ほどほどに


台風11号が通り過ぎて5日が経って、やっと棕櫚を撤去する。
棕櫚の乾きを待っていたものの、一過後晴天にめぐまれない。
これ以上放置も出来ないので懇意の業者を呼んだ。



倒れた棕櫚はそうでなくとも重い上、こたび’はじめて知ったコトじゃ〜あるけど、棕櫚というのは材木部分はあんがいと小さく、ほぼ半分以上は細い網状な繊維で構成されていて… これはチェーンソーで容易に切断できないというか、ノコ歯にたちまちからんでしまうのだった。
しかもよく濡れているから、始末がわるい。




したがって、切断しようとする部分のその繊維を、まずはむしり取るという手間な作業になるののだった。
この手の作業に慣れているH・ホームの社長をして、
「こりゃヨッチャン、ナンギじゃで〜」
電動ノコを使う以前の手作業にニガ笑うのだった。
上記の通り、おまけに重い…。
なんとも不思議な樹木なのであった。
(お江戸の時代にはその繊維部分はむしられて、枕の中身など、いわばクッション材として大いに使われていたらしい)



こたびの強風は、あんがい多くの家の庭先に被害をもたらしていたようで、我が弟宅でも倒木があり、今日やって来て代車をまた置いてったガレージクラフトのF氏宅でも松の木がバキリと折れて、それが道路を塞いで大変だったというから、従来の台風とは一味こたびは違ったのだなの感を濃くした。


むしろ、マチガイなくやられるだろうと予測していたパッションフルーツがほぼ無傷なのも… 不思議なあんばい。
早やツルが2階の屋根にまで届いてるパッションフルーツは棕櫚に較べると幹もはるかに細いから、
「きっとダメだろう」
と、諦め境地だったのに、良く堪え、実も1つとして落下していない。
「しなやか… なのかな?」
そう訝しむ。





ともあれ半日かけて、棕櫚は撤去された。
実家のガーデンの中央付近で空に向かっていたモノリスめく存在がないのは残念だけども、しかたない。
唐棕櫚というのは、土に近い側の幹が細く、上に行くに連れて7倍か8倍、太くなっている。
下の方の幹がしっかり太ければ強風に負けないよう思えるけど、そうではない。早い話、風を考慮しないバランスなのだ。
我が実家のそれのみかと思いきや、多少その眼でよそさまのを見るに、やはり、下側が細くて上にいくほど太いというヤヤ妙なあんばい。
なんでそうなんだろ?
やはり、この構造に、
「ほどほどにしましょう」
の寿命のいさぎよい天然の決定がなされているようにも思える。
ある程度までは大きくなって風に耐えますけど、それ以上になるとオシマイであります… なあんばい。



それで… こたびの棕櫚倒壊を契機に拡大解釈してみたくなる。
東芝という企業がその「ほどほどに」を忘れた挙げ句の顛末は、経済は成長をし続けるものという幻想に自らが喰われてしまった哀れ… とボクには思えたりする。
自身の身の丈を、ボクらはどうも忘れがち… と。