戦争が廊下の奥に立つていた


表題は昭和15年の渡辺白泉の句。
ボクは句をひねる素養がないけども、影絵のような朦朧と切り絵のような尖鋭がこの短いフレーズいっぱいに逆巻いているのは、よくわかる。
季語を重視しない無季俳句。
書店員として三省堂に務めつつ渡辺白泉は、季語のない句を研究する句会を催し、この、
戦争が廊下の奥に立つていた
で、警察に逮捕され、投獄され、したたかに、とっちめられた。
白泉、このとき27歳。
日本が米英と戦争を決断する1年以上前だ。


彼のみでなく、戦争突入前の1940年(昭和15)から、戦中の1943年にかけて… 50人を越える若い俳句の作り手が、ぞくぞく、「反戦思想」を理由に全国で逮捕された。
いま、ノホホンと呼吸してるボクらには、マジっすか? それ… な話。



戦後、これは「新興俳句弾圧事件」と呼ばれるようになったそうであるけど、昨今、諸々感じるに、必ずしも過去の出来事とは思えない。
「懲らしめなくちゃイカン」
などの発言が国会内で平然とこぼれ、その終点としての強硬な採決。


彼にはこんなのもある。
銃後といふ不思議な町を丘で見た


この僅かな言葉で官憲は烈火激憤して作者を懲らしめた。
ま〜、逆にいえば、この僅か五七五のフレーズがいかに大きいかを示しているとも云えるけど、弾圧は怖い…。
また、それを恐れて萎縮するのも。
また、その萎縮が「こんなの書いてる人います〜」と進んで報告する人の、いわば流れにのっかる心理変換も。


戦後すぐ、この勇気ある人は、
玉音を理解せし者前に出よ
この一句をほぼ最後に句界とは疎遠となる。
本を出すこともなく、この岡山や静岡は沼津などで教員生活をおくり、1969年、沼津高校に通勤中、脳溢血でなくなったそうだ。
苛烈な時代であったがゆえに彼は俳句でもって心を詠んだか、警句を発したか? 
それゆえ、戦後のやっと入手した平和らしき空気の中では、もう発露としての句は不要だったのか?
そこは皆目わからないけど、ともあれともあれ、
戦争が廊下の奥に立つていた
いま、その苛烈な時代の入り口がまたぞろポコリと開きだして、肌寒い感濃いめ。
寒さには、ホッカイロたる現憲法の大事を声にする勇気が要めかと、つくづく思い返す。
そも現憲法すら堅持できぬ方々が作ろうとする新たな法則がご自身でもって全う出来るのか… はなはだ危ういと感じるから余計、細い声を出さずにはいられない。



シリアのメチャな状況から逃れだした何万もの人の受け入れで揺れるヨーロッパ。
やがて近い内に訪れるであろう北朝鮮の破綻とそれに伴う難民…。
日本が平和共存を望む国家として問われるのは、むしろ、そういうさい、どう対応するかだ。
日本は難民を受け入れない閉じた国。
昨年度を例にすると、「人道的配慮による在留許可」をあたえた人は僅か110人ほど。その内で難民として認定したのはさらに僅かな10人以下。
一方、日本に難民申請している方は去年だけで、5000人を越える。
これぞ、マジっすか〜、ではなかろうか。


とても平和貢献に遠い…。


ドイツは数日前、一挙に1万人を受け入れ、なにやら日本のニュースはこれを"ハッピー"な顛末として報じてるけど、問題はこれからでしょ。
この方々を収容隔離するのか、ドイツ社会の中に混ぜていけるのか?
その1万人の背後にはまだ脱出も出来ない方々が数100万…。
この直近の現実が日本に生じたら… この国はどう対応出来るのか?
小さな小船に疲れ切った人達が20人も30人も乗り、それが何100隻と、やって来たら…、
「歓迎します!」
と迎えられるのか?
数日はウエルカムを云えるが、その後、3年5年と共存が出来るのか?
米軍の愛すべき武装ワンちゃんになろうという以前に、そういう次第も踏まえると、そうでなくとも差別しがちなこの風土で、いったいどう何をもってホンキで世界平和に貢献できるの… かしら。
緑豊かな国という表層の下の、薄氷を思わないではいられない。
もしも渡辺白泉が存命なら、彼はまたやむなくも句を書くか…。
書くだろう。



かつて昔に、南軍との戦い終結の6日めに… リンカーンが味わった銃撃の痛みはおそらく数秒のものだったろう。即、彼は昏倒し死に至った…。
だから彼自身はその痛みを数秒知覚したにすぎない。
一方で後世のボクらは、その痛みを、たとえ現実に自分の後頭部が撃たれたわけではないにしろ… 数分も数時間も数年も生きる間はずっと、そこを味わい続けなきゃいけない。
その痛みがどういう性質のものか、どれっくらいヒドク痛いか… ずっと思い続け、ずっと痛みを味わい続けなきゃいけない。
歴史を学ぶ、歴史を教訓とする… というのは、ま〜、そういうことだ。
昭和20年の終戦後に発布の日本の新憲法をホンキで喜び受け入れたのは、誰だったか…。そこにもう1度思いを馳せたい。



ここで使った写真はいずれも実家におごったパッションフルーツ
まもなく寒気が日常になれば、越冬できないから、伐採し、根とその周辺のみを室内に入れることになる。
著しい成長は素晴らしいけど、それとはまた別に、存続を考えなきゃいけない。
音読の語感のみで云えば、
「おごるものひさしからず」
何か今の日本のようでもある。むろんパッションフルーツは、そのような例えを、
「一緒にするなっ」
大いに嫌うだろう。


難民受け入れに関しては、ココが参考になる。
(2012年度では申請者2545人・人道配慮で在留許可が出た人はその内112人・さらにその中から難民として認めてもらえた人、たった18人。何とも乏しい救済…。これが2014〜15年には申請者は倍増しているわけで… 許可してもらえなかった人は日本にいられない。ちなみにシリアからの難民として日本が認めているのは現状では3人。えっ!?)