映画の後の映画 ~LIFE!~

とてもコッテリしたステーキをたいらげた翌日には、なんだかお茶漬けが欲しいような、映画『日本のいちばん長い日』観賞後では、まさにそんなヘビーとライトがクロスする感じになってしまった。
自室で、
「さて、何ぞ映像をば…」
と思ってはみても、容易に観るべきDVDが決まらないのだ。
熱い浴槽から出た直後のややヒンヤリなシャワーの、その蛇口の所在がわからんというアンバイなのだ。


『日本のいちばん長い日』が、その重さゆえ、胃にもたれたというワケではない。
良性の重厚をたっぷり堪能(生理的限界でトイレに出て、結果、結末を観ていないにしても)した満足と、現実の昭和20年のその時とが併わさって、ボクにメカタを与えているワケなのだ。
ましてや今日(8/30)、国会前の12万の人の集いをニュースで眺め、戦争を人がどう感じているか、いささか心強くも思い… けれどもまた国家権力を手にした方々は、55年前、やはり多数のデモ者の声を黙殺して安全保障条約を結んで米国への隷属を選んだように、こたびはいっそうの硬化でもって、さらに米国の"属衆"となる選択をするのだろう… などなど、千々に心乱される。
速度をあげた車の中でシートに身体がはりつく、そのG感覚が継続しているというワケなのだ。
なので、こういう場合、かる〜い映画を観てカラダとハートを整調するみたいな心理がわくのだったけど、その1本が決まらない…。



ベン・スティラーの『ナイトミュージアム2』は、舞台がスミソニアン博物館で、ボクは同館をミュージアム界の王様と位置づけて久しいから、前作『ナイトミュージアム』同様にDVD発売後わりと早い時期にゲットしたのじゃあるけど、なんだかツマンナイ。
それで途中で観るのをやめて以後放ったらかしだったから、
「ま〜、ソレじゃな」
と、野菜ジュースで割った焼酎を呑みながら、久しぶりに眺めてみたけど、
「うぅ〜」
軽すぎて… やはり、つまらないのだった。
お茶漬けとしての満足が、高所なA地点から通常なB地点への軟着陸が、それでは得られないのだった。


しかし… これはベン・スティラーに失礼だな〜、とも当然に思う。
それで、彼が主演・監督の『LIFE!』を、これまたお久しぶりに眺めてみる。
すると、これがアンガイ、良いお茶漬けとなって… かつて1985年だったか、今はなき岡山グランド劇場での感覚を思い出した。
あの忌まわしいポル・ポト派の残虐を描いた『キリング・フィールド』を同館で観て、グッタリさせられ、暗い衝動におののいて、しばし、
「映画って、イヤだな〜」
くらいにホンキで思ったもんだったけど、その数週後だか、同じ岡山グランド劇場で観賞した1本でもって、その暗さが見事に払拭された事があるんだ。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。
アトにもサキにも、映画を見終わった直後に、
「ワオ〜! もっぺん観よう!!」
と、なっちまった作品はこれのみだ。
(その頃は連続して映画館に居座り続けれたのだ、よ)
今顧みるに、その"もっぺん観よう!!"の気分の数10パーセントは、『キリング・フィールド』がもたらしてくれたものだった。



ベンの『LIFE!』はメチャに素晴らしい… というワケではない。
ワケではないけど、実にシャレた都会的な映像と文字(タイトルなどね)の組み合わせやら、幾重も良質なシーンとセリフが織り込まれていて、しかも、こちらの気分に適した軽さが、こたびはピッタリとあって、これがこのDVDの2度目の視聴だったと思うけど、なんと不覚にも、あのシーンで涙がこぼれてしまうのだった。
あのシーンというのは、このシーンだ。




ライフ誌の高名な写真家のただ1枚のネガを探しにデンマークの植民地たるグリーンランドにまで出向いてしまった主人公のウォルター・ミティー(ベン)が自分に途方にくれた刹那、その自分の幻想として、好意を寄せてた女性がカフェのミニ・ステージに登場。
そこで誰もがきっと知る12弦ギターのあのコード進行と共に、彼女が唄いだす、
「グランドコントール、こちらトム少佐…」
デヴィッド・ボウイのあの曲のシーンでだ。



