因果な流れ 〜長靴をはいた猫〜

ボクが20代前半か真ん中のころに大和書房から『夢の王国』と銘打ったシリーズが出て、これはオモシロイと何冊か買った。
その内の一冊がシャルル・ペルーの『長靴をはいた猫』だった。

ある程度な年齢になればさすがに童話めいたのは読まなくなる。
買ったのは童話という括りに魅了されてでなく、当時濃く信奉した澁澤龍彦の翻訳だったんで、飛びついたという次第。
片山健の、本文にはない片目にアイパッチをつけた不良じみた猫イラストにも魅了された。
この本は手元にない。
読了後に当時つきあってた人にプレゼントしたよう記憶するけど、もはやどうでもいい事だ。後に何かのさい、文庫になったバージョンを買って今に至る。片山イラストがそのまま使われ、澁澤翻訳とその絵はボクには一体化されたイメージなもんだから、この文庫化は悪くない。

猫はとある3兄弟の家に住まい、たまたまその家は粉ひきで、主人が亡くなって子供3人が財産を分与され、3男が猫のみを相続するという所から話がはじまる。
当然、3男は暗澹とする。粉ひきの家屋でも、その作業に従事させていたロバでもなくって、猫のみだからガックリうなだれる。
ところがこの猫が活躍する。
3男のために大いに奸計めぐらせ、方々で画策し、それを実行し、時に農民を脅し、時に人食い鬼まで騙して殺し、この、猫にとって主人となった3男に大いにつくしあげ、3男めでたく遂にはお姫さまと結ばれる…。
もとより子供向けの童話じゃない。
ペローが書いたのは1600年代の終わり頃。

巻頭、3男が所有することになった猫は、兎がたくさんいる森に出向いて寝っ転がり、死んだフリをする。
首には袋をかけ、袋の中に美味しそうなものをいれて、その口の部分には紐がついている。

"じっと待っておりますと、まだ世間のおそろしさを知らない若い兎が、袋の中の餌を食べに飛び込んでくるのでした"
と澁澤訳は記され、
”猫はすぐさま紐をひっぱって、兎をとらえ、情容赦なく殺しました”
と結ばれる。
ど〜〜ってコトのない描写ながら、このくだりには近頃最近の中東でのアレコレがだぶる。


朝鮮半島の2分化された境界ライン付近で南側が何か叫べばほぼ必ず北側が過剰に反応するという図式をみれば、人質2名がいることを承知でコトもあろうに隣国ヨルダンから自称I国を非難したらどうなるか、わざわざの挑発… まさに”世間のおそろしさを知らない若い兎”だった我が国の首相、とだぶる。


諸々ニュースを追っていると… 因果な流れに揺すぶられる。
中東の実情勢を知らないままにシリア入りした不可思議な人を救おうとして結果捕らわれてしまった後藤健二氏には、どこか… 遠い昔の仏教徒のイメージがかぶる。
"捨身"(しゃしん)という思想がかつて仏教にあった。
釈迦伝には「捨身飼虎(しゃしんしこ)」という話もある。
釈迦の前世における話で、飢えた虎の親子を救うべく自ら虎の餌になったという話。法隆寺の国宝「玉虫厨子」の彩色画はその様子を描いてる。

キリスト教世界では罪にあたるいわば自殺行為だけど、人間の死はその姿がなくなるだけで次は別のカタチになって再生するという永劫世界が仏教だ。
後藤氏の人柄をニュースで見るに、姿勢として常に弱者に寄り添った視点をキーにした人のようであるから、自ずと、何も知らずノコノコと危険地帯にやってきたらしき日本人男性へも、その眼差しを向けたに違いないのだ。
廻りに日本人なんかいないのだから、同胞意識が大いに働きもして、何とかしなきゃの思いも濃く立ち上がったに違いない。
おそらくかの人物と後藤氏は水と油くらいに性質違いだったと思われるけど、氏の眼にはそれでもやはり、痛々しさが見えていたに違いない。
だから捨身(しゃしん)な行動に出ていった。
その面影にボクは古来の仏教徒を見たような気がするんだ。
また一方、後藤氏が11月の時点で捕らわれて法外な身代金を請求されたことを政府は知っているわけで、以後どれだけ「鋭意最善 内閣を挙げて解放」を積んだのか… 極めて訝しい。今になって人命最優先を口にするなら、先のヨルダンでの非難声明は何だったのか、12月の解散での停滞は何だったのか、広言が宙を舞って心苦しい。


そういうことが因果律として収斂され、悪しきな空気感ばかりになっていくから、かなわない。
その直面を回避したいもんだから、ついついまたまた耳にフタして… ネモのノウチラウス号のハッチをノックしたくなる。神仙な山水画の墨の濃淡の、霧の彼方の小さな庵の佇まいに興を寄せ、絵の中の山中に入ってしまいたいよう思ったりする。
生乾きの遮断と接続の2つが体内で明滅する。
そんな渦中、たまたま書棚から取り出したのが、この『長靴をはいた猫』なのだった。

長靴をはいた猫』は小話の後に筆者ペローの"教訓談"が置かれる。
(「眠れる森の美女」や「赤頭巾ちゃん」もこの本に載り、後年のグリム兄弟のそれと違って赤頭巾ちゃんは狼のベッドに誘われ裸になって入って、食べられ… そのことについての教訓談で結ばれる)
読んで、苦笑した。
長靴をはいた猫」の教訓は2つ書かれる。その内の1つ。

『粉ひきの息子が、こんなに早くお姫さまの心をつかんでしまって、ほれぼれとした目で見られるようになったのは、服装や、顔立ちや、それに若さが、愛情を目ざめさせたからであって、こういったものも、馬鹿にならないものなのです』
身もフタもない自明。
これが澁澤訳のよく絞った文体とあいまって、すこぶる可笑しかった。


読後、頭をかきかき… 姿勢制御。
介護同居中の魔法は使わないけど意地のわるいおばあさまが猫嫌いで、広い広いお屋敷中を常にギョロリとメダマ監視して、御近所の猫がお庭を通行しただけで30センチの物差し振って大騒ぎするので、いまだネコのネの字も飼えないし、ましてや当然、相続などありえないけどニャ。
飄々と活きなきゃと思いあらためる。また1つには、後藤氏の中の"捨身"に失われた清きを覚えて。
無事でいて欲しい。


ちなみに、澁澤版『長靴をはいた猫』が発表されたのは雑誌「アンアン」の創刊号。さすがだな「アンアン」。
当時のアート・ディレクターは堀内誠一。"an an"のロゴも手がけた。
この人がヤッパすごいね。後に仏蘭西に移住したけど、彼が仏蘭西にいたからヒドイ方向音痴かつ金銭音痴だったらしい澁澤も安心で堀内の車に同乗してヨーロッパ旅行。後年の紀行モノが書けてるわけだ。
羨ましい。云うならば彼は、澁澤にとっての"長靴をはいた猫"だったと… そう思えもした。