ユスラウメ ~大岡裁き~


実家の庭中央で実るユスラウメ。
毎年、その紅い実でもってささやかな自家消費としてのジャムを作るというのが、恒例行事となっていたのだけども、今年、異変が起きてしまった。
実が、例年の1/3くらいに減っているのだった。


理由は判ってる。
春先、ツボミが出て花が咲いた頃、しきりに、ムクドリやらスズメたちがやって来ては、花をついばんだからだ。
毎年たしかに、スズメめらはやって来るのだけど、この春先はそれが尋常でなかった。
わけてもムクドリときたら、早朝から夕刻まで、ひっきりなしで襲来し、花芽をついばんじゃ〜、己のが身の食欲を満足させていたのだった…。
当然、居合わせれば、
「こりゃ、しっ、しっ、しっ」
追っ払うのじゃあるけれど、朝から夕まで半日庭で竹棒持って警戒するという次第にゃ〜イカナイ。
だから、やられ放題食べられ放題。実りが減少するのはアタリマエだのクラッカ〜なのじゃあるけど、こうも… やられていたとは思っていなかった。
本年度のジャム作りは、諦めなきゃ〜イケナイ。



その昔、『舌切雀』の童話を読んだか聴かされたかで、スズメの舌を切って懲らしめた老婆が、その後にリベンジされて、えらいコトになる顛末を、子供のボクは、いささか溜飲さげるというか、喝采したというか、スズメの復讐に、
「よっしゃ〜!」
ニンマリ北叟笑むという次第だったのだけど… こうして実体験として"被害"をマノアタリにすると、その「よっしゃ〜!」は、はたして合点がいくものだったかと、今あらためて考えなおすのだった。


むろん、ムクドリもスズメも、悪意なんぞは、こりっぽっちも持ち合わせていない。
ただ、日々の糧を得るがため、頃合いよくも生活環境の中にあった"ヤ〜モトさんちのユスラウメ"をついばんだに、過ぎない。
けども一方のヤ〜モトさんは、小鳥どものゴハンを作っていた次第ではなく、あ〜くまでも、6月アタマに収穫してジャムをば作るんだ〜、の、愉しみを糧に栽培しているのだったから… さ〜、さ〜、さ〜、これは問題かつ難問だ。
はたして、あの『舌切雀』の中の"悪い老婆"はホンマに悪者だったのか?
ただもう、自衛がためにスズメの舌を切ったのじゃ〜ないのか… そう思ったりもするのだ。
むろん、ボクは、そうであっても、スズメの舌を切ってしまった老婆の行為は行き過ぎであると断言する。
過剰な、それは悪である。
けどまた一方、そうしなきゃ収まらなかった彼女の気持ちも、判らないワケでもない…。
怒りに我を忘れ逆鱗のままに行為に及んだという次第で、ひょっとして、その数時間アトでは彼女は、
「ひどいコトをした…」
そう、悔恨したかも知れないのだ。
けども、舌を奪われたスズメにしてみれば、そんな老婆の心持ちの変容など知ったこっちゃ〜ない。
二度とおしゃべり出来ぬ身体にされた怨みはデッカイのだ。
ゆえに、彼女のカゴの中に、ヘビをいれたりムカデをいれたりと、スズメはスズメで出来うる範疇での仕返しをし、やがて彼女を破滅に追いやった。



う〜〜ん。
この両者の思いの違いを、かの大岡越前はどう裁くかしら?
容易に解けるようでもあり、そうでないような気もするし…、大岡さんも悩むに違いない。
しかしボクはオ〜オカでなく、ただのヤ〜モトゆえ、庭に立っては、
「ことしゃ〜実が… 少ね〜の〜。ま〜、しかたなかんべ〜」
人の良い翁をトレースして、ただただ、アタマをかくのだった。
ポリポリポリ。