さばうり星


およそ1年ほど前に、家のそばの防犯灯がLEDに変わった。
やたら明るい。
なるほど防犯という1点では得るものも多かろう。
けど、そのせいで夜が薄まり、星空が見にくい。
とくに東の低空は壊滅だ。
星を見上げるという私情+詩情を奪われた損は、大きい。
天秤にかけると、ボクには損失の方がはるかに重い。だから、まったく迷惑な代物。
夜の東の天空を返して欲しい。



10月の今。早朝4時の東空。
イチバン下に木星。そのやや右上に火星。さらに右上でイチダンと眩い金星。そしてすぐ傍らで、笑う唇のような二十六夜の月。
なので月はあと数日で晦(つごもり)、見えなくなる。
夜明け数時間前の、天体の運行が織りなす、この光点の連鎖は、畏怖な感を誘う。
星に怖じ気づく…。
支配すべき者は地上にあらず… なスケール規模の違う何かを味わう。
たぶん、この感覚を人は忘れ過ぎ、錆びさせ磨くことも忘れつつある。
LEDがそれをいっそう促進する…。この灯りは経済やら保安やらに大きく寄与するものだけど、星との会話をさまたげるのでボクは嫌う。
といって、星マニアでもなく、一晩中夜空を眺めているわけじゃない。
せいぜいが変テコな時間に外に出て、シガレット1本を燻らせる合間でのこと。
けども、その束の間の仰角が大事とボクは思う。


宇宙から眺めると北朝鮮の夜景は真っ暗で、それゆえこの国を嘲笑する1つの材料とされているけれど、星を見上げるには最高という点は、どの国よりも"先進"だ。
きっとまだ北朝鮮ではどこで首を仰がそうと、かつてこの日本でも見られた"降るほどの星"が見えるだろうから、闇の中の光点にはまた無数の畏怖と敬虔があると思いたい。どのように圧政しても人が星を見る事まで禁じられない。



夏の星の代表の1つ、サソリ座のアンタレス。そしてその周辺の星々…。
これをかつて岡山方面では「さばうり星」と呼んでいた。
野尻抱影の「日本の星『星の方言集』」に紹介されていて、遠い昔、はじめて読んで知ったさいは、
「あらま〜」
妙に親近したもんだ。
未だ、ボクの眼にはサバと判じられないけども、逆に昔の方々の想像力の逞しさとでかさにチョット惚れ惚れは、させられる。



同書によると邑久郡、現在の瀬戸内市の海際の集落界隈では、さばにない星(さば荷い)の名もあったとか。
笠岡界隈では、さばかたぎ星(鯖担ぎ)ともいった。
アンタレス南天に位置する頃から、鯖を担いで行商に出る。季節が移ろって鯖の日持ちもよくなって、たとえば県北辺りにまで運べるようになる。 
星の位置が旬をむかえる秋鯖の到来をつげる。
かつて、鯖は日本のどこでも年中獲れる魚だったらしいけど、なんだか星と結ばれるとイメージが高雅になる。
畏怖と親近と敬虔が一致して、なにやらどこか、日本の心情としての神仏習合が皮膚感として判るような気もしないではない。数多おわする神サンや仏サンと同列に星たちもいる。
あるいは、近頃なんでも英語化される風潮にあって、フッと、
「これら和名の方がしっくり来るな〜」
密かな優越を感じたりであったりする。



明日、下石井公園・特設ステージでの「JAZZ UNDER THE SKY VOL.4」。
昼の休憩に、サバ定食を出す店を探そうかしらね。
味噌煮か、塩焼きか… 悩むところじゃあるけど。