旧遷喬尋常小学校

真庭市岡山県)の旧遷喬(せんきょう)尋常小学校の展示物に、明治の戦捷記念図書館がらみの写真が展示されている… という情報を頂戴する。
こういうミミヨリは早めに確認しなきゃ〜イカン。


という次第で真庭の、久世に出向く。
この日、岡山市内は「岡山マラソン」当日。
交通規制がかかり、朝8時過ぎにはもうシンフォニーホール界隈でも路上にポールが置かれ、多数の警官と係員が出張り、沿道には声援の方々が集まりかけているというアンバイ。
落合方面への幹線道が規制の核心部と重なってるんで別ルートを模索。
眼の手術後はじめての長距離ドライブ。


紅葉のさなか。
徐々に県北へと向かうに連れて、紅色と黄色が占める割合が大きくなる。
「秋だぞ、秋タケナワッ」
助手席に向け紅葉を昂揚ぎみに告げるに、相棒は早や、ス〜ヤスヤ…。
そこで秋の色合い独り占め。
チョイと矯正された右眼にシャープな色合いが眩い。
2時間半ばかし駆けて、遷喬尋常小学校の駐車場に車をとめる。



見事な外観。数多の映画がここでロケしたがるワケだ。
この校舎を造ったのは、明治の人、江川三郎八。
福島県に産まれ、宮大工となり、やがて西洋建築を学び、岡山県の建築技手(技師)に就任したのが明治35年
亜公園・集成閣を大改造して戦捷記念図書館へと変身させたのが、彼の岡山での最初の仕事(に近いモノ)だったと思われる。
しかしながら、そこを研究してくれるガクシャさんはあんまり、いない。



江川が設計の建物は複数が現存する。
岡山市内-中央図書館脇に移築設置されてる八角園舎や、和気の閑谷学校の旧校舎同様、一目で江川作品とわかる姿にカタチ。
ボクらのテーマは、その江川じゃない。彼以前の明治期の家屋というか施設たる亜公園が興の中心。
でも亜公園を語るにはまた戦捷記念図書館も外せない存在。
江川三郎八はもっともっと、この岡山では顕彰されてしかるべき人物だと思うが、いまだ知る人ぞ知るという感が強い。
その功績の1部を観ることが出来る展示室が、この重要文化財となった遷喬尋常小学校にある。係の方にアレコレ聞き、アレコレを眺める。



戦捷記念図書館の絵ハガキ。(を拡大したCOPY)
そこに三好野(みよしの・駅弁で名高い)のスタンプが押されてる。
三好野は、亜公園が出来たのとほぼ同期して、岡山駅前岡山駅は亜公園の1年前に出来た)に店を構え、駅弁を売り出すんだけど、同時にその頃は三好野花壇という旅館もやってた。
それが、亜公園が閉園した頃には"旅館"が"ホテル"になってるワケなんだ。そこで販売したとおぼしき観光名所のポストカードという次第。
ホテルとなった三好野花壇を物語る第1級の資料が、この絵ハガキなんだな…。このスタンプにはやがて来る大正モダンの萌芽が感じられる。
稀少にして貴重。
しばし、眺めいった。
情報をくれたKに感謝。



展示室担当の方に謝辞し、それから校内を勝手に探索。
何といっても学校の怪談だ… じゃ〜なくって階段だ。
これほど保存が良いとは思っていなかった。
戦捷記念図書館は図面も残っていないし、現存写真もとても少ない。
内部構造はいまもって不明なのだ。
なので、階段がどのようになっていたか… どこに設置されていたか… かねてより気になっている。かつてミュージアム用に作った模型では内部中央に踊り場のある階段をごく1部、"創って"る。
で、この遷喬(せんきょう)尋常小学校の階段。見事な螺旋状。



これは参考になる。
30分ばかし階段をあがったりさがったりしつつ、憶測と推論を並べ散らす。戦捷記念図書館もそ〜だったのでは?、と考えを変える。
踏み込むたびギシギシ音をたてるのが、とてもイイ。
木造階段は音譜不要の楽器だ。



