4人の会

胸部に熱がわだかまっているけど身動き可能。かなり緩和した風邪。
某県某市某所に出かけ、駅近くの居酒屋で仲間に会う。新年会。
静岡のT模型のH。オリジナル造形物の作家M。広島の宇宙戦艦一筋のY。
3名、いずれも遠く若い日にボクのところで活躍し、育って、羽ばたいていった面々。
気がつくと今はもうボクの方が彼らに導かれるアンバイで、これが嬉しい。
居酒屋といっても完全な個室。はばかることなく喋れたのも嬉しい。
テッテ〜して模型談。
アッという間に時間が経つ。


面々いずれもキャラクターとして凛々と立ってるから、Aという同じモノを語っても、けっして御同様サマまるまる一致な見解なんぞは有り得ない。
けどもそれがまた、頼もしい。
花色が深まる。
そうでなくっちゃ〜いけない。
均等一律な翼賛会なんぞ、望みたくもない。
一方で深い部分で共鳴共振もあって、だから過剰に言葉を並べずとも音叉のように通底する。
すでにそれぞれ、興味の最大対象が個々人違っているけど、逆に、そこが嬉しさの極みかもしれない。
皆な、1本の河となって流れてる感触がいいんだ、な。
ふふ。
この3人のオトコの中に、どんな魚が育って潜んでるんだろうか、それを彼ら自身どう釣り上げるだろうか。
ワクワクする。


と、それにしても食卓に…、"傷ついたアムロ"がいる光景は妙だった。
すでにこの作品はアニメの1シーンから抜けきっていて1つのアートな彫像に昇華しているけど、それゆえ去年の頭っころだったか、モデルグラフィックス誌上でも驚きとして彼Mの作品は特集されたけども、アニメーションから派生する"商品"としては成立が難しい。
完成度高きがゆえに逆に商品としての距離が遠い…。残念ながらそういうことなのだ。このアムロは一瞥して、上腕部の肉の盛り方などを含めて血肉ある1少年として凛々しく造られ、他者の追従すら許さない高次元の作品じゃ〜あるけど、必ずしもアムロ・ファンのそれと一致はしない。また、そこを版元も許容しない…。
造形作家の自己を反映する対象として、アニメーションのキャラクターというのは、意外と許容範囲が浅き対象なんだ。


それよりもやはり、同じM作の、このパグ犬の花鉢(PUGLAND)と可動フィギュアの可憐をボクは愛でたい。
ネコは好きだけどもワン公が苦手なので、個人的に欲しいモノじゃ〜ないけれども、魅かれる強さがある。


"作品"と"商品"とがうまく混合した焼き物とボクはみるし、まったく新たな物語を編める予感も大いにあって、ワクワク温度が上昇する。
同一シリーズとして構築中のフィギュアの、その衣装に布素材を使ったところも良く、硬度さと軟度さとの狭間に良い空気がおきていて、大袈裟にいえば生命あるものの讃歌って〜感もおぼえないではない。
製作者本人は衣装もまた粘度造形で行う方がイイかもと云ったけれど、ボクは布を支持する。はるか彼方の弥生期の、粗いけれど柔らかみある少女の麻の衣装と陽光の温もりを密かに思ったりしたから。
うん? ひょっとしてそこかな…。
この場合、鑑賞者が"物語"に参加出来る空気感かな…。

などといって、ボクはここで評論してるワケはない。
良き仲間3人とのお久しぶりの会食がえらく愉しいものでしたと、いささか誇らしく申しているだけなんだ。