ふじのひとあな 〜近い闇・遠い声〜

近頃はどんどん宅地化が進んでしまって、真夜中の水田を見たり感じたりすることが少なくなってしまったけど、それでもボクの場合で恐縮だけど…、生活圏の中、2箇所ばかりに田圃が残っていて、真夜中にBARからの帰還時、そばを通る。
周辺を住宅に取り囲まれて孤立した暗い浮島って感ながら、稲苗が綺麗に植えられ水が張られたそこに近づくと、カエルの声が聞こえだし、すぐそばまで接近すると、もはや人の会話は大声あげなきゃ聞こえない程の大音量。
いったい何匹のカエルがいるんだろう? と空恐ろしくなるくらいな鳴き声ライブ会場なのだ。
生息地が限られたゆえの大集合。その大合唱。
これは実体験していただかない限り、ちょっと字ズラ上じゃ表現できない音量で、迫力があるというか、
「ここはカエルの惑星か」
てな感じなくらいカエル声1色なのだゲロゆえ、駅前で若造さんがフォークギターでがなり立てても、この大合唱には遠く及ばない。
おまけにおかしなコトに若造さんの歌声は往々に不快かつ時に痛々しいのじゃあるけど、ミッドナイトのカエル〜ズの合唱は不快じゃない…。
いや、そりゃもう、真夜中の大声なのだから、時間をわきまえろ、とは申したくもなるけど、総じて不快はない。
むしろ、それらが何かのひょうし、一斉に鳴きやんだ時の、シ〜ンとした空気の現出が怖い。
夜の水田というのは灯りがないから、周辺に宅地があれば余計そこだけが暗く沈んで、なんか潜んでるようなおっかなさが出てきちゃう。


この前、ここに書いた庭の蝉ども。
早くも鳴きだしている。
これまた複数ゆえ、大音声。騒々しい。
不快じゃないけど騒々しい。
朝の、だいたい7時頃から10時くらいまで、ミ〜ンというよりワ〜ンってな周波で周辺を席巻する。
「いや〜、まいったな〜」
と苦笑するも、これまた不快なんじゃ〜ない。
10時を過ぎたあたりでライブ終了。ピタリと静まり、以後は… 蝉とて暑いのか… 木陰で涼んでる気配。
金木犀の根元近隣に空いてる親指大の複数の穴は、その蝉たちが出て来た場所だけど、蝉は木にとまって、暑い午後、チラリと下を見て穴に眼をとめ、
「土中での生活の方が楽だったな〜」
なんてコトを思ったりするんだろか?

だいたい、地中に開いた穴はヒンヤリしてるもんだから…、と今、そんな風に書いてしまったけど… 誰でも名だけは知ってる『吾妻鏡』にも、穴がでてくる。
蝉幼虫が住まった穴といった小さなもんじゃ〜なくって、こちらは規模がでかい。洞窟だ。
富士山に関係する洞窟。
それがあまりに深くって、かなり不気味ゆえ、建仁3年(1203)に源頼家が家臣の仁田四郎忠常に探検を命じる。
その顛末が『吾妻鏡』に載ってるわけなのだけど、面白い。


下写真:昭和2年刊 与謝野寛/編纂 吾妻鏡-第4 巻17 国会図書館デジタルライブラリー蔵 コマNo/38

記述は、上写真の紅色にした部分にあるっきりなのだけど、この『吾妻鏡』のだいぶんと後年、室町時代に書かれた『富士の人穴草子』はもっと面白い。
なんせ、こちらは上写真の部分を1冊の本にしてるのだから、中身がムッチリ濃い。
万治4年(1661)に創られてるからオリジナルの『吾妻鏡』同様にムロン印刷物じゃなくって手書き本。糸で綴じ合わせた本だけど、挿絵が複数入ってるところがナウでヤングな尖鋭だよコレは。(国会図書館蔵)

仁田四郎忠常は『曽我物語』にも登場する武勇名高き人で、猪狩りに出て巨大猪にまたがって退治したというような逸話もある人だけど、洞窟にはその部下4人と一緒に入る。
穴は"人穴(ひとあな)"といって、静岡の富士宮市に現存する。人穴冨士講遺跡という名で保存され、こたびのユネスコの富士山世界遺産登録にくるまれてる。
高くて綺麗なカタチの山だからじゃなくって、それへの信仰がかつてからあったという文化的な側面がユネスコ登録の決めてだったんだろうね…。
ただ、人穴は今は崩落して奥行きは80mくらいだそうだし、さらに崩壊の危険があるから立ち入り禁止になっているそうな。
富士宮市のホームページにはそう書いてある。
でも忠常の頃は崩落していない。
いつの頃って、1203年の頃。811年ほど前ね。
富士山の噴火に伴ってマグマが蠢き、それが冷えて出来た洞窟だとは、今は判るけど、忠常の探検の頃は"謎"の穴だ…。尋常でなく深い洞窟のようだった。


