ロビンソン・クルーソー その1

不安定な天候続きの今日この頃。この前の日曜は束の間の晴天。
午前中に毛布やシーツをベランダに出して陽を浴びせ、昼時に近場の王将でチャーハンにミニ・ラーメンに餃子を頂戴し、午後、ヌクヌクとなったシーツを元に戻してゴロリンと横になると、当然に、背がポカリポカリと温かい。



そのポカリンを味わいつつ、というかチト暑いなと感じながら、およそ10年ほど前に買った… 伊集院静書き下ろしの『ロビンソン・クルーソー』を読む。
この作家とデフォーのそれが結びにくかったけど、彼は港町に産まれ育った関係からか、子供の頃に同作によく親しんでいたそうだ。
それで大人になった伊集院が、今度は今の子供向けへのジュブナイル化。
全漢字にルビがある以上に、活字がやや大きいのも、大人のボクにもアリガタヤ。


かつてボクも昔、ガッコの図書室から借り出して『ロビンソン・クルーソー』を、もちろんその当時のジュブナイルものだとは思うけど、読んでるものの、どういうワケかほぼ内容を記憶していない。
一方でたとえば『十五少年漂流記』などは登場人物の名も憶えていたりするから、ひょっとして子供のボクは『ロビンソン・クルーソー』にあんまり共鳴しなかったのかも知れない。ロビンソンが大人なので子供のボクには、おじさんの冒険という感じで年齢差に違和していたのかもしれない。


けどもベッドで背にポッカポカを感じながら、いまや早やそのロビンソンの倍の年齢に達して、ルビなくとも読めるんだから、面白くないハズもない。
孤島の一人暮らし。その南洋な感じが背の温かみで増量し、温度的にも気分シンクロ。


いや、眼で読むよりも、これは誰かに読んで聴かせてもらったら、いっそ愉しいのじゃなかしら… 大真面目にそう思いつつ、背からの温かみで甘睡に誘われ、気づくと、そのままク〜ク〜ク〜。
甘い睡眠にとろける。



目覚めるともう夕刻。
こういう時間の過ごしかた、いいね〜。
だいたい今は、よりファ〜スタ〜に、新幹線よりリニアモーターだとか、iPhoneなんぞで自己管理… なんだって"効率的に"とか"機能的に"クリア出来るのがヨロシイとかいう風潮だけど、それは生活のごくごく一部でしょ。
効率的な愛とか、機能的セックスとか… あるかい?
そりゃ、ないでしょう。
そんなの求めてるワケでないよね、ボクら。
ゆったり時間をつかって、つかったと思う必要もなくって、自分の時間をはむのがイチバン裕福じゃなかろうかしら。
基本、ゼニカネでないのよね。


ぁ、いや、実はこの感想、27年間1人暮らしの当のロビンソンの感慨なんだけどね、大いに頷いたよボクは。
17世紀の小説に、伊集院静のその翻案版に… 爽快な新鮮を味わったな。
という次第あって、次回に、『ロビンソン・クルーソー』とその作家ダニエル・デフォーのことをもう少し。