この連休、ドナウ川で悠々クルーズ三泊四日


と… いうワケにはいかないのが現実。
哀しい。
ドナウ川にもアマゾン川にも、すぐそばの旭川さえ… 出向かない。
いやさ、出向けないのが、この連休。


連休前の友達の訃報は、まるでユックリと水が浸み込んでくるようなアンバイの、気づくと重みで沈み込んだみたいな…、グッタリしてる場合でないけども、さすがに消沈させられた。
しかし、ま〜、彼は楽しい思い出を多々残してくれた。ジャズフェスのカメラ隊の連中をよく引っ張ってくれた。
でかい体躯と裏腹、子供みたいにキャ〜キャ〜笑う顔がよかった。


その昔、ボクがホントに子供であった頃の"子供の日"をボクは、どう味わっていたろうか?
いかんせん、ほぼまったく記憶がない。
子供の日があるなら、大人の日もあるの?
程度な感慨を中学の頃だかに憶えたような気もするが、それもも〜、あいまい。



ワケあって「スーパーマン」を観る。
クリストファー・リーブが実に鮮烈だったリチャード・ドナー作品。
映画館で観て以来だから、38年ぶりというコトになるけど、いやはや、あらためて眺めるに、セットが凄いね、オドロイタ。
たとえば悪者ルーサーに扮したジーン・ハックマンが"地下に埋没した過去のメトロポリスの某ビルのフロアを利用して作ったプール"で悠々泳ぐシーンなんぞは、セットの巨大さに、
「うっほ〜!」
ただもう感嘆するのだった。



あるいは、その地階の彼の書斎の精緻さときたら、やはりただもう舌をまく… というアンバイ。
セットに見えないリアリティ。
いや、この場合、正しくはそうじゃない。
悪事を芸術の域に昇華させようと"努める"レックス・ルーサーの隠れ家としての、その夢の産物としての"セット的部屋空間"の描き方が、この映画は半端でないんだ。
だから正しくは、セットセットしているのだ…。
そのセット的空間のリアリティがハンパでないという点で、これは二重丸なんだ。



38年前にも濃く感じたことだったけど、リチャード・ドナー監督は人と人のつながりを描くのが上手いな〜。
若きクラーク・ケントが育ての母と別れるシーンの演出とカメラは、38年ぶりにまた熱いものが込み上がった。
くわえて、"絵"がすごい。
画面いっぱい、地平線の向こうまでが黄金の麦畑。
その真ん中の煉瓦風味の農家。
ワイエスの油彩が動いてる… という感覚を味わった。
CGじゃないホンモノの広大な畑は、1年丸ごと契約で撮影のために借り切っていたらしい。
映画の醍醐味だな〜。



ロイス・レーンとスーパーマンの"夜間飛行デート"でのロイスの心模様の変化も素晴らしい。
今はCG主役で人間がいっこうに描けないショ〜もない作品が多いから、余計、この「スーパーマン」は炯々としてる。
クリストファー・リーブが亡くなってもう久しいけど、思えば、実に惜しい。



で、さて…。
なんで「スーパーマン」かといえば… え〜〜っと、それは5月8日の講演で話しましょう。
「なんだよ〜」
と、ブーイングが聞こえそうだけど、ま〜、お楽しみにという次第で。
でも微かな手がかりとして申しておくと、5月8日には"明治のファッション事情"という副題もつけてるワケで、おのず、衣装について触れるんだ。
その流れとして、意外なコトでスーパーマンにそれが結ばれてくんだ、よ。
で、38年ぶりに観た映画の中でも、やはり似たような感想を登場人物の1人がこぼしたから… 観たかいがありましたな。
そのセリフを確認したかったのであります。



※ 「スーパーマン」シリーズでは、「スーパーマン3 電子の要塞」が1番にいいな。
これはリチャード・ドナーじゃなくってリチャード・レスター作品。彼の「ヘルプ!」同様、軽快さが極上。巻頭タイトルロールでのドタバタが素晴らし過ぎて、何度も観たくなる。
スーパーマンはコメディでなくっちゃ〜いけないよ。