下関にて 〜東行庵とおうの〜


旅の話第3弾ファイナル。
上の写真はなんだか映画『去年マリエンバードで』みたいな構図で気にいってる。3人物が演技してるような、とくに腕のポーズが絵画的でいいぞ… 3人の向かう先と関門橋の向こうとが暗示的に合致もして、いいぞいいぞ… とボクは思ってるのだけど、さてさて、何人かと旅した場合の食事は、自分のそれよりも他の人のオーダー品が気になるもんだ。
なので、隣席の悦ちゃんの、"お好み焼きにしか見えない丼"の写真を、ボクは撮りたくなったりする。
いや実際、少しもらって食べてみたら、まったく"お好み焼き味の丼"なので、よしよしと大いに納得して満足したりも出来て、また愉しい笑いの輪っかが拡がるというワケなのだ。



お目当ての1つとした唐戸市場の寿司があまりの行列だったので、ガックリ断念、市場横手のカモンワーフ内の1軒で海産のアレコレを食べたさいにも、なにやら他の人の膳が気になってしかたなかった。
常に、人の膳は美味しくみえるのだ。
これは病いに似たタチかも… 知れない。あるいは心がイヤシク貧しいのかもしれない。あるいはタダタダ浮気っぽいのかもしれない。
けども、自分が食べるわけじゃ〜ないけど、そんな羨ましいお膳がテーブルの上にあるのは実に幸せなのだった。今回は4人旅だったけど、自分のオーダー、自分の膳は1つだけども、眼と心はその4倍を摂取して実にまったくゴージャスなのだった。
見てウレシク見られてタノシクなのが旅の食事のポイントだと… そう決めておこう。



さてと下関の人物といえば… 高杉晋作だろうか。
彼もたぶんアチャらコチャらで旨いものを食べてきたに違いない。萩で食べ、海峡沿いで食べ、京都で召し上がるというアンバイで。
ただむろん、このような自分の名がついた餅は食べたコトはないはずだ。



これを本人がみたら、笑うか怒るか? さてどっちだろ?
「おもしろきもなき世をおもしろく」
と、詠んだ人ゆえ、彼は苦々しく笑うであろう、に… ボクは賭けてみよう。



こたびはじめて彼の墓に詣でた。
東行庵(とうぎょうあん)。
27歳で没した彼を、この庵をむすんで生涯そこに住まい、墓守をしたのが、晋作の愛人おうのだった。
彼女の墓は、一段低い場所ながら、晋作の墓所のすぐそばにある。



晋作が彼女と何年つきあっていたか定かじゃないけど、京都や四国へも連れていってる。
20代半ばで愛人がいるという豪奢は、今の我々には出来ないドリーミーな性質のコトじゃあるけど、本妻と妾という関係の中、1人の男をめぐって2人の女性が火花を散らしていたとは窺い知れる。
晋作が息をひきとる間際には、本妻が萩からかけつけ、おうのを遠ざけたそうであるから、バチバチ火花が散るようなアンバイであったろう。
ましてや当時、この2女性の狭間には身分による高低差もある。
いま、"愛人がいる豪奢"と書いたけど… 女性の立ち位置からすれば、当然に”愛人になる”ということなので、そこでおうのは晋作には計り知れない決意と勇気を奮ったとは想像できる。
それゆえ、本妻の雅だか雅子さんとの確執は、泥んこになった溝の中で喘ぐような思いでもあったろう。


けども、晋作没後、本妻の方は一家総出で東京へ移住し、一方、おうのは尼になり谷梅処(たにばいしょ)と名をかえ、以後彼女が没する明治42年まで晋作の菩提を守って弔い通し、その間、次第に周辺いったいに奇兵隊の諸氏をはじめに関連者の墓や碑が続々と出来て、一大墓陵となり、やがて今の"観光地"となったのは… いささか感慨深い。
東行庵に、本妻の墓はない。



歴史的事実を踏まえて高杉晋作を顧みると、この人は相当にハチャでメチャである。
坂本龍馬や西郷は、地震に例えると"横揺れ"な人だった。革新な当時の方々の多くは"横揺れ"て結束していった。
けど高杉晋作はどうも、そうでない。
この人は"縦揺れ"て人を驚かせた。
そう、ボクは思ってる。
けど、おうのさんにとって、たぶん、タテであろうがヨコであろうが、関係はなかった。一直線な男としての晋作に彼女は惚れた… と思いたい。
愚痴ることのないおうのに晋作もまた感化される。
妻にはなかった何事か、それは家柄であるとか格式だとかいった式外の、純正な男女の仲という1点でポ〜ンと燃え上がり、より惹かれ、よって、睦まじく食事をしたかもと… 想像する。
むろんハチャな人だから食事経費は藩のお金を使ったけど、
「それが何か?」
ってなオチャメっぷりだったかもと、さらに空想する。



この日、東行庵は菖蒲が咲き誇り、幾度も足をとめて眺め入った。
ショウブあった〜! という次第じゃないけれど… おうのさんにボクは好感をもった。
案内してくださったMIHOちゃんの両親が、おうのさんの墓の前で、
「こらっ、メカケちゅ〜な」
「しろしいっちゃ。メカケはメカケ〜ほ」
「う〜む」
(↑完全再現にあらず)
軽やかな笑いを誘う夫婦ゲンカ的方言ショーをみせてくれたのも楽しい想い出となった。



帰岡後、彼女のことをチョイと調べてみると、高杉晋作とうの(おうの)が最初に出会ったのは奇兵隊を支持した下関の豪商・白石正一郎邸で催された宴会であったらしい。
遊郭・堺屋の芸妓だった彼女は、だからその夜、白石邸に派遣された1人であったろうか。
偶然ながら、その白石邸跡にあるホテルに、今回ボクらは宿泊していたから…、
「あらま〜」
ご縁としか云いようがないのだった。
MIHOちゃん、MIHOちゃんマザー。おうのさん。長州方面の女性は魅力が濃い… と、そう感じて自身で頷く旅となった。



唯一、寿司を口に出来なかったのが悔やまれる。
なんちゅ〜ても下関。瀬戸内と日本海が合流のピチピチ獲れ獲れポイント、
「ぶち、うまいっちゃ」
なのだ。
ぁあ〜口惜しや。
この気分が怨霊化する前に、ぜひもう1度訪ね、次は寿司三昧といきたいもんだ。
そう、しめくくって… 自分ミヤゲのちくわをパクリ1本。
丸ごと、というのが文末的によろしいかと。