前に観たさいには、出来良いミュージック・クリップの映画版拡大だな〜といった、ややヒネた感想が最初に浮いたもんだったけど、こたびはそうでなかった。
なんだかもう、ス〜ッと浸透されてしまい、彼女の声、曲の進行と映像、映画の中の主人公同様、
「よしっ! 勇気を奮うぞ!」
な、妙な感動、あのボウイの「3,2,1、リフトアップ」のダブル録音のヴォイスに誘引されるまま、おぼえてしまうのだった。



ボウイの『Space Oddity』の詩の顛末は必ずしも明るいものではないのだけども、実は逆説に、そこには破滅を怖れぬ人の勇気を唄いあげたものかも… という確信が確信としてこの映画『Life!』には描かれたようだと気づいてしまったワケなのだ。
それに、後半では意外や、『ナイトミュージアム』の自己パロディすら入っていて(例の小猿に頬をうたれるあの繰り返し)、つい密やかに笑ってしまったりもするのだった。
(以上、やたらに"あの"が多いけど、気にするな)


だから、軽くお茶漬けのつもりだったのが… 気分一新でこれがディナーに変じ、それはそれで妙なアンバイなのだった。
ショーン・ペン扮するカメラマンがアフガニスタンの雪深い渓谷深くで、雪豹をレンズに捉えつつも、あえてシャッターを押さない、その心境を呟くシーンは、これは映画史100名セリフ(ボクが勝手にそう云ってるだけだけど)の1つとして良いのじゃなかろうか。
と、そうこたびは思い返しもした。


この映画には面白い提起もある。
主人公はライフ社のスローガンを心の大事な所に置いて仕事をしてる… なのでそれに準じるべく自腹をきっての大冒険にでる。
なので彼は劇中、どこで何を買ったか、常に個人帳簿とニラメッコで、減りゆく貯金残高とも格闘する。
けれど、そこには、いわゆる隷属としての"会社人間"ではない何かが描かれてるようでもあって、そこが実は『日本のいちばん長い日』にも共通な"個人と組織"、個人が組織を作るのか、組織が個人を作るのか… の、面白い提示のようにも見受けられる。
ゆえに本作が、お茶漬けでなくディナーに変じた根本だ。


ともあれだ。ヘビー級な『日本のいちばん長い日』の後で、ライト級の装いながら実はキッチリ造られたファンタジーの『LIFE!』が、いわば映画という湯浴み行為を1つの円として締めくくってうまい具合に閉じてくれたこと…、ここを喜ばなきゃいけない。



余談ながら、『LIFE!』ですぐに気づくのは、とにかくブルーが際立つこと。
たぶんこの映画は青のフィルターを強くしてる。だから、主役たちのブルー・アイがめだち、空もまたスカイ・ブルーで、いわば全域が清々しく眩い。
主人公らは退職を余儀なくされる身の上になるけども、そのブルーによって前途が切り開かれる、いわば希望のカラーとしてブルーは濃ゆく演出をされたのだろう。
一方の『日本のいちばん長い日』は、くすんでやや深い草色に全域が浸透されて、それすなわち日本の軍服(陸軍の)の色の極度の反映なのだけど、そのカラーによる重さ演出がこの作品にいっそう重みと時代の在処としての色彩を加えていて、むろん、それは原田監督が意図したカラー効果だろう。
なので、色による"気分"という対比も、この2作では味わえるというワケなのだ。


という次第で、早や密かに、ボクは『日本のいちばん長い日』のDVD発売を待つような心持ちなのだ。
むろん、そのさい、また… 見終わったら『LIFE!』を観てもヨロシイなと思ったりする。
原田眞人もベン・スティラーも、そのように観賞されたのを好まないかも知れないけども、い〜じゃないか… 観た映画はいっさいボクの心の内に息づくものだ。