退屈な車窓

どうでもよい話だけど、新幹線に、鉄道趣味っぽい感覚を覚えたことがない。
総じて速度が早いだけで… 面白みがない。
車窓の眺めも退屈。
だから乗ってるさいはたいがい、なんだかアレコレ我慢をしてるみたいな、あんまり良い時間を過ごしているとは云いがたい。

遊びに出向いてるわけでもないから、旅を楽しむに遠く、かといって、iPadなんかを取り出して仕事のフリなんかしたくもない。
なので車中では茫漠とした夾雑物みたいなアホ〜な想念が雲みたいに涌いちゃ〜消え、消えちゃ〜涌くみたいな繰り返し。
眼の前の椅子の背面をボ〜っと眺めて、その構造をチョット研究して、往々にしてそこに座った人が背もたれ傾斜を換えたりすると自ずとこちらのトレーにも影響しちゃうから、
「まったく良くね〜な〜」
別に改造したいワケもないけど、ただボンヤリ思って、投げ出した足をブ〜ラブ〜ラさせてる。
ビールでも呑めば、ウトロウトロと出来ちゃうけど、帰りはまだしも行きは、数時間先にチョイと仕事なんだから呑んで眠ちゃうこともままならず。



その昔、映画『Shall We ダンス』で早朝の郊外の自宅から都心の職場までの通勤車内を実にさりげなく周防正行監督は描いていたけれど、役所広司演じる主人公の顔は、まさに電車における"我慢の顔"だったから、そこは本題じゃないけれど、この映画を優れたものにしてる大事な場面だろう。
その日々の鬱屈的我慢あっての突然のダンス教室なんだよな。悟空にとっての天竺だ…。
当然に、ボクの道中にはダンス看板もなければ、草刈民代的なチャーミングな出会いもないし、まして日々の通勤じゃ〜なくってホンのたま〜に乗らなきゃいけないだけなんだけど、車中の退屈と我慢といううっちゃりようのない時間というのは… 無駄であろう筈はないけども、なんだかエアポケット的な空隙じゃ〜あるのだった。


これは、東海道新幹線の開業10周年の1982年に"国鉄"関係者に配布された総金属の液晶温度計。(手前のはライターだよ)
親父の数少ない遺品。
経年で液晶はもう死んじゃってるけど… この重たいオブジェは、しかしアンガイ、それと意識すれば、なかなか良いんだ。
速度短縮の憧れが未来形なカタチをとりながら、ひかり号のカタチがもはや古くって、チリやホコリが積もって黄ばんだものを見てるような…、けどまた一方で、その褪せていく加減の中からカイロみたいな温ったかみが新たにおきて、未来的郷愁としか云いようもない、もう二度と味わえないから愛おしいといった愛借がかった、不思議な、愛着をおぼえさせられる… という代物。
早く目的地に運ばれていくのに… そこに退屈が現出するという… きっと新幹線開業当時には考えられなかった"感じ"が今はあるというのが、ボクには面白いんだろう。速度に麻痺するとかじゃなくって、このオブジェを手にとると、人間にとっての時間というものを考えさせてくれるんで。

思い返せば、東海道新幹線の開業時にも山陽新幹線(岡山まで)でも、その初日はテレビ中継が丸ごとあったんだ…。ニュースじゃなくって出発から到着まで車内からライブ中継されたんだ。
もはや、そんなんナイわな。まもなく新幹線は金沢まで結ばれるけど中継はナイっしょ。
それっくらい感じ方が変化しちゃったんだね〜。
なのでもはや、『新幹線』という漢字の"新"は、いっそ、『芯幹線』とローカルの基幹として改めてしまうが良いかもなんだけど…。


もしもそこらの退屈な感覚を、もう亡くなって久しいけども親父と話せたら… 面白かろうにと、思う。
きっと彼は、山陽新幹線開業のための技官であった誇りを前面に出してひどく激昂し、彼の死まで埋まらなかった親子の溝はいっそう深くなるとは判ってるけど。
また一方で、彼の激昂を何とかヤリクリした後に、話のスケールをでかくして、
「火星までの宇宙船はひかり号より早いけど、マチガイなく退屈の度合いははるかにでかいよ。窓の景観は夜のひかり号の窓よりつまらんし。さ〜、どうするどうする…」
冷静になってくれるのか、それとも火に油脂を注ぐことになるのか… どっちだろうと、密かに空想してボクは亡き父を愉しむ。偲んだりしない。

ま〜、そういうスタンスでいるもんだから今度は… 90を越えてまだ生きてるおふくろさんに、
「仏壇の菊を買ってこい」
なんぞと云われると反撥するワケじゃないけど、はたして親父はそれを喜ぶか? とクエスチョンを浮かせ、いっそ、プラスチックな仰々しい造花みたいなのを彼はホンマは喜ぶんじゃね〜のか… と思ったりする。
けども、うちの宗旨は浄土真宗なので、仏壇は基本的に親父のそれを祀るというよりも阿弥陀さんを崇める"装置"なんだから、
「造花じゃダメっすか〜?」
親鸞だか蓮如に問うてみたい気も、チラリ。