庭木に水をやりましょう

天気と庭木や草花の話が頻繁に口に出るようなら、だいたいそれは歳をとった証拠だろう… と昔から云われてるらしいが、きっと、そうでしょう。
マチガイござんせん。
けども、それで良いのだ。
すでに遠心力でもってブンブン外へ外へと出ていくような時期は終わって、徐々にジョジョにと求心的界隈へ向かうのが、ま〜、歳をとる利点なんだから、天気や植物の話をしても一向に構わないのだ。
いや、むしろ、それを話せないようでは、「まだま〜だ乳離れしとらんの〜」な生育不全を思わずにはいられない。
……なんちゃってね。
ま〜、実態はたいしたもんじゃない。
老いたる我が母に、
「花の苗じゃ、植えとくれ」
と、2月だか3月に懇願されて一画に植えたのが、なんのこっちゃ、
「サヤエンドウじゃん!」
だったこともある。

たいした知識も実績もないまま見様見真似なそぶりというのが、実態だぞ。
むろん、出来ちゃった婚じゃないけども、出来たサヤエンドウに怨みはない。サヤエンドウはサヤエンドウで大いに活用できるから、いいのだ。
花じゃなかったけど、高野豆腐と一緒に卵とじ出来るから、いいのだ。
ただ、あくまでも"花壇コーナー"とボクが規定した場所にモジャジャ〜と野菜たる豆が植わっているのが気にいらないだけだ。


じつは、豆は豆として、"畑コーナー"にソラマメを2苗、植えていたのだ。
いうまでもなく、これとて、その成長実体をボクは知っていたワケじゃない。
育って初めて、
「なんじゃ、こんなに背ぇ高くなるんか…」
ツイタテのように拡がった葉っぱに眼をクリクリさせて、ストーリーはもう忘れてるけど、かの「ジャックと豆の木」めいた… 成長力の甚だしさに、ただもう感心だの呆れだの… している今日この頃なのだ。


わずかなスペースの"ガーデン"だから、以上のことはまったく規模ささやか。大股で6〜7歩で横断出来ちゃう狭さだよ。
けども植物の成長を毎日眺めると… 大農園の管理をしてるような"ナンチャッテ"気分も生じてくるから、オモチロイ。
ユスラウメの件もあって… 1日1度長靴を履かないとどうも落ち着かないような感じに、なる。
予報で「朝方は霜が降りるでしょう」などと云われたら、ひそかに幾つかの鉢を軒下へ移動させたりと… お天気具合も大いに気になる木になるという次第。

せっかく大きくなりかけたアボガドや植えかえの椿が… このようにグッタリして昇天ということもあるから、なので、天気のことが口に出るのは当然なのだ。
冷気、霜、雨、気温、日照、葉っぱ、病気、なめくじ、てんとうむし、被害… そんな単語の活用が多くなる。
自身の成長が足踏まれるぶん、植物の成長に何事か託してるのかな…。
これを二律背反というのかしら?