鴨図

先日。「ネギしょって来い」との仰せ。割りと早い夕の6時にお邪魔ムシ。マ〜ちゃん宅で靴をぬぐ。
鴨鍋。
湯気に心躍って箸がはしゃぐ。
何度かベランダに出てシガレットをくゆらせ、そのたびに遭遇の、岡山駅にユルユルと入ってくる16輌編成の新幹線を眺める。ついでちょっと夜空を見遣って、鴨だか雁だかでも飛んでりゃ絵になるな〜と北叟笑む。むろん、そんなものは飛んでない。
こういう愉しく美味しい時間は高速で進む。アッという間に日付けが変わってる。


掛け軸には鴨を題材にしたのがけっこう、有るな。
別段どって〜こともない、シゲシゲ眺めて眼を細める程もなく、いささか退屈な趣きが拭えないけど、ま〜、それゆえ床の間の一等地にぶら下がって部屋をいっそう静めにの効能があるんだろう。
水面に浮くし、空も飛ぶし、雀よりは絵になりやすい。

室町の時代に、比較的大掛かりな庭池を所有する身分な者が池に鴨を放していたのも、頷ける。
6代目将軍の足利義教(よしのり)は敵対する赤松家の屋敷内で暗殺されたけど、赤松満祐に「庭の泉水で鴨が子を産み、それが並んで泳いでるんでカワイイから見に来てね」と申し出られて、つい気を弛め、
「うふ、かわいいのね。それ、みたいな〜」
ノコノコ出かけていって殺された、というようなカモになった話もある。
もちろん一方じゃ鴨は食料だったワケで、大坂城築城で束の間落ち着いた時期、秀吉は鴨の飼育を推奨したともいうし、鴨肉の消臭効果としてネギやらセリやらはアンガイ古い時代から相性良きものとして知られていたようだ。
「芹の上 鴨昼寝して うなされる」
と、江戸時代の川柳にもある。(誹風柳多留)
これが転じて、「鴨がネギ背負って…」というシュールなことわざになったのか、それとも逆であったかは今となっちゃ〜、もう判らない。
けども、それっくらいにカモと、セリだかネギだかが相性のいいカップルとして広く認知されてたというコトにはなる。
新撰組の芹沢が"芸名"を芹沢鴨としたのも、ま〜、そういう流れの駄洒落だけど、短絡でセンスが良いとはいいがたいのは… この人物の履歴を紐解くまでもない。
ともあれ龍馬が軍鶏(しゃも)ならコッチは鴨と… 京の都のあちゃこちゃで鍋が煮えたことには違いない。予想外に熱い豆腐にいずれもが舌を焼かれて、ハフハフ… となったに違いない。



鴨を"食材"として最初に描いた画家は明治の高橋由一だろうけど、妙なところに眼をつけたもんだ。
泳いだり飛んだりの鴨ではなくって、すでにシメられてグッタリ状態で板にのせられた場面なんだから、これはま〜、明治で初めて導入の油絵技法と相まって、革新だ。
この人の作品では、『鮭』があまりに有名だけど、それとて"食材"としての鮭を描いてるんだから、やはり妙な視線を持った人だったんだろうと思う。

しかもこの『鮭』はでっかくて、たしか複数描かれた内の1枚は120センチくらいの背丈だったような…。
なぜそんなに大きいのだろう? 紐で吊られた鮭から脂分が抜けていく様子を油でペイントするというところに密かにユーモアを感じたろうか? 
あるいは"オイル・オン・キャンバス"の二重奏を革新として意識し、そこを見せるにはよりデッカクに… だったのだろうか?



さてと残念ながらボクは『鴨図』の実物を見たことがない。オイルを意識したかも知れない『鮭図』と違い、こちらは実に淡々と、いかにも静物画っぽい構図じゃあるるけれど、鴨の周辺を仔細に見るとどうやら、やはり諸々な、いかにもお鍋向きの食材が描かれ配置されても、いるよう思える。
『鴨図』は山口県立美術館にある。
機会あらば直かに見て、曲がった鴨の首の右手に描かれている植物らしきが芹なのかどうかを確認したい…。でもって、食欲そそられ、またぞろ、
「鴨鍋しよ〜よ〜!」
と、なるかどうかもチェックだな、この場合。
まだ全身に毛がついた鳥にストレートに食欲をもよおす… ということは何だか希有な感触とも思えるし、でも例えば、NHKでかつてやってた『シャーロック・ホームズ』では、盗んだダイヤを七面鳥に呑み込ませてる事件があって、そこで描かれた生きた七面鳥とグッタリの七面鳥にはいささか"美味しい"ものを感じたりもしたから、どの瞬間で"生き物"から"食い物"に自分の中で変化が起きるのかも… 要チェックというわけだ。