フィッシュソーセージ

フィッシュ(魚肉)ソーセージを発明した人はえらい。
腸詰めな本物ソーセージからのパクリ形態ながら、独自な星に昇格した感ありあり。
ひどく美味しいもんじゃ〜ないけど、おさかなのソーセージとくれば… 他にはない味なわけで、これっきゃ〜ない。
やたら懐かしむみたいな引き潮な感じと共に、時に食べたくなる。
朝方まで机にはりついて仕事したあと、
「さてと今さらラーメンでもないし… サンドイッチでもないなぁ…」
というような選択判断がブレたさいなども重宝する。
いっさい調理なし。夏場は冷やしておく。
丸ごと1本食べる。時に2本。



その昔、ボクが小学生の頃のこれは口の中でモソモソとし、時にクシクシし、萩のギョロッケみたいなザラついた感触があったもんだけど、今時のは乳化剤とか練りの技術の向上で、モソモソ感なしの均一。個体差はない。


しかしこの素晴らしい品には1点曇りがある。
かねて昔から今に至るまで… ピッチリ包んだ赤いビニールを脱がしにくい。
爪で切れ目を入れろというけど、爪はよほど伸び、鋭利でないと、ビニールに喰い込まない。
あるいは、「ここをむいてね」と赤いテープが貼られている製品もあり、近頃はこれが多くなってるよ〜だけど、このテープが扱いにくい。
剥がそうとすると途中でちぎれたり、あるいは糊が効きすぎでボディ側にピシッと貼ッ付いてしまってハナッからむけなかったり…。




結果、結局、はるか昭和の30年代頃と同様、包丁だかハサミだかカッターでもって、そこにチョイ切れ目を入れてやらねばならずで… この1点、進歩がない。進歩というより、
「ま〜、この程度な廉価なモノなんで…」
と、作り手が薄く笑ってるような後退めいた感触がなくはない。
そこが不思議。



ただ、さらに不思議なのは、この不便を含めて"ボクの魚肉ソーセージ"というカタチが整形されてしまい、逆に、容易に脱がせるようなら… 今度はそれを不満に思うかもしれないという危険性すら感じられて… たかが魚肉のくせして、けっこう悩ましい。


詮抜きが必要だったコカやペプシのコーラは、今やスクリュー式にひねるだけでオープンする。
詮を抜くというヒトテマに、栓抜きという小道具がかつては常に必要だったけど、それがいつの間にやら、ただひねるに変わった。
小道具不要で、詮を取るための上下運動から回転運動に変わって、これはビックリ大きな変化。


だから、フィッシュソーセージにも、革新的前進の余地はたっぷり。
要は赤いビニールをどう上手に脱がせるか、その演出の再構築。
より無骨にか、より洗練にか… といえば、無骨で確実、ある程度の"皮をむいている感"がしっかりあるのがヨロシイ。
簡単だけどむいてる手応えがある… そんな手法を工夫して欲しい、な。



いや、そもそも、フイッシュソーセージのビニールは何故に赤色(オレンジに近いけど)なのか?
法的な規制があるのか? 白じゃいかんのか? 網目じゃダメなのか?
そこいらも含めてコペルニクスもニッコリ微笑む大転換が、あってイイではないか。
近頃ボクは、日本が技術大国だの自動車生産の乗り物大国だのの妄想はもう止しましょうよ… と思ってるけど、フィッシュソーセージは、もっと羽ばたける気がする。
色とりどりな蒲鉾による天国がお正月直前のスーパーで現出するみたいに、練り物大国… にはなってもイイんでないの。


ちなみに、ボクの思うもっとも貧しいフィッシュソーセージの食べ方は、写真の通り。食パン、マーガリン(バターではダメ)にカラシ。
そこいらの既存品で手っ取り早く造型し、こらない、シャレない、手間かけず。
何を隠そう、これがあんがい冷たいミルクに合ったりする。
この食感は、お店じゃだせない味覚。
なるほど貧相じゃあるけれど、季節のない部屋で1人食べるには、このようなものがイイ。