ジュール・ヴェルヌの『地底探検』を愛する身として、この日本版地底探検はいささか、気にかかるわけだ。
吾妻鏡』の筆者が読んで欲しいと意図してる処とはかけ離れているし、ただ穴を潜っていって未知と遭遇するという1点でボクは反応しているし、ヴェルヌの壮大さは元よりないし… なのじゃあるけど、これが日本最初の"探検記"かなと思うと、チョットまた趣きも変わってくるんじゃなかろうか。
古典を"愉しく学ぶ"ための方便の中に、自然への畏怖みたいな情感を求めてのことなのかもしれないし… 蝉の声やカエルの声が次第に直に接することが出来なくなりつつあるから余計に感傷が疼いて、こういう"素材"に眼が向くのかもしれない。

ま〜、そんな自己弁護は置いといて、忠常一向5名様が入っていくと大量の蝙蝠に出くわし、次第に足元が濡れてきて、かなり入ったところで大蛇が出てきてコンニチワ。ワッとびっくり仰天で脇道というか分岐した洞窟に入り込んで、狭いワ暗いワで、これは『吾妻鏡』では、「心身を傷ましむ」と書いてあるから、相当… ビビッてるわけだ。
やがて一向は地下で大河に遭遇する。
松明をかかげ逆流を遡って、苦労して渡った先で"奇特"な光に遭遇。
"奇特"がどういうものであるかが判らないけど、ここで部下4名が死亡。
忠常は、鎌倉の大将から恩賜の剣を河に投げ込んで祈祷。
1日1夜かけてどうにか帰還。


ま〜、書いてしまえば僅かそれだけのことだけど… これを元手に脚色が加えられた『富士の人穴草子』では、その謎の光は"富士浅間大菩薩"という人だか神さんだかよく判らない者に変じていて、おどろおどろに登場するも、これが病気をしているらしい。その発作をおさえるために忠常の刀を貸してくれとのこと。
それで大事な剣をあたえると、その大菩薩は御礼とばかりに忠常を脇にかかえて地獄めぐりのツアーに出る。
富士山周辺の各所に現出の地獄図を散々に見せまわる。

でもって、そこで見たものいっさい3年3ヶ月間は誰にも云うなよ、と念押しし、ツアー後、彼は地表に解放されるという次第。
よって、ヴェルヌの描いたリーデンブロック教授とハンスとアクセルの3人の冒険とはいささか風味が違うのだけど、それはそれ、これはこれで、物語として面白いから、ま〜、いいのだ。
かつて鎌倉の時代頃までは、そんな人穴が富士の裾野には幾つもあって畏怖の対象であったというのも興味深いし、『吾妻鏡』は日記みたいな歴史書なのだから、一応ホンマのコトという前提にたって… 富士宮市に現存の人穴の、その崩落跡を掘ってけば、どれっくらい掘るか、どの方角かも判らないけど、どこかに仁田四郎忠常の家来4名の遺骨が眠っているかも知れないじゃ〜ないか。
リーデンブロック教授たちがはるか地底の世界で、その300年ほど前、彼らの旅行の元となった謎の文章を残したサクヌッセンムの遺骸に遭遇したような… ビックリに遭遇出来るかも。

1つの想像として… 忠常ら5人は洞窟に隠れ住むというか、そこを根城にした、いわゆる武装勢力を退治するのを目的としたかもしれないし、さて、そうなると遺骨に刀傷は有りや? って〜な想像も出来るし、そも、『吾妻鏡』の記述を深読みすれば、鎌倉幕府のトップから頂戴したいわば宝中の宝たる刀を忠常が洞窟でなくした理由の、いわばコジツケかもとも思ったりで… 想像がふくらみますな。
ま〜、ふくらむのは想像だけで、事の真相は遠い。せいぜい富士宮ヤキソバ食べて、
「あれ? いがいや辛口…」
B級グランプリに1票投じるくらいが関の山ンボ真夏の夢。