ねねの風呂桶

年末年始にひいた風邪以降、どうも調子が今ひとつ。
チョット空気が変わっただけで、モワ〜ッとした、『ハウルの動く城』のあの黒っぽいドロリとして声のない連中がどこからでも涌いてくるような、いや〜な鼻風邪っぽい感じになるからどうもイケナイ。
それで臆病になって出来るだけ外出を控え、呑みにも出ず、当然に自転車にも乗らない。
早く春が来ないかしら。
どうも… 冬は好きでない。
いやもちろん、夏になればなったで、暑さにグッタリ、
「夏は嫌いだ」
なんて感想をこぼすんだけど。
そんな中、用心しつつ、岡山シテイミュージアムに秀吉のワイフねねの風呂桶を見にいった。
※ 『岡山に生きた豊臣家 〜備中足守藩木下家資料〜』展の展示物。

道中風呂とも呼ばれて旅に携行したらしい。
携行といっても小さくない。成人女性なら全身スッポリつかれるサイズ。やや楕円形。
豊臣家に縁ある菊と桐(きり)が大胆にズカッと大きく描かれてる。
蒔絵(まきえ)。
色々な手法があるけど、簡略にいえば、金粉を図柄として蒔(ま)いて漆(うるし)でかため、研ぐ。
透明な漆が全体にコーティングされカバーとなって光沢均一にして堅牢。
その風呂桶。
ねね専用のものであったろうと思い、こっそり、ねねさんの裸を想像する。


子供の時、NHK大河ドラマに『太閤記』があって、秀吉は当時新人だった緒形拳が演じ、ねねを藤村志保が演じた。
なので、想像はその藤村志保の顔をした女性というコトになるんだけど、どうもあんまり面白くない。

太閤記』が放映されたのは1965年だけど、少年のボクは白黒TVでこれを見て、
「あんまり肉感的じゃない人だな…」
という認識をもった。少年がそのようなコトを思っちゃいけないのだけど、思っちゃったんだから仕方ない。
なのでこたび何10年ぶりかでその藤村(ねね)さんを思いだしはしたものの、やはりそれが尾をひいてる。
一向にエロチックな感じにならない…。
といってボクは藤村志保を嫌いでない。
ねねという女性を演じた役者は多かろうが、ダントツの1番だったろう、思う。


蒔絵の風呂桶は当然に下から火をたいて湯を沸かすもんじゃない。
別ごしらえで大量に湯を沸かし、それを移し入れたと想像する。
天下人となった秀吉の正室なのだから、当然にねね自身が湯を沸かしたりはしない。
湯を沸かす人。当然に大きなカマド。湯を移す人。当然に大きな桶。着替え等を用意する人。従事したのはいずれも女性だろうけど、複数の人と道具がねねの入浴をサポートしていた筈。
当時、こういうクラスの女性はどのくらいの頻度で湯浴みしたんだろう?
毎日? 1日おき? 3日にいっぺん?
あんがいとそういう日常は記録として、残ってないんだ…。
ましてや、家紋の入った風呂桶を使う… その心情はいかなもんだったろうか?
そこいらのシティホテルで、
「わたし、ちょっとシャワーするね」
とはまったく違う心持ちがあったような感がする。
ねねさんは当時の日本で最高のセレブな人になったけども、そこを心底喜べたろうか?
豪奢な側面にはりついた、いっそ… 夫がそこまで出世しなくてもイイのに… な、不幸をボクは、思ってしまった。いっときの湯の心地良さより、湯冷める感覚の方がより多かったのじゃなかろうか。