雨の隙間の花火

友人宅ビル屋上での花火見物。
呑みつつ食べつつ大笑しつつ。


毎年、花火大会の夜には何匹もの飼い犬が行方不明になる。それは全国どこでも共通なようで、犬はあのド〜ンの音に怯えて狂乱する… そうである。
見物しつつ、そんな話題がでる。
もちろん、たぶん、それは犬だけじゃないだろね。
はるかはるか幼な子の昔は、ボクだって怯えてた。
それがいつのまにやら愉しい見物とシャレ込めてるワケだから、ずいぶん成長したもんだボクも。
ボクの場合、ドーンより、1部の花火が醸すパラパラパラの余韻音が好きだな。
不穏な感じがあって、それが次に打ち上がるものの期待につながるといった連鎖を呼ぶ感覚が好き。


今回も何枚か大輪に向けてシャッターを切ってみたけど、いささか露光オーバー。
何やら… ガザの空爆を思うような写真になってしまった。
花火とロケット砲やらミサイル着弾とでは、大違い。
後者2つはあってはならない悪しきもの。その炸裂に「たまや〜」や「かぎや〜!」の喝采なんぞ、ない。


花火大会終了とほぼ同時にまた雨。
種々と用意されたご馳走。
嬉しいね。美味しいよ〜。
こちらは中島ブロイラーの丸焼き1匹を持参。
例によって… よく食べよく呑んだ。



花火大会での掛け声としての両国は大川(隅田川)での「たまや〜」に「かぎや〜」。
まずは鍵屋が川開きの夜、花火をあげて評判になって定着。この鍵屋の番頭が独立して出来たのが玉屋。
両国橋の東と西、盛り場近隣の空き地に2店は陣取り、打ち上げ資金は界隈の船宿や料亭などが供出。
けども天保14年(1843)に玉屋の花火の1つが火災を起こす。黒瓦よりも茅葺きの屋根が多かった地域ゆえ、大火事に。
玉屋は江戸から処払いさせられる。
したがって、玉屋と鍵屋の併存は30数年は続いたけど、玉屋は独立起業した清七さん1代限りで消滅。以後は鍵屋のみが興隆したのだった。
で、そのうちに… 良い花火があがれば「たまや〜」の声があがり、しょぼかった場合、ちょっと揶揄ぎみに「かぎや〜」なのだった。
逆転しているのは、実は当時、処払いになった玉屋の方が技術が優る面白い花火を打ち上げていたようで… そのあたりが江戸っこの贔屓気質を大いに刺激したのじゃなかろうかと… 謂われてら。
もちろん、鍵屋がヨロシクないわけではなかろう。
同種2店舗が競った30数年の間の両者の踏ん張り、文字通りな火花散らしての切磋琢磨が、今の花火の源流なのだから鍵屋もまた偉い。
ちなみに昨夜は誰かが、
「よっ、スガキヤ〜!」
声をたてていたけど、似てるが違うぞ。
そりゃ… 名古屋の麺の会社。