紀田順一郎と吉備高原都市


いささかコッソリに敬愛している紀田順一郎氏が、およそこの20年近くに渡って個人運営されてらっしゃったホームページ(ブログ的な構成だった)を休止する… とのことで、少なからず、残念に思う。
80歳を越え、体力的にも精神的にもきついのであろう。

そのホームページの最終章たるテキストでは、終の棲家となる、「先端的な医療施設の多い、自然に恵まれたシニア環境化」の住居に越したばかりで、本の整理などを行っていらっしゃるようだ。
記述によれば、1800冊程度のみをその終の棲家に持ち込み、後の… というかそれまでの5万冊だか6万冊を、心を鬼にして処分しつつあるようだ…。
これはすごい決断と勇気… 
というか、何を残して何を捨てるか、ものすごくエネルギーを使う事だろうと思う。


氏は5年前まで、この岡山に住まってた。
吉備高原都市。
そこに1997年に家を造り、2010年までお住まいになっていた。
吉備高原都市というのは、1973年、当時の県知事・長野士郎が打ち出した構想で、岡山県のほぼ中央の吉備高原、当時の呼称で御津郡加茂川町と上房郡賀陽町の端境いあたりに、ほぼ新宿区くらいなサイズの新都市を創るという計画だった。
保健福祉に重きを置き、7つのゾーンに区分けして、3万人が快適に住まえる新都市となる筈だった。
ところが… 紀田氏が入居したほぼ直後、県知事が交代。長期政権で傲慢さが目立つ長野氏から石井正弘氏に刷新され、同時に、長野県政吉備高原都市計画に待ったがかかった。
長野時代はバブル期でもあったけど、もはやそうでなく、行政の財政は逼迫の一途というコトで、突然… 吉備高原都市計画のほぼ全事業が凍結された。



岡山県のホームページより↑


お子様がいず、夫婦2人きり。
車はない。
紀田氏としては、数年経てば、岡山市へのアクセスとなるバスなどの公共整備も整う筈であったろう。けど… それが頓挫した。
車がないと毎日の食料入手も大変だ…。
分譲されたA地区の予定人口は7000人であったらしいが、そのような状況となっては住民は生じない。
(2010年現在、吉備中央都市全体で総人口1839人)
じっさい、当時は新都市にふさわしげな「吉備高原ニューサイエンス科学館」やら自然と接する「はるみの丘」といった施設もあったのに、今や閉館し、まったく閑散として"夢の跡"という空気を醸す。
(現在お住まいの方々には申し訳ない記述だけど…)


という次第で、紀田氏も2010年まで、捨てきれない望みと我慢の狭間で足踏みされていたろうと思えるけども… ご夫妻ともどもの加齢がガマンの許容を越えたようである。
後ろ髪ひかれつつ、やむなくも元居た関東へ転出。
ま〜、その間に氏は山陽新聞社から「吉備悠々」という岡山を材にした本を出版されて、これはこれで大いなる収穫ではあったろうけど、実に気の毒な顛末としか云いようがない。



ともあれ、それから5年。こたび氏は関東内でまた転居(今度は横浜)、ホームページを休止し、ボクは1読者として寂しく思うけど、これはさらなら氏の創作活動のステップなのだから、ヤムナシと解しておこう。
いつまでも健やかに、かつ新たな氏の著作を望むばかり。


紀田順一郎氏の本で好きなのを、何冊か。




『日本語発掘図鑑』
日本人が日本語をどう扱って来たかを学べる1冊。図版の配置とサイズが絶妙に良く、雪の降る日に暖炉の前にチェアを運び、ココアでもすすりながらユッタリ眺める… という非日常な幻想がわく1冊。
暖炉もロッキングチェアも持ち合わせていないけど。



『昭和シネマ舘』
なんといっても「宇宙戦争」(1953)と「シェーン」への言及の深さ。
シェーンが撃たれていたのを最初に指摘したのが紀田氏だったと思うが、氏はそこをクローズアップしたかったワケではなく、赤狩りに揺れる当時の米国における"戦後"が映画「シェーン」に反映されていると解説する。その指摘の濃さと、映画を時代の空気の中に再定着させて見直すという、距離の計りようがいい。
この良本が文庫化もされず絶版になっているのが不思議。



『20世紀モノ語り』
たまさか… 明治期のコトを調べていて、何度も密かに参考とさせていただいた1書。{あ}行から{ら}行へと辞書のように、モノをひけるコトが出来る。
ひどく詳しいワケでもないけど、ツボを押さえた言及が示唆にとんで、それゆえ何か糸口を見つけられるといったコトがあって、この1冊、なかなかにアリガタヤで今も手近いトコロに置いている。



『古本街の殺人』『古書収集十番勝負』
とっても面白かったワケではない。むしろヤヤ退屈な感もある。でも、小説家としての紀田順一郎氏が蔵書家としての顔を隠すでなく、むしろご自身の嗜好を大いに愉しんで書いてるぞ〜、な感じが伝わってくるんで、そこが好感。こりゃ寝転んで読むに最適快適。
だいたい、ミステリーというのは寝ころんで読むのが姿勢として正しいのじゃなかろうか。
ちょいとした怖さを背中のフトンが受け止めてくれるので。