次ぎの『スターウォーズ』



来年(2017)12月公開の『スターウォーズ』を予想すると、まずルーク・スカイウォーカーは死して聖霊化し、娘を影で支えなきゃ〜いけない。
そして、ダースヴェーダー2世が登場しなきゃ〜いけない。
善と悪は拮抗するままに両者ともども継承されるのが、物語の要めだろう。


むろん、それはシリーズ4・5・6の再生産に他ならないのじゃあるけれど、歴史は繰り返すはセオリーだ。
次作でもってヒロインのレイは最大の危機と最大の飛躍への入口に到達し、あるいはその母親が登場し、さらなる次作でもって、また大団円という次第ではあるまいか。



こたびの「フォースの覚醒」は、"帝國"側が、相変わらずもナチそっくりな、いや、そのイメージを1歩もでない描写ゆえに鼻白み、結局彼らを維持する予算はどうやって捻出してるんかいな? とも思ったりするが… 彼らが身につける制服の、その原料たる綿花の広大な畑(当然にここでは奴隷化された者もいるだろう)なんぞの上空を、一瞬でよいから飛行するミレニアム・ファルコンを見たい… とも、さらに思ったりする。
ま〜、そういう想像を加えて愉しむのが、『スターウォーズ』の『スターウォーズ』たるトコロで、この余計な詮索とお節介を受け入れるスキがあるのが良いという次第でもあるのだ。



それにしても、デンゼル・ワシントンとシドニー・ボワチエを混合合体したような、こたびのフィン役の黒人俳優は、いい。
ナウシカの処女性と闊達を否応もなく思い出す、レイ役の若い女優も、いい。
よくぞ見つけだしたもんだと、昨年末に観た2D版とつい昨日観た3D版の中の彼らに、感心しきり。世代交代と遺産相続と継承が織り込まれたこたびの作品にふさわしい顔ぶれと、みた。



ディズニーは膨大な予算を組んでバローズ原作「火星のプリンセス」を『ジョン・カーター』でフイルム化し、売り方を徹底して間違って大赤字となったことがあるけど、ボクはこれを傑作だと思って久しい。
原作にのっとれば、何本も続編が撮れる内容とその充実ではあった。
おそらくジョージ・ルーカスをして「あっ!」と呻かせた作品であったろうと、ボクは密かに思ってもいる。



それゆえこたびのディズニーは徹底した広告展開で『スターウォーズ』を船出させたのだろうとも思うけど、座礁することなく次作次作と… お楽しみを続かせて欲しいもんだ。
「フォースの覚醒」というタイトルにはどこか仏教的な、いや密教的な、その開祖たる空海が高知の海辺の洞窟でもって、天の明星が口の中に入って来て、そこで覚醒したという… あの高名なエピソードを、思い出したりもする。良かれ悪しかれ、『スターウォーズ』は宗教的な色彩を帯びていて、扱いようではつまらなくなろう。