パッションフルーツ移動

明治の5年まで活用された太陰太陽暦、いわゆる旧暦でいえば、下の写真を撮った日は11月22日辺りということになり、あと7日(3日から)経てば、月がみえなくなり、次いで、新たな月としての12月がスタートするという、アンガイと判りよいカレンダー感覚があったわけだけど、いかんせん、今は新暦グレゴリオ、月の運行とマンスリーとしての月(デート)が一致しない。
なので、ちょっと、新暦より昔の暦の方がイイよ〜にも思ったり。



11月3日早朝4時の、実に判りにくい写真。
パッションフルーツの茂みの彼方の月を撮っている。
弦月の月。すなわち二十二夜
11月アタマの弦月と南洋のパッションフルーツという組み合わせに妙味をおぼえて撮ったのじゃあるけど、直に眼にして感じた光景とこれはまったくベツモノ…。なんせiPhoneなんだから仕方ない。
(ほぼ円球な光点に映ってるのをPhotoShopで少し加工して掲示
感じたままを写真に定着させるには、やはり一眼レフカメラとそれを活用する技巧とが必要なんだろう。



夏の窓辺の遮光に最適と、数年前に本州でも販売されるようになったパッションフルーツ
アサガオ同様に成長が著しい。というよりも力強く繁茂する勢いはアサガオに優って、『ジャックと豆の木』っぽい驚きを味わえる。
オマケに実もなる。
今年で2年めとなった我がパッションフルーツは、アレヨアレヨという内に2階の窓の上!にまで伸び上がり、伊武雅刀的に云えば、"モジャ・ハウス"が一夏で出来ちゃうアンバイなのだけど… いかんせん南洋の植物、寒さに弱い。
沖縄と違い、この岡山では冬を越せない。耐え難きを耐え… とはとてもイカナイ。死んでしまう。




昨年の観察では、朝方が10度を下廻る前後で葉の色から精彩が失せはじめる…。
その10度を下廻るシーズンが既に進行中。
よって、家の中に迎え入れて寒さをしのいでもらうしか、手がない。
昨年も、土から出し、リビングの比較的に暖ある空間で、鉢でもって越冬させた。
玄関の内側程度では駄目。一戸建て家屋の玄関というのはアンガイ寒くって、そこではこの植物は冬を越せない。
ま〜、このまま温暖化が進んでしまえば、30年後の岡山も沖縄的暑熱にくるまれてパッションフルーツは悠々と大地で冬を過ごすというコトに、きっとなるであろうけど… 2015年の今はまだ、温暖化の進行を聞きつつ、危機つつも、庭から家屋内への移動作業をば、行う次第。





11月5日。作業決行。
移動を前提に、あえて、鉢ごと土に埋めていたのだ。
なので、掘り出しはアンガイと楽。鉢底から土中に伸びた根をカットするさいに少し注意するのみ。
とはいえ、そこそこ汗をかく。
同時に伸びに伸びた地表の枝をカットする。
2階まで伸びあがって、アチャコチャにからんでるで、アンガイ容易でない。



窓辺を覆う枝と葉をカットしてしまうと、夏から秋にかけて緑で覆われていた空間が空虚になって、妙な寒さと寂しさ、ビオロンの音こそ聞こえないけど、
「身にしみて ひたぶるに うらがなし」
っぽい感傷を味わうけど、これも仕方ない。
巡る季節にこちらの心情もまた同化させなきゃ、仕方ない。




伐採した枝に垂れた実。
なんと90数個。
とはいえ、その1/3は成熟の途上のようで、実の立場でいえば突然の伐採で、
あじゃ〜」
ってなもんだろう。
しかたない。
日中はまだしも、夜の冷えに根も幹もたえがたくなっている頃合いなんだから。



鉢ごと土から掘り出し、枝を切り、誘引のための細ヒモを片付け… と、やってる内に夕方になる。
鉢をビニール袋で覆い、2つのパッションフルーツを室内に入れて、やっと一息。
土を掘り返したり脚立に上がったり、鉢を持ち上げ移動させたりをしてる内、気づくと両腕がプルプルしてる。
2日経った今日、あんのじょう筋肉痛。