医療事故… かしら?



このお盆の直前、月に一度検診を受けてる行きつけの医院で、これまた月に一度の採血をされたのだけど… 一日経ち、二日経つうちに、波紋みたいに暗いカゲリが拡がった。
触れるとピリリッと痛んだ。


以後、早や一週間を越える時間が経過してお盆もあけ、さすがに痛みは遠のき、妙な輪っかは黄ばみ、継いで、今はいささか黒ずんだ気配になって、やや痒みあり… 自然治癒しつつあるとは判るのだけど、こういうのは… 困る。


といって、この医院の医師とはつきあいが長く、我が母もここで大いに面倒を見てもらい、だからボクは月に最低でも二度か三度医院を訪れ、おまけに英国車の愛好者で同じ専門店で車の面倒をみてもらってたりもしてるもんだから、毎度、診察室では検診半分以下・カー談義半分以上というアンバイ…。


こたびの採血は新人の看護士さんで、新人といっても中年の女性。
で。
こういう場合、通常なら、
「おい、ど〜してくれるんだ、これ!」
と、医療事故被害を声高に訴えるというのが今時の人だとは思うのだけど… 今時の人でないボクは、これをもって医院を訪れクレームしちゃえない。
「いつもお世話になって」かつ「お車仲間…」という二点が先にたって、新人さんの不始末を声高にできない。このことを医師に伝えると、きっと看護士は医院内で不利になるだろうなとも判って、気の毒に思う気がつよい。



この沈黙は… 正しいのか?
おくゆかしいのか?
優柔不断で、遠慮し過ぎか?


そこがよく判らない。
判らないけど、今までになかったことなので、こうして書きつつ、自分の心の在処を見詰める。
きっと、何でも訴訟で金銭解決の米国では、眼にみえるホドに単純な一件なのじゃあろうし、この国においても今や医療事故はカッコ〜のネタではあるけれど、地域社会における人のしがらみというか関係をボクは大事にもしたいワケで、その辺りのバランスが、実によくわからない。


そも、この採血後の右腕の変化が、甚大なる被害なのか、それとも取るに足りない一過な事象なのか、云うべきか云わざるべきか、見極めが自分判断じゃ難しい。
日常生活に支障有りというわけでもなく、チョイと我慢すりゃ通過する程度なものと思ったり、いや、そ〜ではなくって〜、これはこれとして医院に申告したがイイと… なかなかに揺れるのであった。
それに、血を抜かれる過程で、どうしてこのようになったのかの科学もよくワカラン。
ベチャ〜っと単純にここ数ヶ月を思えば、確かに… 前任の看護士さんの採血は痛くはなかったけど、この新人さんになってからの数ヶ月(だからもう新人さんじゃないけど)は、いささか針の刺し方が痛い… くらいなもんで、それで、
「この人はヘタだな〜」
な、感想しかないもんだから、余計、ワカラン。



あと数日経てば、きっとこの痕跡は消えるだろう。でもって数週ほど先、また、その看護士さんに採血をされるだろう。
そこでボクに生じるのは何だろう?
きっと… 恐怖心だろう、な。
なんか、その辺りにこの一件のキーがあるようだ。
この恐怖心というのは、注射が怖いというのと、もう一つ、医院と自分の関係、あるいは医院内の人の関係を壊すような… そんな二重な恐さだな。気遣い過ぎとも感じつつじゃあるけどよ〜。


こういう場合に、"正義"という一語が閃くのだな。
どうすべきか…。
いや、どうあるべきか。
それを正座させるポイントがよくワカランという、これは小さな事例だな。