イワンのばか

冬の樹木は寒々しい。
実家の場合、庭中央にあるユスラウメが特に寒々しい。
それが眼に入るたび、ボクは『イワンのばか』を思いだす。
1960年に描かれた『鉄腕アトム』の一篇で、月面が舞台。そこに生える樹木としてガイコツのようなのが登場する。これが荒涼かつ寂寥。寒々しい。
子供の時分に見覚えたその冷感はボクの中に貼りついてフィルターのように定着しているもんだから、なので冬のユスラウメが同一種になって冷え冷えが増幅する。

『イワンのばか』は月面の冷暗を舞台に人とアトムを描いて不動な傑作となってるけど、実家の小庭にそんなドラマはなく… ただもう寒さをこらえるだけの場所。
けどもまたそれゆえ… アトムが知ることになる女性宇宙飛行士と彼女に追従のイワンという名のロボットの悲劇が想起されて、彼女とロボットが永く味わった寂寥を偲んでしまう。
予期しないアクシデントで彼女は月から地球に戻れず… 単純作業用途のイワンと共にながい生涯を月でおくり、死ぬ。アトムがそれを知るのは彼女の没後数年が経ってというハナシ。待てど暮らせど彼女に春はやって来なかった。
だからいささか複雑な思いに囚われる。


※ 画像引用:(手塚治虫著『鉄腕アトム光文社文庫第4巻より)


といって、メランコリーな感じでもない。寒さを忘れる方便として『イワンのばか』の詩的さを思い出してるようなところもある。
ただもう寒いばっかりでビジュアルとしての醍醐味がなくってヨロシクないから、余計に。
それで、雪がよく降りよく積もる岡山県県北方面に羨望を強める。
もちろん、雪は雪で難儀の元ということも承知しているけども、まったく雪ナシはよろしくない。せめて年に1度っくらいはと… 雪に埋まって、おまけに吹雪いての… そんな大変なコトになっちゃった岡山市内を空想したりする。
積雪の不慣れにあちゃこちゃで車が立ち往生し、人の往来もたえ… やがて、視界が極度に悪くなった自宅横手の道を灰色の影が幾つか動いているのを想像したりする。
「おっ、マンモスじゃん」
と、この場合、大きなキバを持ったマンモスの家族が道をどこかに向けて歩いてるワケだ。まるで旧石器時代だけど、ま〜、そんな幻想をこっそり愉しむくらいしか能がない。
もちろんこの場合、マンモスたちはあくまでも道を進んでくれなきゃいけない。塀のりこえて浸入しユスラウメなどなぎ倒してもらっても… それはそれで困る。

マンモスの肉は美味いような気がする。カバもサイもゾウも食べたことはないけども、イメージとして美味しそうだ。
厚切りにしてジュ〜ジュ〜脂をたらしているのをハフハフハフと口の中で転がしてみたい。
シーラカンスは激烈にアンモニア臭がしてとても食べられたものではないらしいけど、イノシシ同様しっかり血抜きをしたらマンモスは、メチャに美味しいよう思えていけない。あのフササドッサりと生えた毛の下には寒い冬を過ごすためのたっぷりな脂肪がついてるよう思うから。
たぶんこの思いにも、子供の頃にみた何かの挿絵で、複数の原始人が石斧だかで一頭に立ち向かってるのが影響しているんだろうけど、香ばしく焼けたのにレモンを痛快にかけただけで、舌が大喜びで頬がいたくなるようなアンバイじゃないかと… そう空想すると何だか微かに暖ったかくなる。
むろん、喰われる方としちゃ、そうでなくとも温暖化で生息出来る場所が少なくなって弱ってるというのに、「トンデモネ〜」なハナシだけど、ま〜、イイじゃないか、既に絶滅してるんだから。


ちなみに最近、ポークカレーがイイと思うようになった。ビーフカレーというのは急斜を一気に昇ってくような所があるけど、ポークは緩斜を淡々と駆け上がってくような… 旨味の持続が長いような感じがする。ただ、いかんせん、岡山はビーフ圏に属してるからアンガイとスーパー店頭じゃ、ポーク・レトルトが少ない。