サバ缶太平楽 part.3

いつぞやこのブログでサバ缶を記して以後、お友達から缶詰を頂戴することが多くなった。
このたびも、福井〜京都方面をバイクで駆けたマ〜某エツ某天気予報コンビから、1缶、もらった。
こういう、日常みかけない缶をもらうと、ヒジョ〜に嬉しい。
わけてもこれはいわゆる"鯖街道"の芳香ただようものだから余計に嬉しさがふくらんで、缶を眺めたり裏返したりは出来ても、なかなかオイソレと食べられない。


なんせ我が敬愛の2人が、鯖色の、いや空色な、BMWでもってこれをわざわざ福井方面から持ち帰ってくれたと思うと、容易にパカ〜ッと、あけられないじゃないか。
では、いつ、あけるのかという命題に直面して… これに往生するうちに賞味期限が切れるというコトにもなっちゃいかんから、いずれはきっと開封し、キリリ冷えたウイスキー舐めつつニヤリ笑うという日は来るけども… まだ、それは今日や明日ではない。


この前、ボクが呉で潜水艦を眺めてウハウハしてた頃、時期同じくしてやはり呉に出向いた某女よりは、下の写真、こんな缶も頂戴した。
サバではない。
サバではないけど缶詰なんだからカタチはよく似てる。←あたりまえだ。
同じ呉にて土産を物色しても、女子と男子は概ね、眼に映えるものが違う。こちら鶏皮だ。

前にも書いたと思うけど、ジュール・ヴェルヌは『十五少年漂流記』でもって、難破して謎の島に到着したスルギ号船内に缶詰があったことを記している。
少年たちが島へ陸揚げすることになる物品をヴェルヌはおよそ10ページ近くを費やしてリスト化してくれているけれど、ただ、どんな缶詰であったかまでは書いてない。
19世紀当時の加工品としてだから、ニシンのオイル漬けとか酢漬けとか、そういったものだったろうとは想像する。
すでに当時ノルウエー海域ではサバ漁が盛んだったらしいから、下の写真のようなオイル漬けの可能性はあるけれど、味噌煮じゃないだろう…。

ヴェルヌは味噌を食したことはなかろうとは思うのだが、それでも… パリ万博に日本が初出展したのは1867年で、これは『十五少年漂流記』が出版される21年前だから、可能性が100パーセントなかったとは云いがたい。
なにしろヨーロッパ圏に日本を紹介出来る最大の機会ゆえ、いわば総力あげて日本は諸々を運び込んだので、味噌もそこにはあった筈。
幕末期。実はまだ国旗もない日本は、2年の歳月をかけて物品を用意調達し、その総量は大型の木箱で189箱もあったらしい。
くわえて、おすみ、おさと、おかね、3人の芸者を船積みし、パリ会場でキセルを吸わせ、茶をたてたりのパフォーマンスを演じさせた。

(この徳川政権の出展とは別途で薩摩藩佐賀藩も出展。物量としてはこちらの方が250箱とはるかに多く、佐賀の伊万里焼が大ヒットするのはこの博覧会からだ)


博覧会開催中に大政奉還…。
派遣された方々一同お金のやりくりに難儀するけども、会場で日本人がはじめてライブで聴いたオーケストラが作られたばかりのバリバリ新曲「美しく青きドナウ」で、指揮者はシュトラウス本人なんだから、いわばポール・マッカートニー本物聴いちゃったよ〜、みたいなもんだ。


このパリ博の日本館に缶詰はない。
日本の缶詰製造は1877年(明治10年)からだそうだから、サバ缶などあろうはずはない。
あるのは、やや保存のきくカタチでの加工食品たち。すなわち味噌や酒なのだ。
いかんせん、鯖の味噌煮の歴史は不明ゆえ… これに関しては何とも云いがたい。
パリ博における浮世絵や刺繍絵はヨーロッパに衝撃をもたらして、いわゆるジャポニズム、絵画の世界において大ブームが起きるけど、味噌が衝撃だったとはボクが知るかぎり、文献上どこにも見あたらない。
きっと、かの地にあってそれはとても馴染めない香りであったような気がする。


ピータ−・バラカンは60年代末だか70年代はじめだかの頃に英国から日本にやってきて音楽の仕事をはじめたらしいが、空港から東京に向かうまでの道中で、味噌とタクアンめくな特有の匂いがこの国に充満しているのを感じて、その不慣れな匂いに難儀したようであるから、19世紀もご同様だろう…。

1978年のパリで、はじめてほぼ満席状態のメトロに乗ったさい、ボクは車内のチーズ臭にムッとなったことがある。
口臭ではなくって体臭のなせるワザと悟った途端にきっとボクはお味噌の匂いの異邦人なんだろうな、とそこではじめてパリにいる自分をあらためて感じたりしたけども、そこを思うと、19世紀末の『十五少年漂流記』のブリアンやモコやゴードン君たちはきっと… それがあるという前提にたって云えば、貴重な食料たる缶詰であっても、味噌味付けの缶だけは敬遠したろうなとは思うのだ。


でも、あんがい、水煮はイケるんじゃなかろうか。
水煮缶の風味はあんがいヨーロピアン感性に合うんじゃなかろうか、と考えたりもするけど、どうだろう?
今も日本じゃ、人によって生臭いと感じる水煮の風味は、フランスの人にはあんがい馴染めるもんじゃなかろうか?
近年の何かの調査で、フランス人をダントツ筆頭にヨーロッパの方々は、セックスの前に身体を洗わない、事後にも洗わないという、いわばお相手の体臭を愉しむという癖(へき)が明白になって、この日本の何でも清浄しなきゃいけない、わけてもセックス前には必ずシャワー使いますという潔癖症、文字通りな狂的な習癖とあまりに対象的な嗜好があるから、味噌風味はともかく水煮のそれはイケるんじゃなかろうか… とボクは思うのだ。
性と食の欲をゴッタ煮ちゃ〜いけないけども、嗜好の核の部分で両者は混ざりあっているとボクは思うのだ。

以上、だんだんハナシがそれつつあるので軌道を修正してホコを早々におさめるけど、缶詰というのはいいよね。
英語(米語)でも"CAN"なのだし、いや、それが缶詰の語源じゃあるけども、夢が詰まっておりますな。(笑)
想像上のハナシ、ボクがネモ船長のノウチラス号の厨房係として乗船しなきゃいけないとなるとボクは… あれこれなメーカーのサバ缶を用立てなきゃ気がすまないよう… 思う。
大海洋に出でて、新鮮活きよいサバを獲ろうと思えば幾らでも獲れちゃう環境ながら、加工品としてのサバ缶は当然に網にかからないからね。
骨の髄まで柔らかくなっちゃった缶詰の滋味深きを是非に… サルガッソの海かカスピ海あたりでネモ船長には味わってもらいたい。
忘れたいが忘れられない地上での想い出を缶にこめ、数多の血が流れて鬱屈の悲しみのみの地上にも、捨てがたきがあることを。