杉浦茂効果



作業を終え、あてがわれた1室でやっとシューズを脱いでシャワー浴び、ベッド・シーツをグチャグチャにし、枕を2〜3度たたいてカタチを変えて居心地良くしてから、ゴロリンと横たわって読む… 杉浦茂は最高だ。
読む… でなく眺めるが正しい。
なので文庫サイズはいかん。
すこしばかり大判がいい。


ボクにはもう1ページめから順にストーリーを追う必要がない馴染んだマンガ。開いたページの、ヒトコマヒトコマを眺める。
「武蔵野を歩くには道を選んじゃいかん」
明治の国木田独歩はそのようなことを『武蔵野』の第5章で書いてるけど、杉浦マンガも散歩的詩趣があって、だからボクは好き勝手なページを眺め、時に2〜3ページ飛ばしたり、4〜5ページ遡ったりする。
やや大判でないといけないのは、杉浦マンガはコマの背景にいる人物やモノまでが大いに"活きて"るから、そこを逃さないためにはチョビっとでもサイズ大が好もしいのだ。
そのコマゴマでは、脇役たちが主役たちの行いを眺めていて、よく笑い、よくコメントして、しかもノホホ〜ンとしてゆるがない。



うどんこプップのすけ。
ふうせんガムすけ。
らっきょうぼうや。
やさいサラダのすけ。
コロッケ五えんのすけ。
…まだまだいる。



(C)杉浦茂 「猿飛佐助」ちくま文庫版より


これら脇役たちが少年・猿飛佐助の忍術で痛いメに遭っても、彼らのセリフは、
「ひどいことすんなよ〜」
「あんりゃいたい」
「よわったねこりゃ」
「ばかばかばか」
と、実にまったくホンワカで、その上その背景で、別な通行人が、
「いけね、コロッケふんじゃったよ」
なのだから、も〜、ヒトコマヒトコマがご馳走ではあるまいか。
そも路上にコロッケが落ち、それを踏んじゃうシチュエーションというのは、こりゃ何じゃろ〜。
明治41年生まれの杉浦茂のマンガに、近頃のボクは、ケッタイな形をした生物が大量出現したカンブリア紀のエネルギッシュな躍動を重ね見たりする。
主役たちは平然と空を飛び、何ンかに化け、安く美味しいモノに舌鼓をうってポンポコ屈託ない笑みを見せてくれるが、そこに無垢なエネルギーの高圧を感じる。それが連想としてカンブリア紀に連なる。
そのうえ、極度に逸脱しながらゼッタイに安心して眺められる奇天烈。



(C)杉浦茂 杉浦茂モヒカン族の最後」集英社より


なんとこたびは読むうちに眠りこけ、夢をみて、けっこう高速で空を飛んでるのだった。
当初は県北の親戚宅に久しぶりに出向く道中で、なぜか近場までは道沿いを飛び、親戚の近くからは徒歩に切り替えなんだけど、いささか早くに着地してしまって、
「しまった、もう少し飛べばよかった」
などと後悔して歩いてる。
で、親戚宅について中を覗くと、膳が用意され、茶色い大きめな蓋つきの汁腕が7〜8つ見え、ふと気づくと道路の反対側の土手に親戚家族が一同して記念撮影している。
「あ、いわいごとか…」
それで気兼ねして、こりゃタイミングが悪いわい… こっそり空へ舞い上がった。
ちょっと寂しい感じにくるまれた頃、下方に池がみえ、その池に飛行機が映ってるんで見上げると、新式なドローンかラジコンらしいのが飛んでるんで、
「からかってやれ」
と、ボクは自分の身体ごとミレニアム・ファルコンに変身して、飛行機に近寄って、相手がビックリしてるのを大いに愉しんだ。
でも、急激に速度を可変したり回転したりしてる内、ソフト・ハットの真ん中を押しつぶしたみたいに、機体中央がペチャリンと変形してしまい、それでこれが紙製だと気づいたりした。
どういう次第か下方から女子高校生の会話が聞こえ、なぜそれが女子大生でないのか、その見極めはど〜なってんのだと自問しつつ、
「あれは課題の作品ね。どこの製品かな〜?」
なんて云ってる声が聞こえる。



こういう夢を見ちまったんだから、こりゃまったく、"杉浦茂効果"というもんだ。
杉浦的セリフでマネたら、
「いけね、夢に出ちゃったよー」
なワケで、久々、得した感じ。←実話ですぞ。



(C)杉浦茂 「猿飛佐助」ちくま文庫版より


上記の夢を見ちゃってもう3日経つ。
そんな次第あって、ボクは岡山の自室にて杉浦本を引っ張り出し、もいちど夢で会いましょうが出来るかしらと耽読中。
いやホントはこたびの安保法制強硬採決についても書いたんだけど… 怒りにかられたゆえ… 冷まそ〜と思ったりで。
実際こたびのアベとその仲間のフルマイは、
「ばかばか。ひどいことするなよー」
なのだ。
でも、失望するコタ〜ない。杉浦茂描く元気印のキャラクター同様、
「きのう、サバくったー!」
で、うっちゃって、勇気モリモリ来夏の選挙を待とうじゃないの。
ポイントは、戦争しませんの法則を国内でニチャニチャ云うだけでなくって、外に向けて大きく発信すべきところかな。



(C)杉浦茂 「ミフネ」集英社より



自室の杉浦関連をアレコレ引っ張り出してみる…。ひさしぶりに超大判だった植草甚一編集の「宝島」を眺めて、これまた久しぶりに大いに感嘆した。田川律の『まるで転がる石のようだった』に時代と躍動と、今となってはの感慨をおぼえないわけではなかった。