しかし、取材ヒトスジというワケにはいかない。
せっかく来たんだ。
ガッコウで遊ぼ〜。


学生服に女学生制服がここでは無償で提供される…。
実際は時代に応じたモロモロのカタチがあって、なので、こういう場合、ホントは、「何々時代頃」とか「大正時代半ばのもの」とかいった区分をしてのコスプレ対応が望ましいけども、ま〜、このさいだ…、
「せっかくゆえ、着ちゃおっ」
なのだった。
ほぼ44年ぶりに、ボクは学生服にソデを通した。同行者もまた10数年ぶり…。
気恥ずかしいような、こそばゆいよ〜な、妙な面持ち。着衣し、共々、互いの"異風"に笑いあった。



現役の頃は、制服から一刻も早くに解放されたいと日々思って、かなり忌み嫌ってたもんだけど、歳月がその突起を丸くしちまって、ま〜〜るで戦争を懐かしむ人のようなアンバイも、なくはない。
ホントはそこが問題で、イカンのだけども… ま〜、学生服そのものに罪も罰もない。



で、さらに、ガッコウの給食。(土日のみ予約者に提供される)
一般参加の方に混じり、最後列でいただいた。
この日の参加者はなんと2クラスにおよぶ盛況。若い県外の方も多い。
高齢者が制服を着て着座しているのはホホエマシイ(人のコト云えないが)



ホントはミルク(でも蒜山ジャージーだったけど)ではなく、脱脂粉乳が望ましい。
冷えると、とにかくマズイったらありゃしない… あの正体不明なのを再現シテ欲しいなぁ… とは思うけど、同行者は既に脱脂粉乳の時代の子ではなかったんで、あんまり声高にいってもシャ〜ない。
かなり残念だったのは、クジラの竜田揚げではなくって酢鶏がメインだったこと。
コッペパンに付きもののマーガリンもジャムもなかったこと。
一方で、ミルメークなる粉状の変なもののコトを、ボクらは知らなかった。



食後、学校2階の講堂の、やや音のずれかけたピアノであそぶ。
かつて数多の児童と教職員が一同に介し、いささかの緊張でもってアレコレの式典を行った空間。そこを独占で悠々に遊べる… この愉快は爽快でもあった。
昔の歪んだガラスを通し、床に映じた日光が何ともよろしかった。




ちょっと知ったお顔が1つ。
この日、彼は学生多数を引率しての、いわば"課外授業"。



学校を出て、車で勝山町まで移動。街並保存の地区へ。
奇妙な煙突のある町屋に興をひかれた。
玄関のすぐそばという位置から風呂用ではあるまい。暖房のものに違いない… 囲炉裏用? 石炭ストーブ用? 冬は雪に覆われる地域ゆえ、ひょっとして玄関の客用かしら?
想像するのがタノシイ。
けどもこういうのはアンガイと模型化しづらい。既成なカタチに対しイレギュラーなサイズとカタチは、ホンモノに違和はないけど、いざ模型にしてみると… 違和感たっぷりなモノになるんだから、不思議というか、模型のおかしなトコロ。



散歩後、「ひしお」という蔵を利用したオシャレなカフェでくつろいでたら、そこに上記の御仁もやって来たんで、
「あらあら」
と、大いに苦笑。
"ひしお"というくらいだから、過去は味噌蔵だったワケだ。残念ながら味噌の香りはない。石のプレートにデコレーションされたスイーツ… ただもうひたすらにオシャレな感じ。おいしかったけど、こういうカタチは、ぁ、ぁんまり好みでない。
ここで新春予定の講演概要を打ち合わせ。次回は亜公園関連のハナシでなく別仕立てでいく。



また移動… 津山側へと駆け、道の駅の「ゼ〜タガンダム」に会いにいく。
そこに置かれてもう10年は越えたろうに、続々、県外ナンバーの車がやってきては、見上げてカメラをパシャリして、いまだ観光"ミドコロ"の気配が衰えていないのにビックリ…。
けどもそんなコトはどうでもよく、10年越えの経過でこの戦闘マシンたるガンダムのヘッド界隈がハトの巣になって、フンで白く染まり、3羽4羽と出たり入ったりの光景が、妙におかしかった。戦後の廃墟のハトという感じで、いっそカレらに頼もしさをおぼえもした。