4時 (開場1時半)
料金500円(先着80名様限定)
問い合わせ・予約:岡山シティミュージアム 086-898-3000

その昔この岡山市にて、明治時代末からズ〜〜〜と営業して昭和43年(1968)に廃線となった路面電車『番町線』をモチーフにした講演。
岡山電気軌道株式会社が運営していた、何を隠そう、前を隠そう… な、世界で1番に短かった路面電車のハナシでござい。
今は日本三大公園として名高き後楽園に近い後楽園口駅から、江戸時代にゃ下級な武士家族が住まっていた番町までの、ごくごくショートな区間
実際にゃいささかニュアンスが違うんだけども、でも、正式な登録上の呼称としての、この「番町線」というのは、たった450m程の区間であったというコトにマチガイはなし。
歩いた方が早いぜ! なショ〜ティな路線がホントに、この岡山にはあったんです…。


これのヒストリーをば語ろう、という催し。
けども、それだけじゃオモロ〜もない。
淡々と歴史を綴るなんて〜のはマッピラゴメン、マジメな学術でゴザ〜イな装い、は嫌いなの。
いまも思うけど、なんで「大化の改新」の年号を暗記しなきゃイカンのよ。それって意味ないでしょ? 意味あるのは、大化の改新って、何だったの?? というコトでしょ。
知覚出来なきゃ歴史なんて、それこそ意味ないじゃんか。

そういうショボい"講演"なんて、やりたくもないっすワイ。
なので一考!
およそ60年ほどの歴史ある、その「番町線」をどう… 今に伝えるか…、というのを1つの命題に、こたびは、音楽と歴史をクロスオーバーさせて"語って"みるという、企て。
あのね、だってさ、明治末に岡山電気軌道株式会社が番町線のスタートとなる路線を敷いた頃にゃ、その頃にしかなかった音楽があったワケ。
時代の流れにゃ、音楽が背景にあるんだわさ…。
それはもう忘れられたというか、路面電車とは誰も結ぼうとしないけど…。

なので、こたびは、今までの講演の形式から抜けだし、会場で音楽が奏でられて、
「オ〜、あの曲か〜!」
「そっか〜、その曲は、そんな頃に、そんにゃ次第あって作られたかぁ〜」
てな、楽しみつつチョット"学習"しちまうようなカタチでの講演(フォーラム)をば、企んでいるんだ。

たとえば昭和43年の番町線が廃止になった頃、メチャにヒットして流行った曲があったワケ。
その曲って、あ〜〜た、解りますか?

たぶんに、その頃… 小学生くらいから以上の人なら、そして、その頃にゃまだ産まれてない方々にも… その曲って、今は、クッキリわかりますよ、まずマチガイなく地球人たれば。
「えっ! あの曲って、その頃なの!」
ビックラこくと思うべな。


当然にボクは楽器を弾けない。
よって、こたびはOH君こと、医師で作曲家でピアニストでややイケメン(だと1部で噂あり)な太田徹哉氏をゲストに、彼のキーボード(これはこれでケッコウ高名な方々がそれを使ってる秘話もあり… 近例でいえば1年ちょっと前の下石井公園(岡山市内)での宇崎竜童のコンサートとか)と共に、明治〜昭和の番町線が駆けていた時代を、個々の時代の音楽と共々に顧みようという企画。
いわば音楽でもって、番町線を"感じるワ・あっは〜ン♡"てな企て。

ま〜、そんな、ちょっと類例のないカタチでの"講演"でありんす。
太田氏は岡山ジャズフェスティバル主催の代表者でもあるけれど、その彼がジャズとはほぼ無縁な、歌謡曲、あるいは童謡をば、あるいはコマーシャルソングをば、ジャカジャカ♪弾くというのを観られるのは、たぶん、この講演のみ。(笑)
これはボク自身も愉しみ、なの。
歴史と音楽の" 核"融合!。
分裂ではござ〜ませんよ。


かつて高杉晋作は、わずか29歳にして没してしまったけれど、生死わかつ苛烈の日々の渦中にあって、常に"折りたたみ"出来る三味線を携帯して、時間あらばポロリンペロリン弾いてたようだ… といった、歴史の矢面(やおもて)ではなくって、その側面から"歴史"を見直してみようという試み。
高杉が結核で死んだのは何年だったとかいったコトではなく、彼が活き活きと呼吸してるさなかの三味線の存在は、彼にはどれくらい大事なもんであったかを考えようという企て。
(むろん、これは路面電車のハナシなのだし高杉晋作は岡山にユカリはござんせんが)

ど〜よ? 

ちなみに太田氏とはながきつきあいながら同じステージに並んでチャプチャプ語るという(トークショ〜的色合いが濃ゆいよ今回は)のは初めてのコトなんで、そこも個人的には"初春"めくな感慨あって、空気が澄明なの。

3月29日。岡山近隣の方は… お時間御座いますればお付き合いくださいね。