長い夜



土曜の冷えた夜。
城下公会堂でのライブ本番前のリハーサル。和らぎとかすかな緊張感が醸す空気の濃度が気持ちよい。
アイコンタクトでもって曲をうまくシメる3人の間の取引には、いつも羨望混じりの衝動をおぼえる。
あるいは、本番ではまず見られないミスタッチに、弾きつつ本人が破顔するといった場面も。
緩急あっての音楽。
好いもんだ。




この翌日には倉敷方面でビッグバンドの大きなコンサートもあり、W君やTちゃんといったOJF関係の仲間も登場したのだけど、別件あって残念なことに出向けなかった。


昔、シカゴというバンドに「長い夜」という曲があって、ブラスセクションとギターの掛けあいが元気がいいけど、でも何だか暑苦しい感もあって、ボクはレコードを買いもしなかったけど… 昨日の夜、ある事の打ち合わせ中に、何故かこの曲がアタマの中で鳴るのだった。
こまったもんだ。



いや結局、堂々巡りみたいな議論が熱くなって夜も更け… それで「長い夜」と結ばれてしまったのだろうけど、もっとスマートな曲が浮けばいいのにと、いささか残念に思うのだった。
いっそ、同じ時代頃の楽曲が浮かぶなら、たとえば、官能の芯が蕩けるようなサンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」あたりがヒョッコリ出てくれたら、そのミーティングに色がついて、
「いい感じぃ〜」
になったろうにと、また残念を思う。



とはいえ、食事しつつ、お酒のみつつの打ち合わせなのだから。べつだん悪かろうはずがない。
実際は話に炯々ともしているワケで、不満は、ただ… 「長い夜」という曲が勝手にアタマの中で鳴ってしまったというコトに過ぎない。
なぜ鳴るのだ?
そこが訝しい。
日常、ツユとも出てこない曲というより、も〜まったく忘れていた曲が、その日その時に限ってアタマに浮く、この現象が不思議でいけない。
あなたには、そういうコトが起きないか?


先日、ジョージ・マーティンが亡くなって、また1つ、何かが遠のく感覚をおぼえたもんだけど、彼の場合はもう90歳だったから、そうそうショックではなかった。
むしろ、ネットのニュースで訃報を読んださい、背景でかけていたのが、ビートルスで、それも彼の子息がリミックスした『ラブ』であったから、不思議な御縁を思わずに入られなかったりした。
シカゴと違い、こちらは常にボクの横にあって、いつでもアクセス可能というアンバイなのだった。
むろん、リミックス・アルバム「ラブ」が好きなのではなく、ビートルズが好きなのだ。
嗚呼、それにしてもジョージ・マーティン…。
偉大だったとしか云いようがないし、この先もずっと高い丘の上の光源であり続けてくれるだろう。


ボクが英国人を思い浮かべるさい、ほぼ必ず2人の男の顔がアタマに浮くけど、その1人が実はジョージ・マーティンなのだった。
もう1人は、『プリズナーNo.6』のパトリック・マクグーハンだけどね。


マクグーハンの最初の大ヒット作となったTVシリーズ『秘密諜報員ジョン・ドレイク」(1966)の、そのテーマ曲「シークレット・エージェントマン』はジョニー・リバースが歌ってたな。
こんな映像が残ってる。



なかなか… 元気が出るな〜。
実際の歌詞は諜報員ジョン・ドレイクの屈折した心理が編まれた、いっそ暗い内容なのだけど、そこを軽やかに歌いあげるセンスが、オモチロイ。
後にブライアン・フェリーがこのテーストを踏襲するワケだ、デカダンな色をつけて。



濃くて深い樹海の奥に迷って途方にくれようと、そのさいにもきっと、何らかの音楽がアタマの中を流れるんだろう。
音楽という"友達"を持っているのは、だからきっと、とても幸せなことなんだろう…。
身を寄せて時に暖をもらえる。