勝手にシンドバッド part-2

前回についでシンドバッド。
今度は本の話。
千夜一夜物語』。
復讐心と猜疑心とが体内に充満しきった王が、一夜の話(お伽)が終われば首をはねてやろうと思いつつも、その対象たるシャーラザット姫の話が面白く、ついつい聞き入って一夜が二夜に三夜に… とうとう千夜の夜が明けた頃には、それらの話から学習してしまった王は、なんだか良い王になってしまう… というお伽界最大最長の叙事詩
前回書いたとおり、シンドバッドの登場はだいぶんと後。



バクダッドを基点に、27年に渡って彼シンドバッドは7回、冒険的大航海をし、そのたびたびのエピソードが奇譚として語られる。
一読して判るのは、徹底したドライ、徹底したサバイバル。この2つがシンドバッドの命をながらえさせているということ。
第4回目の航海で訪れた島では、そこの王に進められて結婚するけど、島の法律では、伴侶が亡くなると夫であれ妻であれ、亡骸共々に生き埋めにする。
その伴侶が病没し、シンドバッドは亡骸と一緒に地下墓所に生き埋めにされる。
さ〜困った。
けども共同埋葬墓所だから、新たに死者が出ると、その生きた伴侶も入って来る。
そこで… どうしたか?
シンドバッドはその伴侶(女であれ男であれ)を殺しては食料を奪って、生きながらえるのだ。
いいですか… 彼は己のが生のために人を殺すのです、ぞ。
今の感覚ではとても映画などに出来ようもない、壮絶のサバイバル。
当然、子供向けノヴェルじゃゼッタイ書かれない…。
さらには、埋葬者の身体に付けられた宝石の数々をシンドバッドは引っ剥がし、結局それで財をなすんだ、ぞ…。
それをボクらは殺人と略取とみるが、彼シンドバッドは違う。彼は"恵み"ととらえ、アラーの神に感謝する。
このクールでドライなアッケカランなアンバイに驚かされ続け、こちとら、
「ありゃま〜」
と、面喰らう。
もし飢えた虎に遭遇し、虎があなたを食べたいと欲するなら、あなたは虎に食べられなさい。そのことで次ぎに生まれ変わったさい、あなたはより高みの存在としてまた生を受けるでしょう… といった仏教的宗教観とはもうまるで違う世界。
それがアランビアン・ナイトであり、『千夜一夜物語』の基本スタンスなのだ。
なのだから、数多の米国映画はその表層を撫で、かつ、西洋式思想で塗り変えているに過ぎない… ともいえる。ま〜、しかたない。




7回目の最後の航海は、これはそのまま映画に出来そうなほどにファンタスティック、かつ、難解。
年にただの一度だけ、"不信の町"の男達の背に羽根が生える。
シンドバッドは男の1人に願って彼にぶらさがり、空中高くに誘われる。
あまりの高みに連れられたのでシンドバッドは、
「お〜、アラーの神サマ」
と、口にする。
途端、地表に引き戻される。
"不信の町"の男達は年に1度、悪魔に魅入られる。それゆえアラーの名は禁句…。
アレあってコレあって、その挙げ句… シンドバッドは複数の男達を助け、例によって莫大な財産も手に入れるのだけど、そのクライマックスでもって、アラー(アッラー)の神にシンドバッドが忠誠を誓ったか、いや、そうでなく神を欺いたのか…、
「どっちだろ?」
不思議の余韻がしばし続く。
なるほど、これでは、一夜の話が終われば首を切ってやろうと思ってた王様が語り部のシャーラザット姫を殺せぬまま、千夜にわたって聴きいってしまうわな。
なので、『千夜一夜物語』はタイトル通り、就眠前、寝間でチビチビ読むのがよろしい。
ま〜、この辺り、アラーの神への絶対がゆらいでるといった点が現在のイスラム世界の方々には、ご当地モノとしてマッタク容認出来ない… という次第でもあるんだろう。


千夜一夜』はエロチックな部分もまた多いから、それを材にした変な本もまた多数あるよう、思う。
これもそう。



これは1971年刊。表紙を眺めるだけで、エロ本コーナーに置かれるべくな類いと判る代物。全ページにヌード写真有り。
なのだけども…、書かれた記事は意外やマジメというか、エロスをアランビアン・ナイト的雰囲気でもってテッテ〜して文芸的に追求しちゃった〜、みたいな… エロ本コーナーに置くにはいささか逆説的に難のある真摯さが全ページに浸透していて、これはエロ本界の稀覯本というべきか?
前半は数多のチャーミングな写真でもって体位の解説にいそしみつつも、後半部ではオリジナル『千夜一夜』を模し、幾つかの奇談な装いの猥談が綴られる。


そこいらの男性に満足出来なくなった王女がヒヒを購入し、彼にいれこみ、ついには"駆け落ち"て城を出て山野の廃屋にヒヒと住まい、猥褻行為に浸りに浸り、ヒヒの食事の世話のために毎週、市場の肉屋を利用するのを不信に思った肉屋の旦那が、彼女のこの行為の苛烈をやめさせるべく、今度は自らが酒池肉林の別境を王女に教えてメデタシメデタシ… と、なんだかワケのわからない1種の格調さでもって綴られていて、いやはや、まったく妙なる"性典"的アランビアン・ナイト。


ボクはこういう本も… 好き。一神教の国でなく、多様かつ雑多な精神風土たるこの国に生まれたゆえ、こういった"エロ本"が生息出来る土壌には、ホッとする。
ま〜、こういうことは、今ドキ、大きな声でいえない。
イスラム社会を色メガネでみて、今はもう出版出来ないレベルじゃあるけど…、根となる宗教的規範を持たない日本という国の特性もまたよく顕れていて、捨てがたい。アラビアンナイトという鏡の向こうの物語を通じて逆に日本を知るようで。