冬は鍋でございますな

なにげにフッと思うに、英国にも米国にも"鍋"はないわな〜。
ここでいう鍋はムロン日本の冬場の食事としての、あの種々ゴッタ煮可能の"鍋"なんだけど、日本に産まれて嬉しいなぁ… と思える数少ないモノの1つだな。
真面目風味で考察すりゃ、英国も米国も個人主義が浸透してる世界ゆえに、日本の鍋みたいな協調共同体的な食事法は発展のしようがないのだった。
けども我が国は曖昧な個人主義と小さな集落的規模でモノゴト諸々が決まるようなところがあるから、それが食事の光景にも反映しているんだろうとボクは思う。
だけども、そんなことはどうでもいいです。
冬のユウゲの鍋。
なんとも、たまりませんわな。

昨日、MちゃんとEちゃんカップルの、鉄路を見下ろせ、けどもベランダに出るとチョッと足が竦むマンションでささやかな鍋パーティ。
食欲大いに疼き、いやはや、自分でも可笑しいくらいよく食べましたな。
煮えた鍋から取り皿に1品2品、お箸で運び、下ろし大根七味にポン酢。
「あつつ、はふはふ…」
のアンバイたるや、もう最高。
「たまらんな〜」
で、ビールもすすむ。
寡黙が溶け豊穣が開き、鍋が親和な空気をいっそう濃くしてくれて、
「でへへへっ」
などと、知らず北叟笑んじゃ、牡蠣にポークにツクネに白菜ハフハフなのだった。
亡くなる1年ほど前のMIHOちゃんとも、この瀟洒なマンションの居間で鍋をつっつきあったよな…。
アホな話題を口にしつつ、お肉におネギに白菜をと、つっついたよな。
そんな淡い良質な想い出もわく。

意見見解が大いに別れつつあった龍馬と慎太郎のご両名が殺害される直前、鍋を2人で囲もうとしていたのは、誰もが知っているヒストリーの1コマだけども、そこに七味はあったろうか? などと、しょ〜もないコトを今さら想像してみたりする。
卑劣な暗殺はペケだけどもシャモの鍋はマルマルマルの3重だわ。
政治的見解は違えど、鶏ダシ風味を2人はまずマチガイなく好んでいたろうと思うと、なにやら、事の顛末を知っているがゆえ、救いの暗示がそこにあるようにも感じられる。


いかんせん、こちらは暗殺の心配はない。
落語に、『饅頭こわい』というのがあって、これはオチとして"暗殺"ならぬ"餡殺"が登場して、閃くような笑いにくるまれる仕掛けだけど、こたびもそんなアンバイ。
良い時間が流れ、良い味が舌で踊ってくれた。

鍋が煮え出す前に小皿にとった、むかご、しゅんぎく、菊花の酢の物… などが前菜として今回はとくにヨロシかった。集った女子がそれぞれ用意してくれたものだけども、それらが良い助走役として舌を磨いてくれ、
「なるほど! 前菜とはロケットでいうところの推進剤じゃな!」
それで鍋がいっそう高らかに踊った。
こたびは、うちあげじゃないけど、サ。

むかご(山芋の根っこにある小さな芽だよ)を湯がしたはんなりな塩味と、菊花の紅いのと黄色いのの2種のお酢味が、実にボクには珍しくもあって余計、食が貪欲にうごめいたワ。
なので料理方の女子に感謝しつつ、また… 
「鍋、やろうよ〜」
と、密かに願いましてる今宵。