花々の旺盛



用あって小さなR2-D2をペーパーのみで作ってみる。
全高2.5cm。
より小さなモノも近頃は3Dプリンターの発達で作れちゃう次第ながら、いかんせんプリンターと呼称しつつも塗り分けてはくれないから、モノは精巧でも塗装はフリーハンドというワケで、難易度が高いというか、良い結果が得られるとは限らない。
その点でペーパーモデルは最初っから"塗装済み"なんだから、彩色の精度という点では3Dプリンターに優る。
ただ、ペーパーモデルは球体は苦手だ。
それにノリシロの問題がある。
貼り合わせのための"余地"が必需ゆえ、ペーパーそのものの肉厚がガゼン問題になる。
作ろうとするモノが小さくなればなるだけ、限界も近寄ってくる。
ま〜、そこが面白いワケでもあるけれど、なんせ指の中の工作… メダマがくたびれる。



休憩。外へ出て、アレコレ花を眺める。
極小のR2-D2を指の中でいじってた眼には、庭の花はいずれもデッカイ…。
雨が降って、やんで、また降ってと… なかなか梅雨らしいアンバイなお天気具合。
しかし、その湿潤が庭の草木には恩恵有りで、アレもコレも緑がよくおごってる。




それぞれ旺盛に生を謳歌して、
「延びる時に延びちゃうよ〜」
ひたすら大きく育とうと、何やらその意思が眼に見えるようで… 頼もしい。
繊細にみせて、しかし随分と大胆で、ズケズケと開けっぴろげで、
「眼がクタヴィれた〜」
なんていう軟弱がないのが、いい。
人が干渉しなきゃ、庭の草木どもはたちまちにジャングル的混沌に向かうのもみえてくる。
それでまたブライアン・オールディスの小説をボクは思い出したりもする。
ヴェルヌの『地底旅行』の、巨大化した植物を思ってみたりする。




ボクは現代アートの信奉者ではないし、近頃流行りらしき『瀬戸内国際芸術祭』とかの作品に興味のキョの字も湧かないけど、草間彌生のいっときの作品の、小が大をのんでいく連鎖の鋭角感覚だけは賞賛してる。
植物の旺盛の、あれは讃歌であり、また強烈な恐怖でもあろうかと、ボクは感じる。けっして欲しい絵やオブジェじゃないけれど、草間の鋭敏は極小が極大に連なり、そのモチーフとして植物生長に怖さを見たかも… と思わされる一点で… 惹かれる。彼女はあの永遠めく連続パターンに気持ち良さをノッけてるのではなく、彼女の不安をノッけているとボクは感じる。
草間は自身の中の弱点と真っ正面から向き合っている人… と、そう思ったりもすると、それはホントはしんどい作業なのだと得心したりもする。
ともあれ、束の間… 花々に接し、メダマを休める。