歳月がながれ

毎年1月2月のこのシーズンになると、僅かながらも、
「今年もワンフェス出ないのですか?」
の問いを頂戴して、いや実に申しワケないというか… 懐かしいような、遠いような、不思議な気分をチョット味わうんだけど、ハイ、今のところ、冬ワンフェスも夏ワンフェスにも復帰の予定はございません。
むしろ、ディーラーとしてじゃなくって、遊びには行きたいとこの頃は思ったりもしてるけど… ただそれも、イベントそのものじゃなくって道中がオモシロイのでというのが頭目
大量の荷を満載で真夜中に岡山を出て高速をかけ、翌日の昼3時頃に幕張に着くまで… またその逆の道中も… 過去、晴海のワンフェス時代から連綿と20数年ばかり繰り返して来た車での往復だけど、毎回、なんか予期しないおかしなアクジデントがあって、それが道中を毎回個性あるものとして刻印づけてくれたから愉しかったというか、何やら毎度マイド貴重な体験を持ち帰れたというのがね。

それで思い出したけど、シーボルトといえばこの国では西洋医療というコトになるけど、実はこの人は滞在中ず〜っと日本の植物をセッセと集め、標本にして分類し、種や活きたままのを鉢植えて、オランダに持ち帰り、長い道中ゆえ活きたのは大半は枯れたけども、それでも命をつないだのもあって、それはただちに当時の政府直営のグート植物園に植えられて、それが現在のオランダの世界に冠たる花市場の礎の一つとなっているとかいうコトで、アジサイ、フジ、ツタ、ラン、そしてユリ… などなど、意外やでござんした。
彼が持ち帰った紅い花色のカノコユリは大人気となって、かつてのチューリップのように交配が重ねられて今や何100もの種類があるそうで、日本じゃ医者として高名だけどオランダでは花の大先生ということになりそうです。

この人はずいぶんと血気も盛んで剣で決闘すること多数で顔にいっぱい傷跡があったといいますけど、帰りの長い船旅のさなか、船中で枯れかけた植物を心配げに見遣ってる小さなジョーロを手にした一人の人物を想像すると、なんとなくシーボルトという人の輪郭の一部がトレース出来そうな気もしますな。
まったくもって実に不思議な人です。


※ 上はみなもと太郎描くシーボルト潮出版社風雲児たち』第18巻より)


そういう不思議で面白い人物とかつてはワンフェスでけっこう出会えたもんでした。もちろん今も多数いらっしゃるとは思うけど、イベント規模がでかくなる程に逆に"個人"と出会う機会は減少するもんです。ま〜もっとも、率先して出会いを探ってるというワケでもないから余計になのでしょうが。